第百九十五話 ★黒犬:継ぐ者、継がれるもの
◇【三野臣黒犬】視点◇
父上が、三野臣であった頃。
ひどく厳しい冬を迎えたことがあった。
畑の収穫は細く、
山の糧すら乏しかった。
三野の倉はすぐに底をつき、
春まで持たないと、誰もが思った。
そんな時。
父上は迷わなかった。
「出せ」
その一言で。
三野に連なる環濠から、
糧を集めた。
従わぬ者からは力で奪い。
守りきれぬ者を、切り捨てた。
それは、
実に厳しいやり方だった。
だが、それによって三野は、
確かにあの厳しい冬を乗り越えたのだ。
父上には、
人を従わせる力があった――
だが、その者たちが信じるのは。
三野臣高彦という、
ただ、一人の男だけなのだ。
* * *
「クロイ殿」
声に引かれて意識が戻る。
「城之越までの案内は、
我ら、青山に任せてもらうぞ」
青山之阿上と、青山之阿波根。
青山から来たのは、この二人だけ。
だが、知らぬ山道を進む我らにとっては、
何十の兵にも代えがたい。
「我ら波多も、微力ながら力になるぞ」
そう声を張るのは、波多之古鷹。
波多との関係も密になり。
名張との道も、こうして繋がった。
「こいつも、こっちでいいか?」
カゲハが、波多から運んできた籠を、
足元へ降ろしていた。
「ああ、そこへ頼む」
籠の中には、
穀や、干した食い物が詰められている。
遠征へ持ち出すというのに、
以前より余裕がある。
人が行き、物が交わり。
足りないものが、
外から届くようになった。
「三野は太くなったものだ」
今なら、しかとそう思える。
――――――――――
「クロイ殿! 来たぞ!」
環濠の外から声が飛んできた。
南の道へ顔を向けると、
最初に見えたのは、三つの輪。
三輪の旗が、春の木々の隙間から、
ゆっくりと姿を現した。
その隣には――
「隠……」
それは名張の旗。
兄、三野之荒鹿を失った、
あの戦で、初めて目に焼きついた印だ。
環濠から「人」も「糧」も消し、
我らの目を欺いた旗。
今、その後ろから長い人の列が、
次々と姿を現してくる。
その先頭を歩く男の姿も、
はっきりと見える。
三輪之真人――
その手には、
春の陽を鈍く返す青銅の矛。
あの三輪の槍は、
かつて、三野へ向けられていた。
それが、今では、
我らを助けるために駆けつけている。
「因果なものだな……」
「三野臣、お待たせいたしました」
マヒトが、私の前で足を止めた。
「此度の助力、感謝する」
三輪之真人の噂は、
行商の間からよく耳にする。
三輪君のもと、若くして頭角を現した、若き「玉」。
名張侵攻の折、私が兵を退くのが遅ければ、
この男の槍に討たれていたことだろう。
「では……」
マヒト殿は、三野や、波多の者たちを見渡して。
「我ら三輪は、うしろを守りましょう」
それだけ告げると、五十の兵を率いて、
自ら列の後ろへ向かった。
「……感謝する」
三輪の判断なのか、
この若き「玉」の判断なのかは分からない。
だが、もっとも多くの兵を持つ三輪が、
前に出ず、三野の背を守るという。
胸の奥に、わずかな熱が残った。
「準備万端ですね」
名張の童……イミナ殿が、
三野に並んだ荷を眺めながら呟いた。
「イミナ殿か……」
このような小さき者が、
病に沈んでいた名張を立てなおし。
兄上との戦をくぐり抜けて、
父上を三野から退け。
そして、今。
三輪と名張、三野に波多……青山……。
かつて、互いに距離を置いていた者たちが、
ひとつの場所へ集まっている。
その、きっかけを作った。
不思議な童だ――
「準備……」
ふと、一人の男の顔が浮かぶ。
三野之梟――
「…………」
目的のためなら、
人知れず、何手も先へ手を回しておく男。
城之越――
その向こう側に、
なぜか、あやつの影を感じていた。
「クロイさん?」
イミナ殿が、こちらを見上げる。
「……なんでもない」
フクロウが関わっている証は、
どこにもない。
ならば、口にすることはできない。
ただの予感だ。
外れてくれれば、
それに、越したことはない――
――――――――――
「それでは、行くぞ、皆のもの」
背後を振り返り、
大きな声を張り上げる。
為吾の山へ向けて――
三野の「三」。
波多の「波」。
名張の「隠」。
そして、三輪の「三つ輪」。
ひとつの道へ、
四つの旗が並んでいた。




