第百八十三話 鼓動編:道を選ぶための意思
アボたちの姿が、
森の奥へ消えていった。
あとに残されたのは、
木々の奥深くへと伸びる一本の獣道。
道というより。
深い森が、口を開けて、
待ち構えているようにすら見える。
そして、一陣の風が、
森の手前の枯れ草をざわりと揺らした。
――――――――――
「どういうつもりだ」
イワホコが、暗い森を睨む。
「ついて来い……という意味じゃろうな……」
シラガが渋い顔を浮かべた。
ここからでは、森の奥が、ほとんど何も見えない。
「このまま、皆で行くか?」
クロイが槍を握り直した。
「全員で入るのは、まずいと思います」
俺は、首を横に振る。
「なぜだ?」
「向こうからすれば、
攻め込まれたように見えるでしょう」
俺は、目の前の獣道を見る。
「それに、森へ入れば、数の利も失います」
「たしかに、三野の兵も、
名張の森にやられたばかりだったな……」
クロイは静かに頷いた。
「青山の森は深く険しい、
ならばこそ、俺が物見に出てもよいが」
カゲハが、前へ一歩前に出る。
「ええ、それが、一番良さそうですね……」
そう、口にしながら、
胸のどこに違和感が引っかかる――
「アボのおじさん、
皆に、ついて来いって言ってたよ?」
いつの間にか、
イミコが、すぐ後ろに立っていた。
「たしかに……」
* * *
青山臣阿保は、
なぜ、そんなことを言ってきたのか。
その目的はどこにある?
青山に数が居るならば、
我々を冬野で襲撃することもできたはず。
数に自信がないのであれば、
森の中に足を踏み入れるまで待ち、
そこで、襲撃もできよう。
こちらと事を構えるつもりなら、
この冬野に姿を現し、言葉を交わす利は少ない。
それなら、ここで姿を見せた、その意味は……。
* * *
「大勢を連れずに来てみろと、
そういうことではないでしょうか?」
「我らを、試しておると?」
「おそらく……」
確信はない。
でも、こちらを信に値する相手なのか、
見定めようとしている。
それならば、これまでの言動に府が落ちる。
「ならば、我らで森へ向かうのですか?」
ナトリが、あたりを見渡す。
クロイ。
シラガ。
俺。
そして――
「ナトリは、ここへ残れ」
クロイは、ナトリの話を遮った。
「なぜですか、兄上」
「もし、我らが戻らない時、
三野の地を誰が支えるのだ」
「…………」
ナトリは、一度だけ、
兄の向こうに広がる青山の森を見る。
「ここを頼む」
クロイが、さらに言葉を重ね。
「必ず、戻ってきてくださいよ」
「そのつもりだ」
クロイは、弟の肩を一度だけ叩いた。
「代わりに、カゲハを借りていくぞ」
「承知」
二人の背後で、カゲハが短く答えた。
――――――――――
そんなやり取りを見ていたシラガが、
ふと、タケへ顔を向ける。
「わしに何かあった時は、
タケ、おまえによろしく頼むぞ」
「おう、安心して、やられてこい」
「そこは安心して行ってこいじゃろう……」
「似たようなもんだろ」
そんな二人のやり取りに、
周囲から、小さな笑いが漏れていた。
「……では、名張からは、
イワホコを護衛につけようかのう」
「まかせておけ」
イワホコが、大きな斧を肩へ担いだ。
「あとこれは……イミナ、お前が持て……」
タケが、手を差し出してきた。
「笛ですか」
渡されたのは、使い込まれた骨笛だった。
何度も握られてきたのだろう。
骨の表面は、指の触れるところだけ滑らかになっている。
名張では、田でも、山でも聞き慣れた音。
「最悪の時は、それを鳴らせ」
「…………」
「助けに行けるとは言わねぇ」
タケは、俺ではなく青山の森を見ている。
「だが、死ぬことになっても、黙って死ぬな」
手のひらに収まるだけの骨笛。
それが、妙に重く感じた。
「分かりました」
俺は、腰へ、
しっかりと骨笛を結びつけた。
「にぃに……」
振り返ると、イミコが、
不安そうな表情で立っていた。
俺は、目線を合わせるようにしゃがむ。
「ここで待っててね」
「一緒に行けないの?」
「うん」
イミコは、俺の腰の骨笛を見ると、
それから森へ視線を向けた。
生きて戻れるかなんて、分からない。
それでも――
俺は、イミコの頭へ、そっと手を置いた。
「ちゃんと戻ってくるから」
「うん、まってる」
イミコは、しばらく俺の顔を見つめていた。
「こっちは俺らが守る、心配はするな」
「お願いします」
そうして。
俺たちは立ち上がった。
――――――――――
青山の森。
その獣道に辿りつくころ、
不意に、近くの木陰が揺らいだ。
「っ!」
即座に、カゲハは槍を構え、
俺も無意識に腰の骨笛へ手を伸びていた。
「待たれよ」
木々の陰から、
ひとりの男が姿を現す。
「……青山の……アガミ、さん……」
青山臣の背後に控えていた男。
「覚えていたか、さすが、
ナバリの童とでもいうべきか……」
そして、アガミの視線は、
俺から、シラガ、クロイと順に移り。
カゲハと、イワホコに視線が落ちた。
「彼らは護衛の者たちです」
「うむ……」
そう短く声を上げると、
アガミは、手に持つ槍を下ろし。
「奥へ、案内いたしましょう」
俺たちに背中を向けると、
青山の獣道へ、足を踏み入れていった。
「ただ、ひとつ……」
アガミは、背中を向けたまま、声をあげる。
「ここは、迷いの森、
くれぐれも道を外れぬよう……」
それだけを言い残すと、
アガミは、先を歩きはじめた。
「我々も、行きましょう」
俺たちは。
アガミの背を追って、
青山の森に、足を踏み入れる。
俺は、一度だけ背後を振り返えると。
青山の森に差し込む、
その細い光が。
ほんの数歩のうちに、
見えなくなっていった――




