第一話【弐】 泥まみれの命
ふと、胸に硬い感触があたる。
俺が視線を落とした先――
少女の首には、太い麻糸に括られた石が垂れていた。
一見すれば、ただの黒ずんだ泥の塊。
光沢も、色艶もない。
道端の石と変わらない汚れた塊だ。
だが、その歪な曲線は、どこか勾玉を思わせる。
なんだこれ――
ぞくりと、胸の奥が掻きまわされる。
その石は、どこか不吉なのに、
なぜか目が離せない。
泥に埋もれているはずなのに、
その奥に、何かが眠っているような――
「……うっ」
また、頭の奥が、ずきりと痛む。
* * *
――いまわしい。
親は、もういない。
――おまえたちさえ、いなければ。
母は、俺たちを「不吉な子」と呼び、この小屋へ捨てた。
そして、そのまま、どこかへ姿を消した。
――産むんじゃ、なかった。
なかば狂ったように叫ぶ、女の顔だけが、
まるで呪縛のように記憶の端に焼き付いている。
* * *
俺の底から、熱が込み上げる。
それは、俺のものではない。
この身体の奥底から溢れ出る、荒ぶる心。
怒りだ――
イミナという少年が、ずっと抱えてきたもの。
名を『呪い』に変えられ、
逃げ場もなく耐え忍び続けた子供が、
ずっと、胸の底に押し込め続けてきた激情。
世界に対する、暗く、深い憎しみ。
それが今、俺という異物を器にして、
静かに燃え上がっている。
――――――――――
不意に、ぐぅと、俺の腹が鳴る。
「……うっ」
腹の底が灼かれるような激痛。
喉も、腹も、全身が「飢え」に蝕まれていた。
これは「空腹」なんて生やさしいものじゃない。
命を削る「飢餓」だ。
「おにぃ……これ……たべて……」
少女が、泥だらけの手を差し出してきた。
掌には、土から掘り出したばかりの、
干からびた野草の根があった。
「いみな……これ……みじゅ、ふいたから……」
彼女の顔もまた、土気色をしている。
今にも倒れそうだった。
それなのに、自分が食べるよりも先に、俺へ差し出してくる。
なんだ、この狂った世界は――
――――――――――
俺は、改めて小屋を見渡した。
藁の屋根は薄く、壁は隙間だらけ。
割れた器の底には濁った泥水が溜まっている。
火はない。
飲めそうな水もない。
当然、食べる物などあるはずがない。
このままでは、飢えて死ぬか、病に倒れるか。
待っているのはそれだけだ。
どうする、考えろ――
頭の奥に流れこんだ膨大な知識を、
ひとつずつ、ゆっくりと手繰り寄せる。
泥水を、飲める水に変える術。
火を起こす術。
命をつなぎとめる術。
できるかどうかじゃない、やるしかない――
――――――――――
気付いたら、
俺は、少女の手を握り返していた。
「……大丈夫」
ひどく掠れた声だった。
言葉を発するたびに喉が焼けるように痛む。
それでも、はっきりと伝える。
「……俺が、なんとかする」
「……にぃ……に……?」
少女が、涙に濡れた目を丸くする。
「……まずは、灰と炭を集めよう」
それが、命を繋ぐ手がかりになる気がした。
「二人で生き延びるために、
まずは、この穢れを祓うんだ……」
重い身体を引きずるようにして、
俺は、ゆっくり起き上がる。
『忌み名』を与えられ。
『忌み子』と蔑まれ。
泥の中で死を待つだけの兄妹の物語。
そんなもの、認めてたまるものか――




