第百四十八話 秋の参:広がる蜜蝋の可能性
炉には、まだ、
小さな火が残っていた。
その傍ら、俺の手元には。
蜂の巣から取り出したばかりの、
淡い黄色の蜜蝋がある。
鼻を近づければ、
まだ、かすかに甘い香りがした。
「して、この蜜蝋、何に使うのじゃ?」
シラガの視線は蜜蝋にむけられていた。
「いろいろとありますが、
まずは簡単な所から試しましょうか」
俺が用意したのは、
なにも入っていない小さな空の壺。
「さきほどの蜂蜜の壺、
蓋をしても隙間が生まれてましたよね」
「そうじゃな……」
「その隙間を蜜蝋なら塞げます」
俺は説明しながら、
手元の蜜蝋に、炉の火を近づける。
しばらくすると。
板のようだった蜜蝋が、
指で形を変えれるほど柔らかくなった。
親指で押すだけで、ゆっくりと跡が残る。
それを細く伸ばしていき。
蓋の周囲へ、ぐるりと押し込んでいく。
「これで隙間は防げました、
試しに、水を上から掛けてみましょう」
ざあっ――
壺に降り注ぐ水は、
蓋の合わせ目に染みることはなく。
蜜蝋の上を滑りながら、
そのまま、地面へ落ちていく。
「おおっ……」
まわりから感嘆の声があがった。
「壺の中も確認してみましょう」
そう言いながら、
俺は、蜜蝋を剥がして蓋を取る。
「ふむ……」
シラガは壺の底へ指を入れ。
何度か撫でてから、指先を確かめた。
「あれだけ水を掛けたのに、
濡れておらんな……湿りもない……」
「にぃに、すごい」
イミコも、興味深げに、
壺のなかを覗き込んでいた。
「それなら、これで、
実際に試してみてもらえるかのう」
そう言って。
シラガが蔵から持ってきたのは、
先ほど、タケが詰めたばかりの蜜壺だ。
「はちさんのおうちで……、
はちみつのおうちも、まもるの?」
作業の傍らで、イミコが首を傾げた。
「そういうことになるね」
思わず口元が緩めながら。
俺は、先ほどと同じように、
蜜壺の蓋を蜜蝋で塞いでいった。
「できました」
「ふーむ……これは見事じゃのう……」
シラガは、塞いだ合わせ目を指でなぞる。
まじまじと蜜壺を見つめていた。
――――――――――
「隙間を埋める以外にも、
蜜蝋の使いかたは、あるのか?」
後ろから、タケが呟いた。
「木材の艶出しや、保護ですかね……」
俺は、近くにあった木皿を手に取り、
柔らかくした蜜蝋を擦りこみ。
それから乾いた布で磨いていった。
そのたびに、ざらついた木肌へ、
淡い艶が浮かんでいく。
「わぁ、ぴかぴか」
「綺麗なだけじゃないよ、ほら」
一滴、木皿に水をたらす。
ころん――
水は、木に染み込まず、
小さな玉になって木皿の上を転がった。
「完全ではないですけど、
水が、染み込みにくくなりますね」
「ほう……」
シラガが木皿を傾けると、
水玉は、ころころと縁まで逃げていった。
「イミナ様……」
その様子を見ていたアサメが、
残った蜜蝋を、指先で軽く揉みながら。
「これ、もしかして、糸にも使えません?」
「糸、ですか?」
「例えばなんですが……」
アサメが、腰に下げていた
細い麻糸を取り出す。
それから蜜蝋を何度か擦りつけると。
手慣れた指の動きで、
蝋を塗った部分の糸をしごいていく。
飛び出していた細かな繊維が、
糸へ、まとまっていく。
「こうすれば、糸がばらけにくいし、
縫う時にもよさそうですね」
「アサメさま、これ、
もう少し薄くても良いかもしれませんね」
別の女衆が、すぐに糸を手に取った。
それから。
女衆たちは俺のことなど忘れて、
糸と、蜜蝋の使い方を話し始めていた。
その一方。
少し離れたところで、タケが、
蜜蝋の欠片を親指で何度も潰していた。
「タケさん……?」
「…………」
タケは、背中の弓を手に取ると、
指先で弦をなぞっていた。
弦の毛羽立ったところへ、
蜜蝋を擦りつける。
何度か指で馴染ませると。
毛羽立っていた繊維が、
タケの指の下で、まとまっていった。
ぎり……
最後に、タケは軽く弓を引き、
手ごたえを確認する。
「弓の手入れにも、よさそうだな」
弓弦か――
それは、俺には思いつかなかった。
「これで、しばらく使ってみるか」
タケが、もう一度、弓弦を引いてみせる。
「良けりゃ、他の者たちの弓にも使えばいい」
「そうですね」
俺は、ただ頷いた。
気づけば。
シラガは、別の蜜壺を手に取り、
その蓋を塞いでいた。
女衆は、糸をまとめ。
タケは弓弦を整えていく。
蜜蝋――
俺が伝えたのは。
そんなものがあり、
使えるということだけだ。
すると皆が考えはじめ、試し。
そこから、まわりに広がっていく。
その、一つ一つ。
ほんの小さな工夫でも。
これが積み重なっていけば――
いつか、名張を動かす大きな力に、
なっていくのかもしれない。




