第百三十七話 道の伍:★野盗のイバラ:森に響く声
◇【野盗のイバラ】視点◇
* * *
腹が減っていた。
物心ついた頃から。
いつだって、腹が減っていた。
オレ様が生まれた環濠の外には、
守ってくれる柵も、蓄えた穀もない。
飢えれば――
病めば――
そのまま、野たれ死ぬ。
そんな場所だった。
弱い奴は、強い奴に従うしかない。
殴られ、奪われ――
それでも、生きたければ、
耐えるしかなかった。
だが、いつまでも、
下にいるつもりはなかった。
一人。
また一人。
従う者を増やし、ようやく、
オレ様は奪われる側ではなくなった。
そんな時、山の向こうに、
ご立派な「道」とやらができた。
穀も、布も、土器も。
環濠の中で腹いっぱい食う奴らが、
道を使って、さらに豊かになっていく。
ふざけた話だ。
持っている奴から奪って、何が悪い。
これは、オレ様たちに、
ようやく巡ってきた機会なのだから。
* * *
「イバラ! 追手はどうする!」
「騒ぐんじゃねえ、ノギ!」
この集まりの中の最古参、
オレ様の、右腕を務める男だが。
どうにも肝っ玉が小さい。
「いつも言ってるだろ、
慌てる時こそ、冷静になれと……」
オレ様は、顔の入れ墨に、
ゆっくりと指を這わせて考える。
犬に怒声、木を叩く音。
だが。
聞こえた声は数人だけ。
「追手に、そんな数はいねえよ、
オレ様たちを川から追い払っただけだ」
人数がいるなら、そのまま、
相手は奇襲をかければよかったのだ。
だが、今、俺たちは誰も傷を負ってない。
それがなによりの証拠だ。
「くそっ、あのまま、川に向かっていれば……」
いや、もう言うまい……。
「とにかく、ここで立て直すぞ……」
オレ様たちの目の前には。
以前から集まる場所にしていた、
苔むした大岩。
こいつを背にすれば安心だ、
なにより、後ろを気にする必要がねえ。
「女たちは岩の前へ置いとけ、
縛ってるからって、
目ぇ離すんじゃねえぞ」
「へいっ」
場に見張りを一人残し。
オレ様たちは、
名張からの追手が来る森へ、槍を向けた。
――――――――――
「来たぞ」
視界の先で、木々が揺れた。
やがて姿を見せたのは。
男が一人、小僧が一人に、
さっきオレ様たちの襲った行商人が一人。
握っていた槍が、
ほんの少し軽くなった気がした。
「……くくっ、あれだけかよ」
出てきたのは、たった三人。
オレ様の読み通りだ。
「何の用だ」
なぜか、小僧が一歩前へ出た。
「荷については諦めます、
妻と娘、それと奴婢の方だけ、
返していただけませんか」
なんだ、この小僧。
他の大人を差し置いて、
なんで、こいつが話してやがる。
まあ、それだけ、
腰抜けしかいねぇってわけだ。
まともに戦える男もいねえから、
なら、話し合いで返してもらおうって腹か。
「頼む……!」
行商の男が、崩れるように膝をついた。
「妻と、娘を返してくれ……!」
「おとう……」
娘が、母親の衣を、小さな手で掴んだ。
父親の肩が大きく震える。
弱い奴が、強い奴へ頭を下げる。
その時の気持ちは、
痛いくらいに知っている。
オレ様も、昔はそうだった。
だからこそ、
二度と、戻る気はねえ。
「……どうする、イバラ」
ノギが、不安そうな表情を浮かべる。
どこまでも甘い奴だ。
「さっきは大勢の振りで脅しておいて、
今度は、泣き落としか?」
「頼む……どうか娘を――っ」
「ちっ、情けねえ男だ……」
コツ――
背後で、小石の転がる音が。
「……ん?」
後ろを振り返る。
ほんの、一瞬だけ。
「…………」
大岩に代わりはなく、
人質も変わらず、見張りも居た。
なにも異変はない。
「どうか娘をっ」
「うるせええええ!」
オレ様は、再び、正面へ向いた。
こいつらはもう頭を下げるしかない。
人質を返せだとか、
なにを、間の抜けたことを。
おまえらも捕まえて、その髄まで……。
「ぐあっ」
背後から絶叫が上がると同時に、
見張りが、地面へ崩れた。
一体、なにが――
「今だ」
大岩の陰から、
男たちが飛び出してきた。
その数は五人。
さらには犬まで連れてやがる。
――は?
女も、娘も、奴婢も、
まだそこに捕らえているのに。
それを遮るように。
たった数歩の間に、
五本の槍が並びやがった。
もう、人質に手が届かねえ。
「そのまま! 岩の後ろへ!」
女は、娘を胸元へ引き寄せると、
すぐに岩陰へ下がった。
奴婢も続く――
「て、てめえら……黙って見てねえで止めろ!」
オレ様の掛け声で、
皆が、女どもを追いかけようとする。
だが。
「それ以上、こちらに来るな!」
いきなり現れた男たちの槍先を前に、
おもわず、皆、たじろいだ。
行けねえ――
もう、人質には近づけねえ。
なんでだよ、どうして、
いつも上手くいかないんだよ。
「お、おい……イバラ、どうするよ……」
ノギが、隣で不安げな言葉を上げる。
「まだだ、後ろに五人……前には三人……。
数ではオレらのほうが……」
オレ様は、あらためて背後に振りかえる。
「な、に……?」
正面の木々が揺れる。
前にいた小僧と、
男と、行商の後ろから。
一人。
また一人。
さらに一人。
槍を持った男たちが、
森から姿を現した。
男たちは、迷いもなく、
それぞれの位置へ立ち並ぶ。
そして、最後に。
他の連中より、
頭ひとつでかい男が。
馬鹿でかい石斧を担いで現れた。
「なんだ、これ」
前にも五人、後ろにも五人。
なんで、こんな人数が居るんだ。
こんなの話が違うだろう。
さっきの猟犬、人の声、木を叩く音。
相手の人数が少ないと、
この、オレ様が、見破ったじゃないか。
いや、違う――
見破ったと、そう思わされたのか。
「……くそっ」
背中へ、冷たい汗が一筋流れる。
こちらに視線を向ける、あの小僧。
槍も、石斧も、持っていねえ。
なめやがって。
ただ立って、人質が岩陰へ下がるのを、
静かに見届けていやがる。
「イバラ……ど、どうする……?」
「うるせえ」
オレ様は、槍を強く握りなおす。
前には槍を構えた男たち。
後ろにも、槍を揃えた別の男たち。
人質は、もう大岩の向こう。
背中を守るはずだった大岩が、
今では、奴らを守る壁にしか見えねえ。
「相手が十、こちらが九、
どちらの数も同じようなもんだ」
さっきまで広かった森が、
急に狭く見える。
腹の底が、昔のように冷える。
「環濠で、ぬるく生きてきた奴らに、
オレ様たちが負けるかよ」
飢えずに暮らせる、
怯えずに暮らせる。
そんな機会が、
ようやくまわって来たんだ。
「奴らに教えてやれ、
山の、生きざまってやつをな」
こんなところで、
そう簡単に諦めてなるものか――




