第二百四話 ★瀬渡・居るはずのない敵
◇【伊賀臣瀬渡】視点◇
ざぶっ――
木津川の岸辺で水が跳ねた。
暗い川面を越えてきた三野の兵が、
次々と、こちらの岸へ這い上がってくる。
肩で息をし、槍を構えながら、
やつらは松明の明かりを岸辺に広げていく。
その、半数ほどが渡り終える。
そのところで――
「今だ、かかれぇ――っ」
「うおおおおお――っ」
我の号令に、
伊賀の兵たちが丘を駆け下りる。
突然の掛け声に、三野の兵たちが振り返る。
だが、遅い。
ざくっ――!
先頭の兵が、槍を受けて倒れる。
続く者も、濡れた足を取られて、
満足に構える間もなく押し倒されていく。
「はっはぁ! どうした、三野の奴ら!」
ヒコが槍を振るい、
目の前の兵を押し返した。
「いつもの威勢はどうしたよ!」
川へ退こうとする者。
その背後には、まだ渡河を続ける仲間たち。
互いに、進むことも、退くこともできず、
水際で兵たちがもつれ合っていた。
よし。
このまま押し切れば、
今宵こそ、三野の攻め手を討ち取れる。
そう思った、その時だった。
「うおおおおお――っ」
突然。
我らの左手から、
けたたましい声が上がった。
「なんだ」
振りむいた先。
川辺に広がる森の中から、
幾人もの兵が、槍を構えて飛び出してきた。
「敵だっ! 森から敵が来たぞ!」
あそこは我らの岸、
敵は、木津川の向こうにいるはず。
「なぜ、すでに、川を渡った兵がおるのだ」
左手には、
森から現れた三野の兵。
右手には、
木津川から上がってくる兵。
我らは、二手から挟まれる形となった。
「くっ……!」
ここで、川辺の敵を一気に叩くか。
いったん退くか。
まだ、兵の動きは乱れておらぬ。
だが、時が経つほど、
挟まれた我らが不利になっていく。
「オヤジ……見ろよ、こいつら」
ヒコの足元に転がる三野の兵、
その身につけていた松明。
「こいつら、一人で、
何本もの松明を背負ってやがる!」
「なんだと」
ひい、ふう、みい、よ――
確かに一人四本を背負っている。
我らは、松明の灯りをまえに、
やつらの兵の数を見誤らされていた。
ならば、これまでの夜にも――
瞬間、背筋に、
冷たいものがよぎる。
「全員、退けぇっ!」
我は、腹の底から声を張り上げる。
ひゅん――
その直後、森から矢が飛んできた。
「ぐあっ!」
肩を射抜かれた兵が、膝をつく。
「こしゃくな真似を……」
ぞろぞろと森から姿を現す三野兵。
それらが、川を渡ってきた三野兵が合流する。
槍を構えた者たちが前に出て、
その後ろから、さらに矢が飛んできた。
負傷者は、次々と増えていく。
「ミナセ!」
「はっ!」
「負傷した者を連れ、
一足先に、城之越へ戻れ!」
「父上は、いかように」
「しんがりは、我と、ヒコで受け持つ!」
一瞬、ミナセは唇を結んだ。
「お任せします」
だが、すぐに頷いてみせた。
「おう、とっとと行け」
ヒコが、槍を構えたまま応じる。
それだけで、
我らが伊賀の兵たちは動き始めた。
負傷者を支え、動けぬ者には肩を貸す。
ミナセの後ろへ兵が続いていく。
「我ら、お供します」
しんがりに残る者たちは、
我と、ヒコの周囲に集まってきた。
そして、三野へと槍を向ける。
我ら、伊賀に弱兵はなし――
――――――――――
かんっ――
槍の柄が、激しく打ち合う音が響きわたる。
両軍とも、互いに一歩踏みこんでは、
すぐに間合いを取る。
それから、また、じりじりと近付く。
「ちっ、キリがねえ」
ヒコが、額の汗を拭った。
「三野のやつらも、
なかなか、やるじゃねえか……」
我らは、丘の城之越を背に高地を取り、
川岸の低地に相手を押さえている。
有利な地形を取れてはいるが。
「なかなかに慎重だ」
こちらが隙を見せても、
それ以上、深く踏み込んでこない。
一気に形勢を取りにこない。
ここにきて、まだ、
無用な犠牲を避けたいのか。
「だあ、まあそれでよい」
こちらとしては、ありがたい。
「これだけ時を稼げば、十分だろう」
我は、ヒコへ目を向けた。
「おう、最後に弓を射かけてやれ」
ヒコが、後方の兵へ声を飛ばす。
我ら、しんがりの前衛は槍を向けたまま、
相手との間合いを広げながら。
その背後、丘の高地から、
後衛の者たちが三野に弓を射かけた。
そして――
「退けぇっ!」
一斉に踵をかえし、
我らは、城之越へ向かって丘を駆け上る。
「矢を射よ……っ、いや、追いかけろ」
背後から三野の声が聞こえてくる。
だが、環濠まではそう遠くない。
「これは、助かったか……」
我は、環濠へ向けて駆けながら、
ようやくひと息つけた。
ミナセならば。
すでに負傷者を環濠へ入れ、
我らを迎える備えも整えておろう。
――――――――――
丘を登りきるころ。
「おい、ミナセ!」
ヒコの声が城之越に響いた。
視界の先では、
ミナセや、先に帰したはずの兵たちが。
負傷した者を支えたまま。
環濠の外で、ただ、立っていた。
「なにを、ぼさっとしてやがる!」
ヒコが声を荒げるのもわかる。
だが、ミナセが、訳もなく、
兵を環濠の外に留めるはずもない。
我らは足を止めて。
城之越の環濠へ、目を向ける。
そこには「隠」の旗が立っていた。




