第百二十四話 繋がる道の先へ
朝靄のむこうに。
今日も、三諸山が静かに浮かんでいた。
「みわのくに、たのしかったね」
「そうだね」
三輪の正堂で話をしてから、数日。
すっかりと、
旅の疲れも取れていた。
「明日には名張だな」
タケが、三輪の東。
山の向こうへ、視線を向ける。
三輪の環濠に架かる橋の手前には、
名張へ戻るための荷が、まとめられている。
来た時よりも、荷は少なくなっていた。
――――――――――
「お待たせいたしました」
その声に、俺が振りかえると。
薄い木札を手にした、
三輪之真人の姿があった。
「こちらをお持ちください」
手にした木札を、俺へ差し出した。
「これは……」
薄い板の表面に。
鮮やかな赤で、
ひとつの字が記されている。
隠。
名張の印。
その赤は、俺達が、
加茂から持ち込んだ丹だった。
「名張の市庭へ掲げるようにと、
三輪君からです……」
「ありがとうございます」
俺は、両手で、木札を受け取った。
ただの目印だった「隠」の字が、
加茂の丹で記され。
三輪君に、正式に認められた。
「にぃに」
イミコが、横から木札を覗き込んだ。
「なばりの、じ、あかくなったね」
「ああ」
「かもの、あか?」
「そうだよ」
イミコは、赤い字を見つめる。
「この印を、名張のものだと、
三輪の人たちも認めてくれたんだ」
木札は、名張へ持ち帰る荷の上へ。
大切に結びつける。
「もう、俺たちだけの印じゃないんだ」
――――――――――
そして、頭上高くに日が昇るころには、
出立の支度が整った。
俺とイミコに、タケ。
そして、二人の那婆理の民。
三輪の案内役を先頭に。
環濠の橋の前へと並んだ。
「まひと、またね」
「はい」
マヒトが膝を折り。
イミコと、目の高さを合わせた。
「次は、名張の市庭にて」
「うん」
マヒトは膝を折った姿勢のまま、
隣にいる俺へ視線を向けた。
外の者たちが、イミコへ向ける目も、
少しずつ変わり始めていた。
「それでは、道中お気をつけください」
マヒトは立ち上がり、笑顔で告げた。
「はい。また、名張で」
俺たちは振りかえり、
三輪の橋を、渡っていく。
板を踏みしめるたび。
ぎしり、ぎしりと。
板の鳴る音が、足の裏へ響いてくる。
橋の下では、来た時と変わらず、
環濠の水が静かに揺れていた。
橋を渡り終えたところ。
「道の話をしに来たはずが、
倭の国々を繋ぐ、大きな話になったな」
タケが、深く息を吐いた。
「俺も、そこまで話すつもりは、
なかったのですが……」
「おまえが、口を開いたからだろうが」
「それは、そうなんですけどね」
「にぃに」
イミコが、俺と、タケを交互に見上げた。
「いっぱい、おはなしできたね」
「……そうだね」
俺が苦笑すると。
イミコも、楽しそうに笑った。
前回、三輪へ来たのは、
名張が生き延びるためだった。
だが、今回は。
名張から始まったものを、
どこまで外へ繋げられるかを、考えていた。
――――――――――
俺たちは三諸山を背にして。
名張へと続く道を歩いていく。
やがてこの細い道を、多くの人と、品が、
行き交う日を思いながら。
荷の上では。
丹で記された「隠」の字が、
春の光を受けて静かに揺れていた。
ちいさな山村の名は。
道の先へ。
確かに届き始めていた――
■ 186年:春十章「繋がる名張」 ~完~




