第百五十二話 秋の漆:七日の巡り
「市庭で、なにかありましたか?」
「名張の市庭は、満月の日に開くと、
そう決めておるじゃろ」
シラガは、白い髭を指先で撫でた。
「ところが、その日に、
上手く来られぬ者がおるのじゃ」
「……来られない?」
「先の市庭では、
波多から来た者が一日前に着いてのう」
老人の肩が、小さく落ちる。
「反対に三野からは、
市庭が終わった翌日に来た者もおった」
「本人たちは?」
「どちらも、その日が、
満月だと思っておったようでの……」
「みんな、おんなじ、おつきさま、見てるのに?」
イミコが首を傾げた。
「同じ……お月様、か……」
俺は、竪穴の入口から空を見上げる。
青空の端に、
白い月が薄く浮かんでいた。
満月は、どこから見ても同じ。
けれど、確かに目で見るだけでは、
今日なのか、昨日なのかまでは明確ではない。
雲に隠れる夜もある。
遠くから来る者なら、
月を見てから出発していては間に合わない。
「満月の日に集まるだけでは、
遠くの者には曖昧すぎましたね……」
「わしも、どうしたものかと思ってのう」
ふと。
壁に並ぶ木札へ、目が向いた。
一、二、三、四――
荷を数えられるなら。
日だって、数えればいい。
* * *
名張の山にある俺たちの小屋。
その近くに立てた若木。
地面へ長く伸びる影を利用した日時計。
その先へ小石を置き。
皆に教えたのは、
陽の影が巡る「時」まで。
日の巡りまでは、
まだ、教えるには早かった。
* * *
けれど、今では、
名張の暮らしにも「時」の感覚が馴染んでいる。
そして、山の向こうから、
人が同じ「日」に集まろうとしている。
「それなら、いい考えがあります」
ようやく、時が満ちたのだ――
――――――――――
俺たちは竪穴を出て、
名張の本環濠の外へ向かって歩いた。
これから、
市庭の中心となる場所。
積まれた石に、皮を剥いだ丸太。
掘り返された黒い土。
少し離れた場所からは、
木鍬を振るう男たちの掛け声が響いてくる。
「以前から欲しかったのですが……」
俺は、市庭の真ん中。
まだ何もない地面を指した。
「ここにも、
大きな日時計を立てましょう」
「日時計……山小屋に建てた若木のことか?」
「山小屋のよりも大きく、周りも整えて、
市庭の中心だと誰もが分かるものにします」
「ほう……」
シラガが、
何もない地面を見渡す。
「時を見るだけでなく、
市庭の目印にもするというわけか」
「はい」
まだ柱も、石の輪もない。
けれど俺には、そこに、
大きな柱の立つ姿が見え始めていた。
「これで、山小屋と、
名張の市庭で同じ時を計れます」
「それは、すごいのう……」
「でも、今回は、
その先まで進めようと思います」
俺は、足元へしゃがみ。
小石を拾って、
地面へ小さな輪を作る。
一の場所には、一つ。
二の場所には、二つ。
三、四と増やしていき――
七つ目には、七個。
「ななつ?」
イミコも隣へしゃがみ込み、
石を、ひとつずつ指で触れていく。
「今日が、ここ」
一個だけ小石を置いた、
はじまりの「一」の石を指す。
「明日は隣……その次の日は、また隣へ……」
最後には七個の石を並べた、
「七」の石の塊まで、ゆっくりと指を進めた。
「それで……ここまできたら?」
俺が言い終えるより先に。
イミコの指が、
ぴょこんと最初の石へ戻った。
「また、ここ?」
「そう、七日で、ひと巡りだよ」
「ひとめぐり……」
シラガも、
七つの石を何度か目で追った。
「では、市庭をひらく日を変えるのか?」
「いいえ」
俺は首を振る。
「市庭は、これまで通り、
満月の日です」
「なら、この七日は?」
「その満月が、いつ来るのか、
それを伝えるためのものです」
「たとえば、今日を『一の日』として、
次の満月が『二十七日目』とするならば」
俺は、指先で七つの石の塊を四度巡らせ、
最後に六の石で止める。
「次の市庭は『第四巡の六の日』となります」
「第四巡の……六……」
シラガが、
その言葉を口の中で転がした。
「そう伝えておけば、
月の形を見て迷わなくて済みます」
「なるほど……、
満月の日を数で示すわけじゃな」
シラガは、ゆっくりと頷いた。
「ちと複雑ではあるが……
慣れていけば、なんとかなるか……」
「おつきさま、やめないの?」
イミコが不安そうに俺を見上げる。
「やめないよ」
その頭へ手を乗せた。
「お月さまの日を、
もっと分かりやすくするだけだ」
「そっか……」
ほっと笑うと。
イミコは、
空に浮かぶ白い月を見上げた。
満月を捨てる必要はない。
そこへ、そっと「数」を添えればいい。
――――――――――
しばらく。
シラガは、七つの石を見つめていた。
やがて。
「……しかし」
市庭の外へ続く道へ、
ゆっくりと目を向けて口をひらく。
「これを名張で数えても、
三野や、波多の者には分からぬのでは?」
「はい。その通りです」
三野にも、三輪にも、
同じ巡りを数えてもらわなければならない。
「どうするの、にぃに?」
「考えがあります」
俺も立ち上がり、
道の先へ視線を向ける。
乾いた土の上を。
荷を背負った男が一人、
山の方へむかって歩いていた。
その先へ。
道は、三野へ、三輪へと続いている。
道は、人が歩くだけではない。
品が運ばれるだけでもない。
今度は――
道に「知らせ」を走らせるとしよう。




