第二百一話 ★火子・二夜目の攻防
◇【伊賀之火子】視点◇
「また始まったぞ!」
木津川の向こう。
対岸に構えている陣が騒がしくなる。
西の山から、石や、矢が飛び、
三輪の兵が応戦している。
「山神の連中ですかね?」
隣の若衆のひとりが呟いた。
「むこうは、完全に、
両面から挟まれる形じゃねえか……」
本来、とっとと兵を退いて、
陣をもっと南に構え直せばいいのに。
あんな大掛かりな陣を構えたから、
今さら、動くこともできないのだろう。
皮肉なこった――
「しかし、三輪の動きは、たいしたものだな」
あの兵たちが、こちらへ、
川を渡って攻めてきたのならば……。
こっちも、死人を覚悟しなきゃならねえな。
「けど、あいつらは山神の相手で、
忙しいみたいですね」
「ありがたい話だ」
昨夜、三野を追い返せたのも、
山神のおかげではあるからな。
「できれば、ずっと向こうで、
やりあってもらいたいもんですね」
男衆が、わずかに笑う。
「そうだな」
俺の口元も、思わず緩んでいた。
正直、あれだけの大軍を前に、
最初は俺も身構えた。
だが、昨夜の戦といい。
目のまえの山神との争いといい。
「これなら案外……」
「案外?」
「いや、なんでもない……、
ほら、きちんと矢の準備をしておけよ」
「へいへい」
俺の声に、周りの兵たちが動き始める。
こうも手応えがないと、
思わず、気が緩んでしまう。
そんなんじゃ、また、
オヤジたちに文句を言われちまう。
気を付けなきゃな。
――――――――――
夕暮れ。
「また、来おったか」
伊賀臣瀬渡――
オヤジが、声を掛けてきた。
「ああ」
木津川から目を離さず、
俺は、そのまま返事をした。
対岸にある大きな陣。
その篝火の明かりから、
昨夜と同じように松明が離れ、
ゆっくり、木津川へ近づいてくる。
「昨日、あれだけ矢を射かけられたのに、
懲りもせずに来るのか」
ここまでくると、逆に、
馬鹿にされているのかと腹も立つ。
「俺たちの矢が、気に入ったんじゃないですか」
兵たちは呆れたように顔を見合わせた。
「まったく、何を考えておるのやら……」
オヤジも、川を見つめていた。
「ヒコ、今夜も頼めるか」
「おう」
「昨日の様子を見る限り、
おまえだけで十分だろう……」
「任せておけ」
ミナセは、控えさせておくわけか。
「よし、テメェら、ひとっ走りいくぞ!」
「おう!」
俺たちは、環濠の外へ足を向けた。
「追い払うだけでよいぞ」
オヤジの声に、
俺は、手だけ振って返した。
――――――――――
木津川へ着く頃には、
あたりも、すっかり暗くなっていた。
そして、対岸からは、
いくつもの松明が近づいてくる。
あれだけ火を掲げていれば、
どこを進んでいるのか、丸分かりである。
「ヒコ様」
「なんだ?」
「あいつら、昨日と同じですよね……」
「懲りねえ連中だ」
俺は、対岸を指さした。
「もう少しで、こちらの弓が届く」
「では、射かけますか?」
「……もう少し待て」
昨日は、早めに射かけて追い払った。
だが、今夜は――
松明の灯りが、
水面の揺れを照らし出す。
「よし、川に足を踏み入れたな……」
昨日は対岸で追い払ったが、今夜は違う。
「お、今日は渡る気か!」
「昨日よりは根性があるようだな!」
周りから、敵を煽る声が上がる。
川を渡ろうとする奴らへ、
あえて聞こえるように囃しているのだ。
「今夜は、しっかり引きつけろよ!」
俺は、弓を握り直した。
向こうも、矢を射かけられることぐらい、
承知の上で進んできたはずだ。
昨日の様子見とは、
その覚悟が違うのかもしれねえ。
「油断なんか、しねぇぞ……」
こちらに近づいてくる松明の灯り、
その動きから、目を離さず。
そして――
「今だ! 射かけろ!」
俺の放った矢に続き、
幾本もの矢が夜の川を飛んだ。
ひゅん――
「うわっ!」
「盾を上げろ!」
遠くから慌てた声が上がり。
松明の灯りが大きく揺れ、
水の中にいる兵たちが足を止めた。
愚かな――
弓を相手に距離を詰める途中で、
その足を止めてどうする。
「もう一度だ! 射かけろ!」
再び、俺たちは矢を放った。
「くっ、これは堪らん! 一旦、下がるぞ!」
さっきまで進んできた松明が、
今度は、ぞろぞろと遠ざかり始めた。
「なんと無様なことかっ」
思わず、声を荒げてしまった。
何か策でもあるのかと思えば、
結局、こうして引き下がるだけとは。
やがて。
松明の灯りは対岸へ戻り、
そのまま、陣へと引き返していった。
「追いますか?」
「…………」
あの弱兵どもなら。
このまま、川を渡って陣へ夜襲をかければ……。
そんな考えも脳裏をよぎるが。
「馬鹿言え、親父からも、
無駄に追うなって言われてるだろ」
……ちっ。
なんとも、すっきりしねえな。
俺は、弓を肩へ担ぎ直す。
「帰るぞ!」
「はい!」
――――――――――
そうして、川岸を離れようとした時。
がさっ――
「……あん?」
俺は、足を止めた。
「ヒコ様?」
「今、何か聞こえなかったか?」
城之越の環濠へ続く道の、その脇道。
北と、東を守ってくれる天然の森。
その茂みから、
何かの動く音がした。
「おい、あそこを照らせ」
「はっ」
隣の兵が、森に松明を向けた。
暗い茂みが、
ぼんやりと浮かび上がる。
だが、何も見えねえ。
「気のせいですかね?」
「いや、確かに聞こえた」
俺は弓を握り直し、
茂みへ向けて一本の矢を放った。
がさっ――
次の瞬間。
小さな影が、茂みから飛び出した。
長い耳を揺らし、
何度も飛び跳ねながら、
森の深い闇へと消えていく。
「…………」
一拍。
「……なんだ、獣か」
「野兎ですな」
「まったく、驚かせやがって」
俺が、軽く笑ってみせると、
周りの兵たちからも笑い声が上がった。
「さあ、帰るぞ」
「おう!」
「しかし、明日も来るんですかね、
三野の連中は……」
「今度来るなら、
もう少し考えてほしいもんだな」
「ははっ! そうですな」
俺は、兵たちを引き連れて。
昨日と同様に、城之越の環濠へ、
胸を張って戻っていく。
だが、どこか……。
胸の奥に、
気味の悪さを抱えていた――




