第百七十二話 ★梟・山神之赤女
◇【三野之梟】視点◇
「ふう、そろそろのはずだが……」
ちょうどよい高さの岩へ、
我は、腰を下ろす。
名張でも、三野でも、阿閉でもない。
どことも知れぬ山の奥深く。
ここには人の住む竪穴もなく、
土を掘った環濠もない。
あるのは、木々の間に積まれた石と、
風を避けるために組まれた枝。
小さな焚き火の跡と、
夜を越すための寝床くらいのものだ。
木々の向こうから、
かすかに水の音が聞こえてくる。
あの川を下れば、やがて名張へ至る。
「梟さま」
声がした。
二人の男が山道を駆け上がってくる。
共に阿閉から逃れた、三野の者だ。
男たちは我の前まで来ると、膝をついた。
「どうだった」
「名張から三野へ続く道へ、
近いうちに大きな荷が通るようです」
「どれほどのものだ」
「詳しくは分かりませぬが、
一人二人で運べるようなものではないと」
「そうか……」
名張の道。
かつては獣と狩人だけが通ったような場所を、
今では人が歩き、荷が行き交っている。
「時は分かるか」
もう一人の男が頷いた。
「次の、三野の知らせが立つ時に……」
「そうか」
思わず口元が緩む。
愚かな童め――
道を作り、人と荷を行き来させる。
そのうえ、いつ荷が動くのかまでを
自らの手で知らせてくれる。
「道とは、まことに便利なものよのう」
我は二人の兵を見渡す。
だが、笑う気にはならん。
あの噂の忌み子たちが、
ただの愚かなだけの童であったならば。
我らが、ここに身を潜める必要などないのだ。
名張、三野、波多――
あの童が繋いだものは大きい。
だからこそ壊す価値もあるというもの。
――――――――――
「して、我らが高彦さまは」
そう尋ねると、
男たちの顔が引き締まった。
「依然、変わりありませぬ」
「昼は?」
「畑へ出ておられます」
「夜は」
「阿閉の者どもが、
日々、酒を振る舞っているようです」
「さようか……」
三野臣高彦さま。
かつて、三野を束ねていた御方であり、
今は、阿閉の環濠で食客として扱われている。
客――
その聞こえは良いが、
阿閉の狙いなど分かりきっている。
タカヒコさまから兵の心を引き離し、
力を削ぎ、ただの老いた男へ変えるつもりだ。
だが、高彦さまも、
その程度のことは分かっておられる。
畑へ出れば、身体は鈍らぬ。
酒を受け、笑っておれば阿閉の目も緩む。
「実に、タカヒコさまらしいのぅ……」
二人の兵も静かに頷いた。
我らは、まだ終わってはいない。
阿閉から逃れた三野の者たち、十四人。
たった、十四人だ。
名張を攻めるにも、
三野を取り戻すにも全く足りない。
だがらこそ、我は――
「おう、梟」
背後から濁った声がする。
「話はまとまったか?」
振り向けば、焚き火の向こうに、
獣皮を腰へ巻き、太い腕を晒した男が立っている。
山神之大石――
その横には、口元を歪めた山神之楔――
「今度も、たんまり稼がせてもらうからな」
「へっへっ、前みてえにちまちました話じゃ困るぜ」
そう言いながら、クサビは、
火で炙った肉を歯で引きちぎってみせた。
「でけぇ荷なんだろ?
そこに女でも乗ってりゃ、なおのこと――」
そこで、ひっひっと二人は笑いあった。
下衆どもめ――
「ああ、稼がせてやるさ。
きちんと我の指示に従ってもらえればな」
「分かってるって」
オオイシが笑う。
「荷さえ貰えりゃあ、こっちは、
誰を、襲おうが構わねえってもんよ」
二人の笑い声が、冬の森中へ響きわたる。
「おだまり――」
その声に、二人は動きを止めた。
焚き火の向こうから、
一人の大柄な女が歩いてくる。
肩から背にかけて、
獣から剥いだ分厚い白毛を覆いながら。
その赤い瞳で、
女は、こちらを見据えている。
「これは、山の神が直々においでとは……」
山神之赤女――
その生まれついた赤目は、
神の象徴と崇められているのだとか。
そして「山神四十八衆」を束ねる女長である。
「クサビ」
アカメの赤い瞳が、ぎらりと動く。
「女がいれば、なんだって?」
「い、いや……なんでもねえよ……」
クサビの表情からは、
先ほどまでの薄ら笑いが消えていた。
「オオイシ」
「お、おう」
「つまらぬ血で山を汚すようなら、
お前を山神様の贄にしてもよいのだぞ」
「…………」
オオイシは、
そのまま、固く口を閉じた。
アカメが、我に視線を戻す。
「あたしらは、あんたの手先じゃない」
「分かっておる」
「山の者に血を流させるのなら、
それだけのものを、きっちり貰うよ」
赤い瞳が、我を値踏みする。
「……無論だ」
アカメは、しばらく我を見た後。
「仕える山を間違えぬようにな」
それだけ言うと、
アカメは、焚き火の脇へ腰を下ろした。
この女だけは、
扱いを間違えてはならぬ――
――――――――――
我は、二人の三野の者たちへ、
視線を戻した。
道に、荷に、山神と――
駒は揃いつつあった。
「それで、肝心の……城之越はどうだ」
「…………」
男が、わずかに視線を落とす。
「申せ」
「それが――」
そんな山の者たちの声は、
冬の、森の中へと消えていった。




