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卑弥呼転生 ~「偽りの巫女」を祀る兄~  作者: 露李鈴
【185年:一章】泥まみれの巫女

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第二話 水のきらめき

「……にぃに……おみず……」


 少女が、割れた土器の欠片を差し出してきた。

 窪みにはどろりと濁った泥水。


「……ありがとう」


 喉は焼けるように渇いている。

 だが、これは飲めない。


 頭に流れた膨大な知識が警鐘を鳴らしている。


 虫か、菌か、そこまではわからない。

 だが、飲めば死に近づく。それだけはわかった。



「……これは、だめ……」


「……ぇ……?」


 少女の瞳が大きく揺れる。


「……どうして……? にぃに、しんじゃうよ……?」


 その澄んだ瞳に、大粒の涙がみるみる溜まっていく。

 俺のことを心の底から心配していた。


「……神様が教えてくれたんだ」


 俺は、ふらつく足に力を込め、立ち上がる。


「……かみ、さま……?」


 少女の不安げな視線が、俺を見上げる。


「この水の穢れを祓い、飲めるようにする方法を……」


「……けがれ……?」



 小屋の隅に、古い焚き火の跡が見えた。

 そこに積もる灰と、炭。


 すべては揃っている――



――――――――――


 わらを敷き詰めた小屋の壁の隙間から、

 一条の陽の光が、細い筋となって土の床に落ちている。


 まだ、夜ではない。

 行動する時間は残されている。



 まずは道具――


 地面に転がっていた手頃な石を、

 震える指先で拾い上げる。


 もう一方の手に、硬い石をもうひとつ。


 その重みが、

 掌にずっしりと食い込んだ。



「……」


 角度を見て、呼吸を整え、狙いを定める。


 全身の力を込めて、

 振り下ろす。


 カキンッ――と、鋭い音が弾けた。


 石が欠ける。


「……よし」


 さらに、何度か打ちつける。

 掌に衝撃が走り、骨の芯まで揺さぶられて痺れた。


 少しずつ、慎重に、割れ方を見ながら。


 火花が散るたび、イミコが身を縮めるのが見えた。



「……こんなもんかな」


 貝殻の縁のように鋭い破片が、

 俺の手元に残っていた。


 石の刃――


 それは、ただの「石の欠片」にすぎないけれど。

 今の俺たちには十分すぎる刃だった。



「……すごぃ……にぃに、いし……きったの……?」


 少女は目を丸くしていた。

 その驚き顔に、思わず唇の端が緩んだ。


「割って、刃にしたんだ」


 そう言いながら、焚き火跡の灰と、炭をかき集める。


 指先が黒く染まる。

 だが、そんなことを気にしている場合じゃない。


 次は、筒になるものが必要だ。



――――――――――


 俺は小屋の入口に向かう。


 扉もなく、外の冷たい気配が流れ込んでいる。

 その先には薄暗い森が広がっていた。


 小屋のすぐ脇には、

 竹によく似た、見慣れない植物が生えていた。


「……助かった……」


 安堵の息が、白い煙となって口から漏れる。


 もし、筒に代用できる物が身近になかったら、

 その時は手間が増えていたところだ。



 俺は、筒として使えそうな植物の節を選び、

 石の刃で、太い茎を切り出していく。


 切り口は荒い。

 けれど、今はそれでいい。



――――――――――


「……にぃに……?」


 小屋へ戻ると、

 少女は、不思議そうな表情を浮かべていた。


「……もうすこし、待っててな……」


 切ってきた茎の中へ、

 俺は、細かく砕いた炭を詰めていく。


 その上に乾いた灰を重ね、

 小屋の床を掘って集めた砂を、そっと入れた。


 黒、白、淡い土の色。


 小さな筒の中へ、

 層を、ひとつずつ積み重ねていく。



「イミコ、見ていて」


 俺は、さっきの泥水を、

 筒の上から、ゆっくりと注ぐ。


「……ぁ……」


 少女の顔が曇る。


 せっかく集めた水を、

 俺が、捨てたように見えたのだろう。


「大丈夫。なくならない……」


 安心させるように言いながら、

 俺は、筒の底をじっと見つめていた。


 じわり。

 じわり。


 水がゆっくりと、

 しかし、確実に層の奥へと吸い込まれていく。


 時間が、ひどく長く感じる。


 あたりは重苦しい沈黙に支配されていた。

 ただ、水が吸い込まれる、微かな音だけが聞こえる。


 イミコも、息を殺して見守っている。


 もし、このまま「泥の色をした水」が落ちてきたら――

 そんな不安が胸をかすめる、その時。



 ぽたり、と。


 一滴。


 筒の底から、雫が落ちた。



「……ぁ……」


 イミコが息を呑む。


 もう一滴。

 さらに一滴。


 その雫に、濁りはなかった。


 茶色くない。

 どろりとしていない。


 欠けた土器の上に、

 静かに溜まっていくのは、


 透き通った、きらめく水の輝きだった。



「……きれい……」


 イミコが、呆けたように呟く。


「……にぃに、なにしたの……?」


「汚れを、分けたんだ」


 土器の欠片を、

 そっと、俺は手に取った。


 まだ足りない。

 本当なら、火もいる。


 だが、今は――


 この目のまえの一滴が、

 俺たちの命を、確実に繋いでくれる。




「これを、少しずつ……飲んで……」


 土器の欠片を、そっと、少女の口元に運ぶ。


 少女は、恐る恐る、

 その小さな唇を水面に触れさせた。


「……ちゅめた……ぉいし……っ!」


 その声に、張りつめていた緊張の糸が緩む。


 少女の青白かった頬に、

 ほんのわずかだが、色が差しはじめる。



 俺も、欠片に残った水を流し込んだ。


 冷たい――


 けれど、その冷たさが、焼けついた喉を通り、

 胃の奥底に落ちていく感覚。


 それは、まるで奇跡のように思えた。



 生き返る――


 泥水が、飲み水となった。


 たったそれだけのことが、

 このどん底で、途方もなく大きい。


 目の前にあった絶望が、ひとつ、祓われた。



――――――――――


「ふぅ……」


 俺は、深く呼吸を整えながら、

 古い焚き火跡を見る。


 泥の中から抜け出す戦いは、

 始まったばかり。


 だけど、もう、さっきまでとは違う。

 絶望の中でも手を伸ばせるという実感を得た。


 知識は、この時代にも通じる――



 けれど、まだ足りない。

 まるで足りない。


 このままでは夜を越せない。


 小屋の壁は隙間だらけで、

 屋根は頼りない。


 風は冷たいまま、

 今も容赦なく吹き込んでいる。



 次に必要となるのは――



「火だ……」


「……ひ……?」


 少女は首を傾げてみせる。


「火があれば、小屋を、あたたかくできる」


 水を沸かして湯にもできる。

 小屋を温れば、凍える夜にも抗える。


 食べものに熱を込められる。



 火は、生活の基点になる――



「次は、火を生むんだ」


「……にぃに、ひ、つくれるの……?」


 泥に汚れた少女は目を輝かせる。


 その瞳には、

 俺の姿だけが映っていた。


「……つくれるさ」



 正直、わからない。


 だけど、この泥まみれの、

 どん底の生活から這い上がるためなら、


 なんだってやってみせる。


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― 新着の感想 ―
ああ、濾過もそういえばできたか 火起こしは弓でやるのかはたまた火打石か…… 邪馬台国が新潟あたりにあればアスファルトも使えるから水の容器とか石器の接着とかに使えて主人公も諸々の作業が楽になったんだろ…
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