第百九十七話 ★瀬渡:城之越の大樹
◇【伊賀臣瀬渡】視点◇
「三野の者たちが、
こちらへ向かっております!」
南へ出していた見張りの男が、
息を切らして、広場へ駆け込んできた。
「して、その数は?」
我の問いに、男は膝へ手をつき、
大きく息を吸う。
「その数……百を超えるかと……」
「百だとっ!?」
伊賀之火子の声が響き、
周囲の話し声までもが途切れた。
なにせ、城之越の戦える者は、
集めても五十ほどなのだ。
「そして、旗が四つほど……」
「旗……」
昨今、名張が掲げ始めたという、
布に印を描いたものか。
「三本の横線に、波多の印、
名張の怪しげな文様……
それに、三つの輪を重ねた印も」
「三輪まで来たのか」
我らが、三野の荷を襲ったことは事実だ。
人死にを出さなかったとはいえ、
三野が報復に動いても、おかしくはない。
だが、三輪まで兵を出すとは。
思っていたより、
遥かに大事になっているではないか。
「それと――」
斥候の声に、
まわりの視線が集まる。
「その一団へ、途中……、
山から何者かの奇襲がありました」
「なんだそりゃ」
一歩、ヒコが詰め寄った。
「俺たちの山で、どこの誰が、
そんな勝手な真似を!」
「崖の上から石や、土を落とし、
さらに矢も放っていたようですが……」
「オヤジ、俺じゃねえぞ」
「わかっておるわ」
「襲われたのは、どこだ」
「城之越へ続く、南の山道です」
「…………」
隣で、伊賀之水瀬の顔が曇った。
「あちらから見れば、我ら、
城之越が襲ったように見えるでしょう」
なにか、我の胸の奥に、
どんよりと嫌なものが沈んでいく。
「だったら、俺たちじゃねえって、
話せばいいじゃねえか」
「どうやって?」
ミナセが静かに返す。
「どうって、そりゃ外へ出てだな……」
「百を超える兵の前へか?」
「…………」
ヒコが口を閉ざした。
「環濠に籠っていれば十分に守れるのは、
濠も、柵もあればこそ」
ミナセが柵の向こうへ目を向けた。
「だが野に出れば……、
最悪、話をする前に囲まれるでしょう」
「くそっ」
ヒコが乱暴に頭を掻く。
* * *
皮肉なものだ――
冬のあいだ、我らは、
三野へ話を通す道を探していた。
その三野が、
今、目の前まで来たというのに。
顔を合わせることすら儘ならぬとは。
* * *
「せめて、使いを出すか……」
「それだ、それでいいじゃねえか」
「ですが――」
ミナセが口を開いた、その時。
「来たぞーっ!」
頭上から、大きな声が降ってきた。
「南に、旗が見えたぞーっ!」
――――――――――
城之越には――
この環濠ができるよりも遥か昔から、
土地神として崇められてきた古い大樹がある。
地を盛り上げる太い根。
幾人もの腕を並べても抱えきれぬ、逞しい幹。
我らは、その根元で祈りを捧げながら、
枝の上から土地を見守ってきた。
要は、木登りである――
「父上、先に」
「うむ」
ミナセに続いて、
我も、大樹の幹へ手を掛ける。
乾いた樹皮は硬いが、
幾代もの手足が掛けられたところだけは、
自然と滑らかになっていた。
太い枝には、古びた縄も結ばれている。
「相変わらず、高えなぁ……」
後ろで、ヒコが情けない声をあげる。
烈火のような気性の男だが、
昔から高いところだけは苦手なようだ。
「下を見るな、落ちるぞ」
「分かってるよ」
「兄上、そちらへ、足を」
ミナセが身軽に枝を渡り、
兄に、手足の運ぶさきを指し示していた。
やがて、枝葉の間を抜ける瞬間。
「ふぅ……」
心地よい春の風に、頬をくすぐられる。
眼下には城之越の環濠。
それを囲む樹々の向こうで、
木津川の水面が、陽を受けて光っていた。
「で、あれか……」
そそりたつ大樹の中腹から、
我は、川の向こうへ視線をむけた。
ちいさく見える四つの旗の下、
木々の間から、次々と人影が現れてくる。
「百か……斥候の見立ても、
あながち、大げさとは思えねえな」
ヒコが唸った。
「外で戦える数ではありませんね」
「だが、我らには木津川がある」
城之越を侵略する者たちが、
木津川に入る時、その列は崩れる。
その動きが、この大樹からは、よく見える。
この、木津川という天然の守りと、
大樹から見渡せる景色。
それらこそが、城之越の守り神といえよう。
「来るなら、来てみやがれってんだ」
――――――――――
……だが。
陽が傾きはじめても。
誰ひとり、木津川へ、
足を入れようとはしなかった。
それどころか――
「あいつら、何してやがるんだ?」
川で水を汲み、薪を集める者たち。
やがて、対岸からは幾筋もの細い煙が立ち始める。
その姿は、戦の備えというよりも、
新たな環濠を築こうとするかのようであった。
「あそこで、夜を越すつもりでしょうか……」
ミナセは呟いた。
「馬鹿言え」
ヒコが鼻で笑う。
「百人だぞ、そんな数、
何日も食わせられるわけねえ」
「……そうだな」
普通に考えれば、そのとおりだ。
* * *
戦が長引けば、
誰もが腰の糧袋を気にし始める。
勝っていようが負けていようが、
腰の糧袋が軽くなれば、帰らねばならぬ。
二日、三日。
戦に持って出られる糧など、
せいぜい、それほど。
近場の争いならば、
日暮れまでに環濠へ戻る。
遠くへ兵を出すならば、
その道中、どこかで奪うしかない。
人は歩けても、
糧に、足は生えない。
だから、どんな大きな環濠の臣も、
遠くまで戦に行けぬのだ。
だからこそ、我らは、
この木津川で守ることにより。
三野にも、阿閉にも屈することなく、
城之越を絶やさずにこれた。
そのはずだった。
* * *
「父上」
ミナセの声に、
我は、対岸へ目を凝らした。
今も、次々と、荷が下ろされている。
それなのに。
その長い列の後ろからは、
まだ、新しい背負籠が運ばれていた。
「…………」
我は、大樹の太い枝へ手を置いた。
城之越を守る緑が、
眼下で、春風に揺れている。
そこまでは、
いつも通りの光景だ。
だが、その向こう。
木津川を挟んだ対岸では――
「いったい……」
今も、積み上げられていく荷を眺めながら。
「なにが起きているのだ」
胸の底に溜まる嫌なものが、
徐々に、形をもってくるのを感じていた。




