第百四十五話 道の拾参:それぞれの道へ
「俺からも、ちょっといいかな」
声のほうに振りむくと。
三野への連絡に走ってくれた、
行商のナギトがいた。
改めてみると高い背丈に、
無駄のない筋肉。
その無駄のない身のこなしは、
やはり普通の行商人とは違って見えた。
「今回、三野まで知らせに走って頂き、
ありがとうございました」
俺は、改めて頭を下げた。
「いいってことよ」
ナギトは軽く手を振る。
「この名張の道が荒れると、
俺たち行商のほうも困るからな」
「ああ、それと……」
ナギトが、腰に下げた小さな袋へ、
そっと手をいれた。
「これ、渡しておくよ」
「これは……?」
俺の掌へ渡されたのは、
使い込まれた「古い石包丁」だった。
刃は、ところどころ欠け、
表面には、二本の平行な刻みが彫られている。
「伊賀の古い印だ」
ナギトは、その二筋を指でなぞった。
「伊賀……?」
思いもしなかった地名に、顔を上げる。
「俺は、伊賀の青山の生まれでな……」
青山の、伊賀――
そういえば、波多にいるカゲハも、
もとは伊賀の筋だったはずだ。
「今じゃ、俺も、こうして、
外で行商をして暮らしてるけどよ……」
「どうして、これを俺に?」
ナギトは、ふと顔をあげ、
空に視線を向ける。
「まあ、そんな、
大した物じゃねえんだけどよ……」
そう言いながらも。
俺の手にある石包丁へ、
ナギトは、一度目を落とす。
「もし、この先、おまえたちが北へ向かって、
伊賀の者と話すようなことがあったら」
「それを見せて、俺から貰ったと言えば、
なにかしらの役には立つだろう」
「なるほど……」
「少なくとも青山の者なら、
いきなり追い返したりはしねえさ」
「それは助かりますね」
古い石包丁。
二筋の刻み。
何人もの手を渡ってきたように、
欠けた石の表面は、角が丸くなっていた。
「ありがたく頂きます」
「また、この道を通ることがあったら、
名張にも寄らせてもらうよ」
ナギトは、小さく片手を上げて。
三野へ向かう一団のなかへ、
戻っていった。
俺の掌に残った石包丁が、
さっきより、少しだけ重く感じた。
――――――――――
「では、我らも行こう」
三野臣黒犬が、
男衆へ声をかける。
すでに傾き始めた陽は。
名張の環濠の橋の上へ、
その、長い影を落としていた。
「イミナ殿、今回の件は、
名張だけの問題とは思っておらぬ」
三野臣は、三野へ続く道へ目を向ける。
「道の守りについては、
三野でも、改めて考えてみるとする」
「ありがとうございます」
「また、何かあれば三野へ使いを寄越せ。
今度は野盗が出る前にな……」
三野臣が、静かな笑みを浮かべた。
「そうですね」
思わず、俺も笑ってしまった。
少し前までなら。
三野の者と、
こんな話をすることになるなんて。
想像もできなかっただろう。
「ではな」
三野臣が、大きく手を上げる。
止まっていた一団が、
一斉に、ゆっくりと動き始めた。
ざっ、ざっ――
いくつもの足が、
名張の道を踏みしめる。
三野の男衆。
その後ろには、
ナギトや行商人たち。
アラトと、その妻と娘の姿もあった。
「あっ」
すれ違う途中、
アラトの娘が振り返った。
右手に、母親の手を握ったまま。
もう片方の手を、
こちらに小さく振ってきた。
「ばいばーい!」
イミコも、負けじと小さな身体で、
両手を振って見送った。
――――――――――
「なんとか無事に終わったな……」
肩から力が抜けたように、
イワホコが、大きく息を吐く。
「ふん、なにが終わったものか」
タケは、野盗たちの竪穴のほうへ、
厳しい視線を向けていた。
「新しい環濠まで作ることになったし、
忙しくなりそうじゃの」
シラガは、困ったような、
それでいて楽しげな表情で髭を撫でる。
「そうですね……」
俺は、人のいなくなった道から、
名張へ視線を戻す。
環濠の中からは。
ごり、ごり、と、
石の擦れる音が聞こえていた。
「製粉も、なんとかしないとな……」
思わず息が漏れる。
「にぃに?」
隣から、イミコが、
俺の顔を覗き込んでいる。
「たいへん?」
「うーん、そうだねぇ……」
これからのことを考えると、
苦笑するしかない。
「かなり、大変かもしれないね」
「そっかぁ……」
傾いた陽が、イミコの頬を、
薄く赤く照らしていた。
イミコは、少しだけ考えてから、
いつものように笑った。
「それじゃ、みんなで、
いっぱいがんばろうね」
■ 186年:夏十一章「蠢く国々」 ~完~
次から、十二章「名張の実り」の物語が始まります。
市庭に、道、製粉、そして新しい環濠――などの様々な問題。
十二章では、これまでに手に入れてきた知恵や技術、人との繋がりから、
それらを改善し、名張の暮らしをさらに豊かにしていきます。
昨年より、さらに多くの人々に囲まれた名張が迎える秋。
お楽しみいただければ幸いです。




