第百十八話 三輪の参:道で築かれる安全圏
「タカヒコの倅が、
三野臣を継いだと聞いたが……」
「波多と、三野の民が推し、
クロイ殿が受けたとのこと……」
三輪君の言葉に、
俺は頭を下げながら、事の顛末を伝えた。
「まあ、それはよいのだが……」
三輪君は、一拍置いてから。
「その、三野らと道を繋ぎ……市庭と申したか、
妙な場を作ったそうではないか……」
さしたる興味の無さそうな物言いだが、
その名前まで、しっかりと覚えているようだ。
「三輪からの絹と、塩の評判も上々であり、
三輪の品が並ぶことで市庭の信用も高まってます」
「それは、何よりだが……」
三輪君がまんざらでもない表情を浮かべる。
「これで三輪の権威も、ますます広がることでしょう」
「市場も、なかなかのものだな……」
正堂にいる、まわりの者たちの間に、
ざわめきが起きはじめた。
市庭の評判は上々である。
――――――――――
「そこで、お願いがありまして」
俺の声に、まわりのざわめきは、
一気に静まり返った。
「申してみよ」
「名張から、三輪までの道のりにおいても、
同じように整えたく思います」
俺の言葉に、三輪君は目を細める。
「三輪から名張……さらには、三野までが繋がれば、
交易は、ますます盛んになるかと」
三輪君は、右列へ顔を向けた。
「マヒトよ、榛原の者どもにも話を通しておけ」
「承知いたしました」
マヒトが深く頭を下げた。
その言葉ひとつで、すべてが決まる。
多くの者たちが従い、
その、全てが動き始める。
これこそ、三輪君たる力――
――――――――――
「さらに可能であれば……」
「まだあるか」
「三輪よりも、さらにその先、
外の環濠まで道を伸ばせればと……」
「外へ、か……」
先程の快諾とは違い、
三輪君の言葉は重たかった。
「西の内海に道が繋がれば、
遠方の品々が、今以上に集まりましょう」
この時代の大きな移動や、物資の輸送には、
海路が主に利用されているはず。
* * *
整備されてない道を、
素足で歩く徒歩の強行軍。
牛や、馬もない時代において、
陸路は遅すぎるのだ。
そのため。
海の向こう……、
大陸からの交易品はもちろんのこと。
倭の西側と繋がる交易品なども、
その多くは、海を通って流れてくる。
* * *
つまり。
海路と道が繋がることによる、
利は、想像を絶するものとなるはずだ。
「うーむ……」
三輪君は、太い腕を組んで目を閉じる。
その利を解っているのだろう。
だが――
「道は、品を運ぶが……兵も運ぶからのう……」
これまでにも「道」はあったが、
それらは、環濠内に作られるのが常識であった。
環濠の外を道で繋ごうとしない理由。
それは、まさしく、
戦に直結するからに他ならない。
「大伴や、紀なんかと道を繋げば、
品よりも先に兵が乗り込んでくるだろう……」
「それならば、まず、我ら、
阿倍の環濠まで伸ばすのがよろしいかと」
左列から、阿倍臣が口を挟んできた。
「うむ、まずは、阿倍の環濠とまでを繋ぐしよう」
「承知いたしました」
阿倍臣は口元を緩ませていた。
以前、飄々とした感じで話しかけてきて、
気さくな雰囲気を醸しながら。
やはり、なかなかに抜け目のない男である。
――――――――――
「最後に、市庭の場所について……」
俺は、みずからの不利な話題を、
あえて持ちだした。
「三輪に市庭を設ければ、
より、大きな場を作れるかと存じますが……」
市庭の開催される場所には、
人が集まり、品が集まり、賑わいが生まれる。
その旨味は、誰もが欲するもの――
だからこそ、ここで。
その話を固めておく必要がある。
「三輪は、北に、西に……敵が近すぎるゆえな……」
名張は山に囲まれており、
その両端には友好関係にある三野と、三輪がある。
名張のほうが市庭を守りやすい。
それは、誰の目にも明白だった。
「市庭は、名張がよかろうな……」
三輪君は、ため息交じりに答えた。
「承知いたしました」
俺は、深く頭を下げる。
「引き続き、名張が市庭は預かり、
その責を負いたく存じます」
これで、市庭の場は、
三輪君から名張に任されたことになる。
この言質を取り、まわりの者たちを証人とした。
それが名張の大きな利となる。
さらに、もう一歩。
「ですが、名張だけでは、
柵を整える材も、荷を守る者も足りませぬ……」
「どこまでも貪欲よのう……」
「私は、皆の市庭として、
一緒に盛り上げていきたいだけでにございます」
「ものは言いようじゃ」
三輪君は、小さく鼻を鳴らした。
「よかろう。必要な材と守り手は出してやる、
三輪にも利が大きいからな……」
「ありがとうございます」
「まったく、白々しい童よ……」
正堂に、小さな笑いが広がった。
さすがに俺の意図は見透かされていたようだ。
だが、その言葉に嘘はない。
三輪に、名張に、三野に加茂……。
それら、すべてに、
利をもたらす話なのだから。
* * *
環濠という「点」と「点」を、
道で結ぶことにより「線」が生まれる。
そうして生まれた「線の内側」は安全圏となり。
それらの線は相互利益の関係を築くことで、
どんどんと広げることができる。
その、むかう先は――
奪い、奪われのない平和な世界。
暴力による負の連鎖にも、
終止符を打つことができるはずなのだから。
* * *
「……で、話しは変わるのだが」
三輪君が、不意に口を開いた。
「名張では『字』なるものを扱っておるそうじゃな」
「字、ですか……たしかに用いてますが……」
その瞬間――
正堂が、静まり返る。
阿倍臣の表情から笑みが消え。
マヒトも、右列の末で姿勢を正していた。
字。
なぜ、その一言で。
これほどまでに、場の空気が変わるのだ――




