第百九十八話 兵站と陣地構築
「ここでいいのか?」
そう呟いた三野臣黒犬の視線は、
木津川の向こうへ向けられていた。
その対岸には小高い盆地、そして、城之越の環濠。
その環濠内からは、
ひときわ、大きな樹がそびえていた。
「あの樹の上から、こちらの様子は丸見えだぞ」
「そうですね」
俺は、枝葉の間へ目を凝らした。
高いところに小さな人影が見える。
こちらの動きを、確認しているのだろう。
* * *
生を視て高きに処り――
日当たりのよい高い地形に陣を取れ。
そういう有名な教えだ。
それを踏まえて城之越を見返すと、
攻めるにあたり、あまりに厄介な地形であった。
まず、木津川を渡らなければならない。
さらに、川を越えた先では、
見下ろす相手に向かって坂を登ることになる。
これは、まともに攻めてよい場所ではない。
* * *
「まずは、ここに留まりましょう」
「ここにか?」
「少し川から離れますが、
乾いた土地も広がっていますし、
荷を広げるにも都合がよさそうですね」
「城之越に見られているのにか?」
「それでいいんですよ」
こちらが身を隠す必要はない。
というよりも。
あんな規格外の大樹を前に、
こちらが、どこに身を隠しても意味がない。
ならば、見られても構わないように、
こちらは事を運ぶだけだ。
「皆、荷を下ろせ!」
クロイの声が響きわたる。
どさり、どさりと。
まわりの者たちが背負籠を、
次々に、地面へ下ろされていく。
「三野の者は、こちらへ!」
「波多の荷は、こっちだぞ!」
声を掛け合いながら、
それぞれが仕事を始めていく。
そんな動きの中央には、
四つの旗が毅然と立てられていた。
離れたところにいる者にも、
どこに誰がいるか、ひと目で分かる。
――――――――――
「イミナ殿」
三輪之真人が、こちらへ歩いてきた。
「我らは、どこを守りましょう」
「そうですね……」
俺は、西の山へ視線を向けた。
ここへ来る途中、何者かに襲われた。
また、あの連中が現れないとも限らない。
「山側と、後ろの道をお願いします」
「承知した」
マヒトは一礼を残して、
そのまま、兵たちへ声を掛けていった。
槍を手にした三輪の者たちが、
西の山側に向かって固まりを作っていく。
その間にも、俺たち名張の者たちは、
火を使う場所や、水汲みの道を整えていく。
「しかし、よくもまあ……、
これほどの物を運んできたものだ」
クロイが、積み上げられた荷を眺めていた。
「はは……皆さん、頑張ってくれましたからね」
背負籠の中には、波多の穀。
名張で挽いてきた小麦粉に、
あらかじめ焼いておいた小麦焼き。
さらには、燻製にした獣肉もある。
「ここで、市庭でも開くようではないか」
「たしかに、そうですね」
思わず笑ってしまった。
だが、これほどの荷を運べたのも、
市庭を開くことで得た経験があってこそだろう。
「しかし、あの山道は骨が折れたな」
クロイが、腰を伸ばしている男たちを見た。
三野と名張のあいだは、
修羅を使って多くの荷を運べた。
だが、城之越へ続く山道では、
どうしても人の背に頼るしかなかった。
「いずれ、こちらにも道を繋げられるといいですね」
「そうだな」
そんな話をしている間にも、
荷を下ろした者たちは、休む間もなく働いていた。
水を汲む道が決まり、
火床には石が並べられていく。
小麦粉の袋は、湿らぬよう木を敷いた上へ。
少し離れたところでは、
草を敷いて、夜を過ごす場所も作られていた。
ただ、人が集まっていた草原に、
あっという間に暮らしの形が生まれていった。
そして、支度が進むにつれて。
あちこちから、
小さな煙が立ち始めた。
――――――――――
頭上にあった陽が、
ゆっくりと、傾き始めたころ。
「なんだ、これは?」
「名張の小麦焼きだとさ」
「おお、話に聞いたことがあるぞ」
三輪の兵が、珍しそうに小麦焼きを受け取っていた。
その横では、波多の者が土器へ穀を移し、
三野の者が水を運んでいる。
皆、それぞれが違う土地に根付く者たち。
それなのに。
今は、同じ場所で、
同じ食事の支度をしていた。
「本当に、ここで何日も過ごせそうだな」
クロイが、感心したように呟く。
「ええ、糧が続く限りは」
いくら大量に持ち込んできたとはいえ、
もちろん、持ってきた糧もいずれは尽きる。
「普通、三日程度が限界、
それで間違いはないですよね?」
「……ああ、普通はな」
「今回、持ってきた糧だけでも、
五日は過ごせるでしょう」
「五日か……」
「しかも、今も、後ろの道を通して、
次の荷が送られてきています」
「……なるほど」
クロイが、しばらく考え込む。
「兵を何日も留められるというのは、
思っていた以上に、大きなことなのだな……」
やがて、低いうなり声を上げた。
「相手も、俺たちがそれほど長く、
留まれるとは思っていないでしょうから……」
俺は、対岸の環濠へ目を向けた。
「その間、城之越は、
満足に環濠の外へ出られなくなります」
「……相手の食が底付きるのを待つのか?」
「さすがにそこまでは無理ですね」
城之越の倉にも、食の備えはあるだろう。
何より、飢えの恐ろしさは、
俺もよく知っている。
できることなら、取りたくない手だ。
「まずは、数日かけて、
こちらが簡単に帰らないことを、
分かってもらいましょう」
「それを可能にするのが、道か……」
クロイは、改めて大きく頷いた。
――――――――――
「それで、この後はどう動く?」
「そうですね……」
俺は、木津川の向こうへ顔を向けた。
「まずは、話をする機会を作りたいです」
「むこうが応じなかったら?」
「こちらから、使いを出すこともできますが、
とても危険な役割になりますね」
「ふむ」
川を隔てているとはいえ、
相手が、こちらをどう思っているかは分からない。
不用意に動けば、
かえって争いを招くことにもなりかねない。
なにかと難しい膠着状態ではある。
「なので、ひとまず……」
その時。
「敵襲――っ!」
まさかの声が、草原に響きわたった。




