第百二十五話 黄金の実り
ざりっ――
乾いた茎を束ね、石刃を引く。
支えを失った麦が、さらりと音を立てて腕の中へ倒れ込んだ。
「今年は、豊作になりそうですね」
三輪から帰ってきた俺達を迎えたのは、
どこまでも黄金色に輝く、麦畑の実りだった。
風が吹くたび、細い穂が波のように揺れる。
その向こうからは、
人々の声と、木を打つ音が絶えず届いていた。
「にぃに、また、ほどけちゃった……」
振り返ると、イミコが麦束を抱えている。
困ったように眉を下げていた。
「ここを押さえて、こう、
一度、回してから締めるんだ」
俺は、隣へしゃがみ、縄の掛け方を見せる。
「ここ……?」
「そう、そのまま」
イミコの小さな手を借り、麦束を結び直す。
今度は、持ち上げても崩れなかった。
「……できた」
イミコは嬉しそうに頷き、
次の麦束へと、向かっていった。
「おい、あれって、噂の火の巫女さまじゃないか」
「なんだい、いい子じゃないか」
市庭に向かう旅人たちが、
田畑の俺達の姿を見て驚きの声をあげる。
火の巫女と呼ばれていても。
名張では、イミコも畑で働く一人だった。
トントン、トン――
麦畑と道を挟んだ、反対側では、
多くの新しい竪穴の建設が進んでいた。
場所は、名張の環濠の橋を出てすぐ。
市庭が設けられる場所、そのむこう側となる。
市庭に訪れた行商人たちが、
安心して夜を越せるようにするための竪穴である。
「前回、来た時は野宿していったが、
今回からは竪穴でゆっくりできそうだな」
「そのためにも、いっぱい品で稼がなきゃいけねえや」
行商人たちの笑い声が聞こえてくる。
三野と、名張の道は、
そのすべてが完璧に整えられたわけではないが。
すでに多くの行商人が、その道を行き交っていた。
――――――――――
「そこは特に気を付けるんだ」
新しい竪穴を建てる男衆の中から、
イワホコの声が、ひと際目立っていた。
名張村の環濠の外。
広くならされた土には、
いくつもの柱穴が掘られており。
すでに、梁の上では、
男たちが屋根材を留め始めていた。
「そこでは、雨が、すべて竪穴へ流れ込むぞ!」
イワホコが斜面へ線を引き、水を逃がす溝の位置を示す。
その線を、男衆たちが木鋤で掘り起こしていく。
「名張の雨は、山から一気に落ちてくるからな、
先に、大きな水の逃げ道を作るんだ」
作り慣れた竪穴であっても、
イワホコは、一つずつ声に出して教えていた。
技は、そうして、次の者へ受け継がれていく。
「やはり、名張のことは、その土地の者に聞くべきだな」
三輪から遣わされている男衆たちも頷き、
すぐに、石鍬を振るい始める。
三輪の者たちは、名張を学び。
その一方では。
「ああ、屋根の草は、下の方に厚みをもたせるんだ、
そうすると重みが掛かり、縄も食い込む」
「ふむ、なるほど……こうか……」
三輪の誰かの声を受けて、
イワホコは、縛る縄をやり直して見せる。
名張の者たちは、三輪から技を学ぶ。
そこに上下の立場はなかった。
三輪の技と。
名張の土地で生きてきた知恵。
それぞれが、一つの村の中に息づいていた。
「病に侵されていた頃が信じられないほどに、
名張は、にぎやかになったのう……」
田畑のあぜ道に、シラガが見回りに歩いてきた。
「そうですね、麦のほうも、こんなに豊かに実りました」
俺は、再び腰を落とし、石刃を麦の根元へ当てる。
ざりっと切り、それらを縄で束にまとめる。
「うむ、見事な手際じゃ……」
そんな俺の様子を、シラガは満足そうに眺めていた。
――――――――――
「にぃに、また、あたらしい人がきたよ」
イミコが、市庭へ続く道を指差した。
その先では、大きな荷を背負った者たちが、
また新たに名張へやってきた。
名張の市庭には、前回をさらに上回る、
人と、荷で溢れかえっていた。
「市庭の噂が、遠くまで届いたんだろうね」
「……みんな、たのしそうにわらってる……」
イミコは、素直に嬉しそうだった。
人が集まり、品が集まり、
新しい竪穴が建てられていく。
三輪で語った未来の繋がりの話は、
もう、すでに名張の上で形になり始めていた。
「次の市庭までに、あと、三つは建てるぞ!」
遠くむこうから、イワホコの声が聞こえてきた。
「イワホコ、さすがに三つは無茶だぞ」
まわりの男たちは苦笑しながら、
それでも、笑顔で身体を動かしていた。
「いずれ、ここも囲うことになるかのう……」
シラガが隣で静かに言った。
「柵をですか?」
「柵もそうだが、それだけではない」
シラガは広く整地された土地を見渡し。
そして、足元の土を踏みしめた。
「ここに人が住むなら、
濠も、必要になってくるからのう」
シラガの言葉に、風が吹く。
黄金色の麦が一斉に頭を垂れた。
「名張の村の、ふたつめの環濠ですね」
三輪も、三野も、いくつもの環濠があり。
その環濠を束ねる長がいる。
それらの長を束ねる者が「臣」と呼ばれた。
「胸を張って名張臣と名乗れる日が、
また、くるとはのう……」
シラガは、その目を細め。
どこか遠くを見つめるように、
新しい竪穴が建っていくようすを眺めていた。
その向こうで。
新しい柱が、一本。
また一本と、名張の空へ立ち上がっていく。
小さな名張の外側に。
もう一つの村が、生まれようとしていた――




