第二百二話 ★水瀬・仄暗い水の違和感
◇【伊賀之水瀬】視点◇
木津川の向こう。
西の山裾で、
また、土煙が舞いあがる。
今日も、山神が仕掛けて、
三輪の兵が、それを迎え撃っていた。
川を渡ってくる風に乗り、
遠くから、かすかに怒号が聞こえてくる。
「日ごとに、三輪の動きは洗練されているな」
隣に立つ兄者が、感心したように呟いた。
山神が仕掛けるたび、
三輪の兵は素早く向きを変える。
今や、西の山へと、逆に押し返しているほどだ。
「しかし、気になるのは、あの陣構えです」
「……陣構え?」
「日を重ねるごとに守りが厚くなっております」
私は、対岸の陣を指さした。
昨日まではなかった柵が並び、
その内側には、土を高く盛った場所もある。
山神への備えなのだろう。
あれだけ襲われながら、
守りを固める手を休めていない。
「あれは、もはや、
ひとつの環濠に相当するかと」
「ちっ、厄介だな……」
兄者が、舌打ちをする。
それもそうだ。
あの兵たちが、こちらへ渡ってきたら。
我らも、相応の犠牲を覚悟せねばなるまい。
「守りの厚さに比べて……」
兄者が、再び、口を開いた。
「あいつら、夜になると、
何を考えてるのか、さっぱり分からねえ」
「昨日は、どうだったんですか?」
「ああ、川には踏み込んできたが、
二度ほど射かけたら、すぐに退きやがった」
「ふむ……」
「何か策でもあるのかと思いもしたが、
結局、何も起こりゃしねえ」
兄者は腕を組みながら、
対岸の陣を睨みつけていた。
とても、勝者の顔に見えなかった。
「……今日は、おまえに任せていいか?」
「私にですか?」
「どうにも、すっきりしねえんだ」
兄者は、こちらへ顔をむける。
「おまえなら、俺と違って、
何か見えるかもしれねえからよ」
「…………」
いつもは自ら先頭に立つ兄者が、
こうして、私に任せたいというのだから。
よほどのことだろう。
「今夜は、私が迎え撃ちましょう」
「おう、頼んだぜ!」
――――――――――
夕暮れ。
今日もまた。
対岸の篝火の明かりから、
いくつもの小さな松明が離れていく。
「やはり来るか」
私は、弓を持つ兵たちと一緒に、
これまでと同じ場所で待ち構えていた。
だが――
「あんな川上から渡る気か?」
松明の動きが、昨夜までと違う。
いつもの渡河する地点へむかわず、
さらに、川上へ向かう。
「我らの弓を避けるため、
城之越から距離を取るつもりでしょうか」
兵の一人が、そう口にする。
愚かな――
木津川を渡るなら、
川幅が狭く、浅い場所を選ぶのが道理。
この辺りの川筋など、
我らは昔から、よく知っている。
だから、わかる。
あの場所は向いてない。
川幅は広がり、水も深い。
城之越から距離は取れるだろうが、
かえって、渡るのが難しくなるだけだ。
「川上へ向かう、あちらで迎え撃つぞ」
私は、兵たちへ声をかける。
「はっ!」
城之越の環濠から離れて、
川上へ進んでいく。
冷たい風に兵たちの松明が揺れる。
その明かりを頼りに歩くうち、
ふと、周囲の者たちの顔に目が留まった。
「そういえば、見かけない顔が増えたな」
「ああ、ミナセ様が兵を率いるのは、
お久しぶりですからね」
隣の兵が、軽く笑った。
「最近は、阿閉から来る者も、
ずいぶんと増えておりますので」
「そうか……」
「ミナセ様! 来ました!」
先を歩く兵から、鋭い声が上がった。
「よし、弓を構えよ」
――――――――――
川の向こう。
いくつもの松明が、
黒い水面を照らしながら近付いてくる。
やがて、先頭の者が、水へ足を踏み入れた。
案の定――
川は深く、兵たちの進みも鈍い。
腰を落とし、水の流れに抗いながら、
ゆっくりと向かってくる。
「射かけよ!」
ひゅん――
今夜も、幾本もの矢が、木津川を飛ぶ。
むこうから怒鳴り声が上がり、
松明の明かりが、激しく揺れた。
それでも、しばらくは進もうとしていたが――
「さらに射かけよ」
二度目の矢を射かけると、
その灯りは、次々と遠ざかり始める。
「……退きましたな」
「ああ」
私は、弓を握ったまま、
遠ざかる明かりを眺めていた。
兄者の言うとおりだ――
戦の熱が、感じられない。
昼間の三輪と、山神の争いには、
互いに押し返そうとする気迫があった。
声が飛びかい、兵が駆けめぐる。
だが、こちらはどうだ。
あれほど深い川に踏み込みながら、
矢を受ければ、あっさりと退いていく。
何のために、こうして攻めてくるのだ。
「追いますか?」
「……いや、これで十分だろう」
私は、首を横に振った。
「はっ!」
兵たちが弓を下ろし、
それぞれ、矢筒を確かめ始める。
その姿を見て、ふと思った――
「我らの矢は、あと、どの程度残っている?」
「……矢、ですか?」
「ああ、三夜続けて射かけているからな」
兵は、少し考えてから答えた。
「まだ数日は、十分に戦えるはずですが、
かなり減ってきてはおります」
「そうか……」
兵たちの矢筒を見渡す。
三夜続けて敵を追い返した。
だが、そのたびに矢は減っている。
それに対して向こうは――
「ミナセ様?」
「いや、なんでもない」
私は、兵たちへ向き直った。
――――――――――
城之越へ戻る道すがら。
木津川の流れる音が、
いつまでも耳に残っていた。
ふと、振り返る。
川向こうには、相変わらず、
数えきれぬほどの篝火が燃えている。
その火の向こうに、
昼間に見た柵の影が浮かぶ。
勝ち戦を重ねているのは、我らのはず。
それなのに、あの明かりを眺めていると、
胸の奥が、どうにも落ち着かない。
我らは、乗せられているのかもしれんな。
姿の見えぬ、何者かの意図に――




