第百十六話 三輪、ふたたび
青く澄んだ空の下。
深い緑をまとった山が、
広い平野の向こうにそびえ立つ。
三諸山は変わらぬ姿でそこにあった。
「……みわだ」
隣を歩く、イミコの声が弾む。
山道を超えて平野になってから、
背負いから降りて、自分で歩きはじめていた。
「にぃに、みわ、ついたね」
「ああ、ようやくだな」
加茂の環濠を発ってから、
二日をかけて、ようやく三輪へたどり着いた。
視界に広がる田の向こうには
幾筋もの煙が立ちのぼり、
人と、荷が、絶えず環濠を行き交っている。
以前と変わらぬ、その大きさに圧倒される。
だが、今回の俺たちは、
以前と違う。
三野との戦による勝利。
環濠を繋げる道と、その市庭――
そして、加茂の丹――
三輪君へ示せる手札が、
今回、俺たちの手元に幾つもある。
そう思うと胸が熱くなる。
三諸山に近づくほど、
胸の鼓動が早くなっている。
――――――――――
三輪の環濠へ架かる橋。
「三輪之真人である、三輪君の命により、
名張村の皆さまをお連れした」
「おかえりなさいませ、マヒト様、
君より、言伝がございます」
マヒトにだけ聞こえるように言葉を告げた。
「……三輪君との謁見は明日になるそうです」
「明日ですか」
前回のように、到着すれば、
すぐにでも謁見をするのかと思っていた。
道中で整えていた言葉が、
俺の頭の中で、わずかに揺らぐ。
「丹の小壺は、こちらで預かりますね」
三輪の者たちが、
荷から小さな壺を慎重に取り上げる。
「おおまかな話や、加茂と丹のことなどは、
私から先にお伝えしておきます」
「そうなのですか……」
「私も今聞いたのですが、明日の集まりは、
身内による小さなものになるそうで、
肩の力を抜いてください」
「前回の三野の謁見、あれは、
規模的に大きいものなのですか?」
「あの時の謁見は、周囲の環濠の臣も集まる、
三輪でも特に大きな会合でした」
「なるほどう」
そんなところに呼び出されていたのか。
知らなかったとは、空恐ろしい。
名張との初対面において、
敢えて、その日を選んだのかもしれない。
そして、今回。
身内だけの集まりならば。
「前回よりも踏み込んだ話が、
三輪君とできるかもしれませんね」
「君も、それを、望んでいるのでしょう」
マヒトが笑顔を浮かべる。
端正の整った切れ長の目に、年頃の綺麗な肌。
これはなかなかの人たらしかもしれない。
「それでは、後ほど」
「はい。よろしくお願いします」
マヒトと、その他の三輪の者たちは、
環濠の奥へと向かった。
その背中は、すぐに、
三輪の人波へ紛れていった。
――――――――――
「それで、今日はこちらに泊るわけですが」
三輪に用意された竪穴に、俺達はやって来た。
「にぃに、ここ……まえも、ねたところ」
イミコは目を輝かせる。
「よく覚えていたね」
「うん。わら、ふかふかだった」
竪穴の奥へ進んだイミコは、
厚く敷かれた藁を、ちいさな手で押す。
「やっぱり、ふかふか」
ふわりと沈むのを確かめると、嬉しそうに笑った。
「外からの客へ、この広さか……」
タケが、太い柱と壁を見まわす。
以前と変わらず、名張の竪穴より広く、
寝床の藁も厚くやわらかい。
炉の脇には、薪と、水まで用意されていた。
「三輪に来るのは初めてなんですか?」
「那婆理の筋は三野、阿閉側だからな……」
つまり、過去に三輪と敵対勢力側であったわけだ。
「シラガのじっちゃん、なんで、こなかったの?」
イミコが首を傾げる。
「三輪の方が、我ら那婆理を選んだと聞いたが……」
「気になりますね」
三輪が、那婆理の王を指名した。
それなら目的もあるだろう。
「三輪に、すべてを話すつもりか」
タケが壁へ背を預けた。
「隠しても三輪なら自分で調べるでしょう、
名張のユラさんからも、話は聞いてるでしょうし」
「……まあ、そうだな」
「嘘はつきませんが、
当然、何を話すかは選ぶつもりです」
「言葉の戦というわけか」
タケが鼻を鳴らす。
そう、これは戦。
その緊張に今から手が震えている。
「ひさしぶりの、みわのじいちゃん」
後ろから、イミコの楽しげな声が聞こえた。
藁の寝床へ座り、足を揺らしている。
「イミコは、三輪君が怖くないの?」
「こわくないよ……、
ちゃんと、おはなし、きいてくれる」
イミコは、柔らかく笑った。
「それは、たしかに……」
すっと身体の緊張が和らいだ。
やはり、イミコは、
物事の本質を見通している。
そう、三輪君は理に重きを置き、
三輪の利を見極める相手だ。
つまり、話が通じる。
それなら、あとは、
きちんと理を重ねるだけでいいのだ。
――――――――――
「正念場だな」
タケが、入口の外へ目を向けた。
頭上には日の傾きはじめて、
ゆっくり、赤みを帯びてきた三輪の空。
その下に、三諸山は静かに立っている。
山は、以前と変わらず、そこにある。
変わっていたのは――
あの頃よりも、
ずっと、多くのものを背負って立つ。
俺のほうだったのかもしれない。




