第百五十五話 創造の壱:まわらない石臼の重さ
ごりごり――
ごりごり――
炊事場の横にある空き地。
今日も男衆や、女衆が、
仕事の合間を見つけては入れ替わり。
石皿の上で、
小麦を磨り続けていた。
一人が磨石を置くと、
待っていた女衆が代わりに座る。
交代した者は、赤くなった掌を擦りながら、
痺れた指を何度か握り直していた。
「あまり無理をするではないぞ」
様子を見に来たシラガが、
声を掛ける。
「麦は、煮て食べてもよいのじゃからな」
「分かってますよ」
女衆は、苦笑しながら答えた。
そう。
小麦粉にしなくても、
麦は煮たり、粥に混ぜたりして食べられる。
生きるためだけなら、
腕を痛めてまで磨る必要はない。
ただ、炊事場から、
焼いた麦の香ばしい匂いが流れてくる。
「でも、やっぱり……」
ごり。
ごり――
磨石へ体重を掛けながら、
誰かが呟いた。
「あの小麦焼きの味が、
忘れられんのだよなあ……」
「そうそう」
「分かるわあ……」
あちらこちらから声が返ってくる。
誰一人、磨石を置こうとはしなかった。
その気持ちはよく分かる。
――――――――――
「にぃに、なにしてるの?」
振り返ると、イミコが、
俺の手元を覗き込んでいた。
「んー……粉挽きを、
少しでも楽にできないかなと思ってね」
「これを……使うの……?」
俺の前には、
二つの大きな石が重ねてある。
* * *
石臼――
下の石を固定し、上の石だけを回す。
二つの石の間へ穀物を噛ませて、
擦り潰して粉にする道具だ。
俺の頭にある「膨大な知識」には、
その完成形があった。
麦を落とす穴、まわすための柄。
中心をずらさないための軸。
そして、擦り合う面には、
麦を噛み、砕き、外へ送るための溝。
そこまでは分かっている。
だけど――
俺が形にできたのは、
二枚の石を重ね。
石器で、何本かの溝を、
なんとか刻んだところまでだった。
* * *
「よっと……」
上臼に両手を掛けて、
肩ごと力を込めて押し込む。
ごり――
「……重っ」
石の振動が、
掌から腕へ響いてくる。
腰まで使えば、どうにか回る。
ごり……
ごり……
だが、これでは、
磨石よりも遥かに疲れるだけだった。
「にぃに、たいへんそう……」
「うん……」
それでも何度か上臼を回してから、
石の縁へ目を落とす。
そこに、白い粉が落ちてくる――
はずだった。
ころん――
「あ」
転がり出た麦を、
イミコが拾い上げる。
小さな掌の上にある粒を、
二人で見つめた。
「まだ、むぎだね」
「そうだねえ」
わずかな傷が、
表面に付いただけだった。
「はぁ」
そのまま、俺は、
石臼の横へ腰を下ろした。
イミコも隣へしゃがみ込み、
石粉のついた俺の指を覗いていた。
「麦を潰すために石を強く重ねれば、
重くて回らなくなるし……」
「少し浮かせて軽くすれば、
麦が潰れず抜けてしまうんだよな」
そして、回しているうちに、
上臼が、下臼の中心からずれてくる。
「それに、この溝……」
俺は、上臼と、下臼の、
かみ合わせる場所に指先を這わせる。
麦を効率的に潰すため、
ここに溝を掘り、こすり合わせるのだが。
俺が実際に刻んだ跡は、
深さも、向きも、なにも揃っていない。
そして、溝は、何本あればいい?
どういう形に走らせる?
上と、下で、同じ形の溝でいいのか?
石臼の構造を知っているのに。
それを、実際に作るとなった途端――
「にぃにでも、わからないの?」
「実際に作るとなると、
分からないことばかりだな……」
俺は、苦笑いするしかなかった。
考えてみれば、石臼だって、
最初から俺の知る形だったわけではない。
誰かが作って、
それを別の誰かが使って。
それを、また別の誰かが手直しをして。
悠久の時のなかで多くの手によって、
少しずつ形を変えてきたのだろう。
俺が知っているのは、その長い流れの先にある、
ただ一つの形に過ぎないのだ。
「正直……」
かたわらの石器を握りなおす。
「こういう工作に、俺は、
向いてないのかもしれないな……」
不器用なつもりはない。
転生したばかりの時には、
ありもので、火起こしを急拵えもした。
粗雑でもいいなら、
それなりの加工もできるだろう。
だが、石の硬さや、
刃へ返ってくる手のひらの感触から。
次の一打を決めるような、
職人の手技となれば、話は別だ。
それは、知っているだけでは身につかない。
長く続けて蓄積した手業だけが、
それを形にできる。
「ほう」
その時。
背後から、
低い声が聞こえた。
「これは、なにを作ってるんだ?」
振り返ると、
イワホコが立っていた。
「えっと……石臼というものを……」
「いしうす?」
イワホコは返事を待たず、
俺ではなく、二枚の石へと目を落とした。
上の石を持ち上げると、
重さを確かめるように一度下ろす。
ごとん――
次に、不揃いな溝を太い指でなぞる。
ざらり――
傷ついた麦を一粒拾い、
指先で潰した。
「これは、二つの石を擦り合わせて――」
もう一度、石へ目を戻す。
「麦を潰すためのものか……」
しばらく、
イワホコは黙って石を眺めた。
やがて、口元へ、
わずかな笑みを浮かべる。
「おもしろいな」




