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卑弥呼転生 ~妹を女王に、現代知識で邪馬台国を作る~  作者: 露李鈴
● 187年| 冬:九章「揺らぐ道」

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第百七十話  ヤナセ

 名張の新しい環濠から。


 人が消えた。



「あれ?」


 竪穴からは細い煙がのぼり。


 消えかけた炉には赤い火が残され、

 入口には薪が積まれていた。


 あたりに煮炊きの匂いも残っている。



「だれも、いないね」


「そうだな」


 イバラにノギ。

 ほかの者たちの姿もない。



 まさか逃げた――



「いや、役(えき)は終わっている……」


 ここに残ると決めたのも、

 彼ら自身だ。


 逃げる理由がない。


 そんな時。



「みんな、ヤナセのほうに行ってますよ」


 背後を振り返ると、

 縄を抱えた、ノギが立っていた。


「ヤナ、セ……?」


「え、あ……はい、すぐ、そこの川です」


「やなせ?」


 イミコも首を傾げた。



――――――――――


 冬の名張川へ向かう。


 その川沿い。


 すっかりと葉の落ちた樹木の隙間から、

 川面が見え隠れする。


 枯葉を踏むたびに、

 ぱりぱりと乾いた音が聞こてきた。



「ねえ、やなせって、なあに?」


「あ、えーっと、それは、

 簗(やな)のある瀬だから、ヤナセ……かな」


 しどろもどろになりながらも、

 ノギは説明をしてくれる。


「やなって?」


「魚を捕る仕掛けですよ」


「ふーん、じゃあ、おさかな……食べれる……」


 イミコの歩調が上がる。



「そういう土地の名前なんですか?」


「簗(やな)の瀬のほうって、

 みんな、最初はそう言ってたんですよ」


 ノギは苦笑する。


「それが、そのうち、ヤナセと……」


「なるほど」


 土地の名のはじまりなど、

 案外、そういうものなのかもしれないな。



「そういえば、ノギさんって、

 昔からイバラさんと一緒なんですよね?」


「まあ……長いですね……」


 背の低い俺にむかって、

 わざわざ視線を落としてくれる。


 ノギは、あの十人のなかでも、

 ずいぶん穏やかな人だ。


「なんだかんだで新環濠の皆さん、

 イバラさんのことを慕ってますよね」


「いや、そうでもないですよ、

 あいつ、偉そうだし、すぐ怒鳴るし……」


「ふふっ」


「笑わないでくださいよ」


 イバラのことを話す、

 ノギの口元は、わずかに緩んでいた。



「でも……」


 声が低くなる。


「俺たち、昔はもっと、

 大きな奴らの下にいたんです」


「大きな奴ら?」


「山神って呼ばれてる連中です」



 山神――


 その名には聞き覚えがあった。


 イバラたちを捕らえた時。


 このあたりで一番大きいという、

 野盗の群れ。



「あの山神ですか?」


「はい」


 ノギは、少し苦そうに笑った。



「俺たち、昔は、そこの下っ端だったんです」


 それから、

 また、しばらく歩いて。


「一度、山を越えて、

 奪った荷を運ばされたことがあって」


 ノギの縄を握る手に力がこもる。



「俺、途中で転んで、

 穀を全部、地面にぶちまけたんです」


「一粒残らず拾うまで戻るなって、

 他の皆は、そのまま、先に行っちまって」


「日が落ちて、暗い山道に、

 俺だけが残されたのが怖くて……」


「もう見えるわけないのに、

 帰ったら、また殴られるから、

 ただ、泣きながら穀を拾ってました」



「……かわいそう」


 イミコが、俺の袖をそっと掴む。



「そんなとき、イバラが戻ってきたんです」


「ひとりで?」


「はい」


 ノギは、小さく笑った。


「地面にしゃがんで、

 一緒に拾ってくれるのかと思ったら……」


「これで全部だ……って」


「まだ落ちてる穀があるのに、

 その時も、勝手に決めてしまって」


「らしいですね」


「でしょう?」



「そのあと、こっそり持ってきた食べ物を、

 俺にくれたんですよ」


「食え……って、ただそれだけ……」


 さらさらと川の音が聞こえてくる。



「だから、あいつが、

 山神を抜けるって言った時、

 俺は、ついていったんですよ……」


 そこで一拍。


「他の奴らも、まあ、似たようなもんです」



「でも……」


 俺は、昔のことを思い出しながら。


「名張に捕まる前は、

 また、山神へ行こうとしてましたよね」


「イバラが、今度はオレ様たちで、

 あいつらを食ってやるんだー……って……」


 ノギが苦笑する。


「だから、多少の無理をしてでも、

 俺たちは名張の道に手を出したんですよ。

 山神と並ぶための手土産に……」


「なるほど」


 あの時。


 皆が飢えていたくせに、

 妙に士気が高かった理由が、これか。



「死んだ奴も、いっぱいいます……」


 ぱきりと、足元で枝が折れる。


「俺たちのやってきたことは、

 許されることじゃないですけど」


 それには返す言葉はない。


「でも、俺たちを、

 あそこから連れ出してくれたのは」


 ノギは、前を向いたまま。


「イバラなんですよね」



「だから、名張に囲まれた時、

 誰も逃げようとしなかったんですね」


「怖かったですよ……」


 ぽつりと呟く。


「今だって、毎日が怖いです……」


「でも、あいつを置いて逃げるのだけは、

 嫌なんですよね」


 恥ずかしそうに、ノギは頭を掻いた。



 そんな時、

 木立が途切れて。


 冬の日差しが、

 川面いっぱいに弾けてみえた。



「おせえぞ、ノギ!!」


 川音を押しのける大声。


「道具ひとつ取りに行くのに、

 どんだけ掛かってんだ」



「イ、イミナさんたちがいたから」


「イミナだぁ……」


 膝まで水に入ったイバラが、

 こちらを睨んでくる。


 その横では。


 大柄な男たちが杭と枝で川の流れを絞り、

 その先の籠へ、流れを集めていた。



「なるほど、これが簗(やな)ですか……」


 俺は、川のふちに立ち、

 遠目に仕掛けの造りを確認する。


「子供は、そこで見てろよ」


 イバラが、

 得意げに鼻を鳴らす。



 それからすぐに。


「おっ!」


「入ったぞ!」


 水面にしぶきが跳ねる。


 籠の中で、

 銀色の魚が何匹も暴れていた。



「……わぁっ! いっぱい!」


 イミコは嬉しそうに手を叩いた。


「まだまだ……」


 イバラは籠から、

 魚を次々と掴み上げていく。


「冬は食えるもんが減るからな、

 取れる時に取っとかねえと困るんだよ」


 田畑に頼らず、

 山や川の恵みで暮らしてきた者たち。


 こうした川漁なら、那婆理の民よりも、

 手慣れているのかもしれない。


「いいかおまえら、俺らは、

 ヤナセで獲れるだけ獲って大きくなるぞ!」


「おう!」



 男衆たちが騒いでいる間も。


 名張川の冷たい水は、

 簗(やな)を越えて絶えず流れていた。



 誰かが名付けたわけでもない、

 その場所は、もう――


 ヤナセと呼ばれていた。


名張には、かつて「簗瀬(やなせ)」と呼ばれた地域がありました。


名張川に設けられた魚を捕る仕掛け「簗(やな)」が、その名の由来ともされています。

今回は、その「簗瀬」という地名の始まりを想像して描きました。

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