第二百話 ★瀬渡・初夜の攻防
◇【伊賀臣瀬渡】視点◇
「使いは、まだ戻らぬか」
城之越の環濠。
その中でも一番大きな竪穴。
我の問いに、若衆が首を垂れていた。
「三野へ遣わした者からは、
いまだ、何の知らせもございませぬ」
「そうか……」
捕まったのか、
あるいは、始末されたか。
「ぬう……やはり、もう、
話は聞き入れてもらえぬか……」
我は、膝の上で拳を握る。
木津川の向こう。
三野をはじめとする大勢の兵が、
今も、陣を構えているというのだ。
あれらと争えば、
どれだけの犠牲が出ることやら。
「瀬渡さまっ!」
戸口の筵が勢いよくめくられた。
「三野の者たちが、動き始めました!」
――――――――――
慌てて竪穴を出る。
あたりは夜の闇に包まれていた。
だが、木津川の向こうが妙に明るかった。
昼のうちから目を引いていた、
やつらの大きな陣。
そこに積まれた荷の間には、
多くの篝火が並び。
三野、波多、名張、三輪の旗が、
夜の闇に照らし出される。
そんな陣の大きな灯りから。
いくつもの松明が離れ、
列をなして川の方へ動いていた。
「なんだ、あれは……」
「川を渡ろうとしているようです」
伊賀之水瀬が指さして答える。
「渡る……?」
思わず聞きかえした。
「川を渡ろうというのか……この時刻からっ!?」
戦は、日があるうちに始め、
日が暮れる前には兵を引くものだ。
夜襲という手もあるが、
足場も見えぬ川越えでは自殺行為に等しい。
だからといって松明を掲げては、
敵に居場所を教えるようなものだろう。
「対岸に陣を構えて、
もたもたしておると思えば……」
我は、思わず額を押さえた。
「こんな時間に川越えとは、
何もかも、でたらめではないか……」
「なあ、親父」
そばにいた伊賀之火子が、
川向こうの火を見ながら呟く。
「あいつら、もしかして、
戦を知らねえんじゃねえか?」
「戦を知らぬ、だと?」
「だってよ、あれじゃ、
射てくれって言ってるようなもんだろ」
「ですが、ヒコ……」
ミナセが、静かに首を振る。
「昼の山神への応戦は見事なものでした」
「そりゃ、三輪の兵だろ?」
ヒコは、あっさりと言い返す。
「西の山へ向かってたのは、あいつらだ。
こっちに来る連中とは別だろうが」
「なるほど……」
思い返せば――
三野臣高彦が三野を離れてから、
跡を継いだのは、まだ若い息子たちだという。
あの名張にも、知恵者と噂される童がいるそうだが。
童は、しょせん童。
暮らしの工夫に長けていようと、
戦の機微までは、経験を積まねば身に付かん。
「陣は立派だが、戦は別であったか……」
「瀬渡さま、松明が、
さらに川へ近づいております!」
見張りの声が上がる。
「ヒコ! ミナセ!」
「おう!」
「はっ」
「弓を持つ者を連れて蹴散らしてこい!」
「あいよ!」
ヒコは、勢いよく駆けだした。
「追い払うだけでよいぞ、
くれぐれも、深追いはするなよ」
「おまかせください、父上」
ミナセは軽く片手を上げ、
兄の後を追いかけるように川岸へ向かった。
それから。
我は、環濠の中から、
遠くに揺れる松明を眺めていた。
夜の闇もあり、その人影までは見えない。
だが、それぞれの灯りが、
昼よりも、あたりの様子を鮮明に伝えてくれる。
城之越の弓兵が、
川のほとりに横一列で並び。
それでも、三野の者たちは近づいてくる。
「今だ! 射かけろ!」
夜の木津川に、ヒコの声が響いた。
ひゅん――
続けざまに矢が飛び、
川面の松明が、大きく揺れた。
「うわっ!」
「矢だ! 退け!」
松明を掲げていた三野の者たちは、
あっという間に背を向ける。
次々と、川から松明の灯りが遠ざかり、
対岸の陣へと戻っていく。
「なんと呆気ない……」
これが、あの戦上手で知られた三野か……。
逃げようとする三野を追いかけて、
城之越の灯りが、前に出ようとするが。
「ここまでです」
ミナセの声が響きわたり、
城之越の松明も、しっかりと引き返した。
――――――――――
しばらくすると、
ヒコと、ミナセが戻ってきた。
「よう、親父!」
ヒコは、肩に弓を担ぎ、
口元には笑みを浮かべていた。
「見てたろ? 追い払ってやったぜ!」
「うむ、ようやった」
「何か、策があるのではないかと、
警戒していたのですが」
後から入ってきたミナセは、
どこか、気の抜けた声をあげる。
「あんな連中、俺たちの敵じゃねえぜ!」
「油断するなと言いたいところだが……」
我は、そこで口をつむいだ。
慎重になりすぎるのも、
度が過ぎれば、臆病風というもの。
「三野臣高彦が居てこその、三野……」
以前より、そう思ってはいたが。
臣が変わるだけで、
ここまで、変わるものなのか……。
「そう考えると、我は、
息子に恵まれたのかもしれぬな」




