第百二十六話 満月の下の市庭
月に一度。
満月を迎える日に開かれる市庭。
名張の村が、もっとも賑やかになる日。
「三野の干し肉だ! よく脂が乗ってるぞ!」
「波多の編み籠だ!
今回のは、持ち手が以前より違うぞ!」
朝から、市庭には、行商人たちの声が満ちていた。
筵には各地の名産品が並ぶ。
焼いた肉と、粥の匂い。
人々の笑い声が重なっていた。
「おお、ひさしぶりだなっ」
「おまえこそ、今日は、
なにを交換してくれるんだ」
これまでにも開かれた市庭。
そこで顔を合わせた者たちが、
肩を叩きあい、道や、故郷の話を交わす。
やり取りされるのは品だけではない。
噂と、人の縁も、結ばれていく。
そんな様子が、よく見て取れた。
――――――――――
「にぃに、あれ、きれい」
珍しい貝や、石を見つけるたび、
イミコは嬉しそうに俺の袖を引いた。
その中の一つ、緑色の腕輪が目をとまる。
「お、火の巫女様か、良いものを選んだな、
山向こうで採れる緑の石らしい」
初めて市庭を開いた時にもいた、
三野の行商人、カナメが声をかけてきた。
緑色凝灰岩だろうか――
こうした石の腕輪は、身を彩るだけではない。
魔除けとしても大切に扱われる。
「この肉と、二つ替えてください」
そう言って、
俺は、名張の燻製肉を差し出した。
「いいの……? にぃにも……?」
「同じ腕輪を揃えて付けておけば、
俺達が離れたとしても守ってくれるさ」
そういって、俺は、イミコに腕輪を手渡した。
俺自身も、右腕にひとつ、
その緑色をした腕輪を身につける。
「わ、わぁ……ありがとう、にぃに……」
イミコは、自分の腕に付けた緑色を、
太陽にかざして見惚れるように眺めていた。
ヒスイの首飾りほどではないが、
とても綺麗な輝きが、よく映えてみえる。
「こういうのは、やっぱり、
実際に作るのは大変なんですか」
「木や石、牙のような身近な材でも、
作るには結構な時間と手間がかかるな」
動物の牙を削った髪飾りを、
三野のカナメは、頭上高くに掲げる。
それは、細部まで研磨されていた。
「こういうのを自分の手で作り、
大事な相手に渡すのが伝統なのだが」
想う相手へ心を伝えるため、
長い日を掛けて、品を作る者もいるらしい。
「こうして市を通して品を手にすることで、
求める側も、作る側も、大助かりではあるな」
カナメは静かな笑みを浮かべた。
自分の手作業と、その品への自信があるのだろう。
「……でも、やっぱり、特別な想いは、
手作りの品を、贈ってほしいもんだねえ」
波多の女行商人、
ホナミが、隣から声をかけてきた。
「そういうものですかね」
そういう感情の機微は、
正直、俺には、よくわからない。
「自分のために作ったものが嬉しいもんさ、
ねえ、巫女様……?」
「……ぇ、あ……なあに?」
贈られた腕輪に夢中となっていた、
イミコは、話が聞こえてなかったようだ。
「いや、なんでもない……あたしの負けね」
ホナミは、俺に視線を向けて、
やわらかな微笑みを浮かべていた。
ちょっと気恥ずかしい。
――――――――――
それから日が暮れるころ。
今月の市庭も、無事に終わりを迎えた。
近くから来た者たちは荷を背負い、
それぞれの道へ、戻っていく。
一方、遠方から来た交易団は、
名張が新たに建てた竪穴へと向かった。
そんな時――
「この竪穴は、俺たちが先に入ったぞ」
「こちらには女と子がいるんだ」
男だけの交易団とは別に、
女や、子を連れた者たちの姿もあった。
いくつもの血縁が寄り集まり、
一族そろって、土地を渡り歩く者たちもいる。
一団ごとに固まり、
寝床へ荷まで持ち込まれたならば。
名張で用意した竪穴に、全員が収まりきらない。
「血縁の者たちは同じ竪穴へ。
男だけの一団は、場所を分け合ってください」
「よそ者と、同じ穴で寝ろと?」
いくつか不満の声があがった。
筋の違う者への警戒をする。
それは、あたりまえの感覚だろう。
「この場では、皆が、皆、よそ者ですよ、
今日一晩だけなのですから……」
「そうは言われても……」
だが、これほど強く拒む理由は、
それだけではないはずだ。
誰が火を扱い、誰が荷を守り、
誰の言葉に従えばよいのか。
それが決まっていないことこそ、
皆が、不安になっている。
「みんな、けんか、しないで……」
イミコが声をあげた。
「関係ない奴は、黙って……あっ……」
感情が昂っていた一人が、
怒声を浴びせた相手に気付き、
はっと息を呑み、その口を堅く閉じた。
相手が、火の巫女だからではない。
こんな、ちいさな女の子を相手に、
怒鳴り散らしていたことを恥じたのだろう。
とにかく。
いくら言葉を重ねても収まらなかった声が、
イミコの一言で、ひとまず止まった。
――――――――――
「はてさて……これから、どうしたものか……」
言い合いこそ止んだ。
だが――
誰も、荷を外へ出そうとはしない。
誰も、見知らぬ土地の者と眠ろうとはしなかった。
東の山の端から。
月に一度の市庭を告げる満月が、
ゆっくりと昇り始める。
夜は、もうすぐ、そこまで来ている。
それなのに。
今夜、誰が、どこで眠るのか。
それだけのことさえ、
何ひとつ、決まっていなかった――




