第百三十四話 道の弐:環濠の外のもの
名張の男衆が、
騒ぎを聞いて駆けつけた。
「イミナさま、何があったんですか」
一人目は、出戻り組のカヤ。
槍を右手に走ってきた。
「タケ様、何事ですか」
二人目は、那婆理の若者ハヤト。
二匹の猟犬、シロと、クロを従えている、
「皆、無事かのう」
三人目は、年嵩の猟師トネ。
槍の他にも弓を背負っていた。
「争いは、イミナが収めた。
見事なものだったぞ」
「それは、よかった」
カヤたちも、
遠ざかる一団に視線をむける。
アラトの妻と、その衣を握る幼い娘。
親子を囲む三人の護衛。
その一団の最後尾。
奴婢の男が顔を伏せ、
赤く擦れた肩へ、重い荷を背負う姿。
「あの、それで、
奴婢というのは……」
俺は、先ほどの問いを、
改めて口にした。
「自分の田も、竪穴も持たず、
仕える主の命に従って働く者のことだ」
タケが、
遠ざかる男の背を見る。
自分の生き方を、主に握られた者。
奴隷に近い立場ということか。
「名張では見かけませんね」
「以前は、いたんですけどね……」
ハヤトが、
言いづらそうに答えた。
「以前、ああ……」
昨年の流行り病――
食べ物も休みも、
最後に回された者から。
命を落としていったのだろう。
「私や、イミコも、奴婢になるのですか?」
そんな俺の問いかけに、
タケは、こちらを見なかった。
ただ、槍を握る手に、わずかに力を込められる。
「今は違う……」
「以前は?」
「……おまえたち二人は、
名張の奴婢ですらなかった」
「奴婢ですらない」
タケの言葉を受けて。
一瞬、ぐらりと足元が揺れたような気がした。
「奴婢には自由がないのじゃが……」
トネが、低い声で続ける。
「環濠の内には寝床があり、
一族の者として外の脅威からは守られる」
「だが、おまえたちが居たのは山、
名張の環濠の外であろう……そういうことだ……」
タケは、背中を向けたままだった。
「そうですか……」
俺達は。
奴婢より上とか、下とか、
そういう話ですらなかったのか。
そもそも。
名張の者として、
数えられていなかったらしい。
「村から見れば、野盗と同じ……、
環濠の外の者ですね」
以前、名張の環濠から出たカヤ。
「俺たちも、村を出た時は、
ただの環濠の外の者でしたから」
気まずそうに付け加えた。
「そうですか……」
しばらく、誰も、何も言わなかった。
ただ、足元では。
拾いきれなかった壺の欠片が、
騒がしいくらい陽を受けて白く光っていた。
――――――――――
「あれ、それなら母は……?」
ふとした疑問が脳裏をよぎる。
「おまえたちの母も、
環濠の外の者であったな……」
タケは、遠い日を探るように目を細めた。
「どこから来たのか尋ねても。
ほとんど話そうとはしなかったが……」
「母と話したことが?」
「何度かな……狩りで得た肉を、
あの小屋へ持っていったこともある」
俺の記憶では。
あの小屋は、母と、俺たちだけの、
暗く閉ざされた場所だったが。
そこにも歴史の跡は残されているようだ。
「肉は、必ず両手で受け取り、
深く頭を下げてから、
まず、おまえとイミコへ分けていた」
タケは、道の先を見つめたまま、
ゆっくりと呟いていた。
「貧しいながら、所作が整っていて、
どこか生まれの良さが……」
そこで一拍。
「いや、なんでもない」
そこで、タケは口を閉ざしてしまった。
* * *
俺の身体に残された、
イミナと、イミコの母の記憶といえば……。
煙の染みついた小屋で髪を振り乱し、
俺たちを責め続けた女だった。
おまえたちがいなければ――
今でも、あの呪詛のような声は、
耳の奥深くに残っている。
だが、タケの記憶の中には。
人へ深く頭を下げ。
幼い俺たちへ肉を分けあたえる、
そんな、母としての姿があったのだという。
その、どちらが、本当の姿なのだろうか。
* * *
「お前が、奴婢のことを聞くからには、
何か意味があるんだろう」
タケは、こちらに振り向き、
俺の目を見ていた。
「そうですね……」
奴婢を買えば、
粉を挽く手を増やせる。
だが。
先ほどの奴婢の赤い肩。
磨石で赤くなった、昨日の俺の掌。
その二つが、頭の中で重なった。
立場の弱い者へ、その重い作業を移しても。
製粉に掛かる労働、
それ自体は何も軽くならない。
それではダメだ。
一人が背負う労働を、
根本から、軽くしなければならない。
要はつまり。
まだ、答えは見えないままだった。
――――――――――
そんな時。
シロと、クロが、
三野に繋がる道へ顔を向けた。
低く唸り。
続けて、
鋭く吠える。
その直後。
三野へ続く道から、
激しい足音が響いてきた。
三人の男が、乾いた土を蹴り上げて、
こちらへ走ってくる。
先頭は、さきほどの行商人のアラト。
その後ろには、腕から血を流す護衛が一人。
最後に、見知らぬ男が一人。
だが。
アラトの妻と、娘の姿がなかった。
奴婢も、荷も見当たらなかった。
「た、助けてくれ……」
行商人のアラトが。
先ほどまで言い争っていた道の上へ、
崩れるようにして膝をついた。
空になった両手が。
何かを掴もうとするように、
何度も土を掻く。
「野盗だ……!」
「野盗に襲われた……!」
「なんだと」
その場にいた全員の顔が、
一斉に強張った。
「護衛の二人が殺されて」
「妻と娘が――」
「奴婢も、荷も――」
「すべて奪われた――!」
アラトの絶叫が。
名張の道に響きわたった。




