第百三十五話 道の参:追跡するもの
「すべて、奪われてしまった……」
慟哭しながら掻いた土が、
アラトの爪に、黒く入りこんでいた。
俺は、そんなアラトの前に膝をつく。
「妻と娘さんは、
まだ、生きているんですね?」
「あ、ああ……そうだ、生きている……」
アラトは、その事実へ縋るかのように、
何度も激しく頷いてみせた。
「女子供は奴婢と一緒に、
縄を掛けられて山へ連れていかれたぞ」
見知らぬ行商人が、三野側の木々を示した。
「あなたは?」
「……俺はナギト、一人で行商をしている者だ」
男は、とても冷静だった。
「三野に用があってな……、
その行商たちの、すこし後ろを歩いていた」
先程、襲われたばかりだとは思えないほどに。
「野盗は十人ほど……」
「女と子供を連れ、奪った荷まであるのだ、
それほど早く進めないだろう」
「なるほど」
それならば。
まだ、追いつける可能性がある。
――――――――――
「大丈夫だ、傷は深くないぞ」
横では、猟師のトネが、
負傷した護衛の腕に布を巻いていた。
「ぐ、うっ」
布を締めるたび、護衛は歯を食いしばり、
声を漏らすまいと耐えている。
「名張まで、ひとりで歩けるか」
「はい、一人で戻れます。
俺のことは構わず、奥方たちを……」
護衛は、丈夫な枝を地面に突き立て、
よろめきながら立ち上がった。
「では、カヤさんは名張へ戻り、
イワホコさんに事情を説明してください」
今戦えるのは、タケ、ハヤト、トネ、カヤの四人。
野盗が十人いるなら、
さすがに数で圧倒されてしまう。
増援が必要だ。
「追跡と救出に必要な物も、
持ってきてもらうように伝えてください」
「イミナさまたちも、
先に、無茶はしないでくださいよ」
カヤはそう言い残し、名張へ駆けていった。
「ナギトさんは、このまま、
三野に向かってもらえますか?」
一人で行商をしているという行商人。
ナギトへ、そう告げる。
「三野臣黒犬殿へ、道で、
野盗が出たと伝えて欲しいのです」
名張の者ではない彼に、
こちらから命じることはできない。
「三野側へ逃げる不審な者がいないか、
道と、環濠を見張っていただきたいと」
「うむ、分かった」
ナギトは、そう頷くと、
三野へ向けて颯爽と走り始めた。
軽い身のこなしに、無駄のない動き……。
やはり、ただ者ではなさそうだ。
ただ、それでも、
三野の環濠までは片道で二時間ほど。
知らせを届け、人を整えて戻るには、
四時間は掛かるだろう。
――――――――――
「は、早く……野盗を追ってくれ……」
行商のアラトが、
ふらふらと、山林へ踏み出そうとする。
だが、力の抜けた足がもつれて、
身体が大きく傾いた。
「野盗を甘く見るな」
倒れる前に、
タケが、その肩を強く掴む。
「闇雲に森に入れば、
こちらが待ち伏せを受けるぞ」
「だが、妻と娘が!」
「安心してください、
この後、すぐに追いますよ」
俺は、アラトへ告げる。
「ですが、追いつくことと、
野盗との戦いを始めることは別です」
ひとつずつ。
「私たちが姿を見せれば。
野盗は、奥方たちへ刃を向けるかもしれない」
間違いのないように説明を重ねる。
「名張の援軍が来るまでは、敵の数と、
人質の居場所を確かめることに徹します」
「……ぐ、ぬぅ……」
アラトは、何かを言い返そうとするが。
「……わ、分かった……すまない……」
震える拳を握り込んだ。
――――――――――
それから。
俺たちは襲撃のあった場所にむかった。
「このあたりで俺達は襲われた……」
現場が近づくにつれて、
鉄のような血の臭いが混じり始める。
踏み荒らされた土。
折れた矢。
その先に、二人の護衛が倒れていた。
一人は道を塞ぐように、
もう一人は、山林へ手を伸ばすように。
二人は、もう動かなかった。
「すまない……」
「死者は、あとで必ず連れて帰る、
今は生きている者が先だ」
「そう、だな……」
アラトは、倒れた護衛へ深く頭を下げてから。
歯を食いしばって山林へ向き直った。
「見つけたぞ」
猟師のトネが、山林へ続く足跡を見つけた。
倒れた草を指で起こすと、
折れた茎には、まだ、白い汁が滲んでいた。
「男は十人ほど……、
それに、小さな足跡もあるのう」
ナギトの話とも、食い違いはない。
「足跡から匂いを辿れば、
うちのシロと、クロが追えます」
言うが早く、ハヤトが縄を短く持ち直す。
シロと、クロが足跡へ寄ってきた。
二匹は地面と風の匂いを探り。
やがて、同時に。
山林の奥へ強く縄を引いた。
「追えます」
その後ろで。
「イワホコなら、これで伝わる」
トネは、道端へ石を三つ積みながら。
一番上へ、山林の方角を示す、
折れ枝を置いていた。
そうして、俺たちは、
人が歩くために整えた道を離れ。
名張の木々の中へ、足を踏み入れる。
――――――――――
一歩、森の中へ足を踏み入れると。
葉が日の光を遮り、
湿った土に足裏が沈みこんだ。
山林へ入ってから、
誰も口を開かなかった。
聞こえるのは。
湿った土を踏む音と、
二匹の猟犬の荒い鼻息だけ。
やがて。
シロとクロが、
不意に足を止めた。
耳を立て。
木々の奥へ向けて、
低く喉を鳴らす。
「声を落とせ」
トネが、片手を上げた。
「近いぞ」
全員が、その場へ身を伏せる。
風の向こうから。
男たちの、
低い笑い声が聞こえてくる。
そして。
かすかな、
子供のすすり泣き。
アラトの息が止まる。
「……娘だ」
追いついた。
だが。
「この先には川がある……、
渡られれば、足跡も、匂いも途切れるぞ」
タケが、そう呟いた。
名張からの援軍は、
まだ、ここに届いていない。
だが、待っている時間もない。
さて、どうしたものか――




