第百十五話 ★瀬渡:散り散りの伊賀
◇【伊賀臣瀬渡】視点◇
「さてどうしたものか」
ぱちり、と細い薪が爆ぜた。
目のまえ椀には、
底が見えるほど薄い粟の粥。
竪穴の隅には、阿閉の環濠で泥を掻きだした籠。
そして、獣の血に染まった石刃。
阿閉に穀を納めたうえで、
さらに重い仕事まで押しつけられている。
貧しくて辛い日々。
それが、伊賀の現状である。
――――――――――
「南の三野と手を結び、阿閉を討ちましょう」
隣に座る長男、伊賀之火子が迷いなく答えた。
阿閉の環濠で泥をさらってきたばかりの、
その太い腕には、まだ乾かぬ泥が、こびりついている。
「迂闊なことを口にするでない」
「されど、このままでは――」
「父上、兄上……」
入口の筵が上がり、冷たい夜気と共に、
次男の伊賀之水瀬が入ってきた。
夜露に濡れた裾を払いながら、静かに炉の前に膝をつく。
「三野の、元の臣から、使いが届きました」
「タカヒコか。で、その内容は……」
「今は阿閉の食客として身を寄せているが、
三野の臣はいまだタカヒコ様にある。
「時が来たならば、力を貸してほしい、と……」
「また、勝手な話を……」
三野を取り戻すか、否か。
内輪で勝手にすればよいことだ。
伊賀には関わりのない話。
「だが、無碍にもできぬか……」
タカヒコには名も、兵も残っているのだ。
「それから、阿閉臣からの使いも届いてます」
「申せ」
「タカヒコ様が連れてきた三野の兵、
その一部を、我ら伊賀の環濠へ回すとのことです」
「おお、人手が増えるのは助かるな」
隣で、ヒコが表情を明るくした。
「兄上、ことは、そう単純ではありません」
ミナセはため息交じりに説明をはじめる。
「阿閉は、タカヒコ様への信が深い者を、
我ら伊賀へ分けるつもりでしょう」
「……なぜ、そのような真似をするのだ?」
ヒコは、腕を組んで首を傾げた。
「タカヒコ様と兵を切り離し、兵同士も散らす。
そのうえで食わせる負担を我らへ押しつけます」
「そして、タカヒコ本人だけを阿閉に置けば、
客ではなく、ほとんど人質だな」
我は、低く息を吐いた。
「皆、そこまで考えておるのか」
ヒコが、感心するように目を見開いていた。
「相変わらずの阿閉だな、
実に気に食わぬが、見事なものだ……」
その辛酸、伊賀も舐めさせられてきた。
* * *
城之越の伊賀、依那古の伊賀――
そして、青山の伊賀、柏尾の伊賀――
それぞれが伊賀を名乗りながら、
今では環濠も、長も、その見てる方向も別々だ。
アエモリよりも、さらに何代も前。
古くの阿閉がやってきたのは。
一方の伊賀へ穀を与え、別の伊賀には道を許し、
それらを争わせては片方を助ける。
そうして、ひとつの環濠は生かしては、
別の環濠を奪い取っていく。
そうやって、伊賀は、
阿閉の手に散り散りにされてきたのだ。
* * *
それだというのに。
それぞれの伊賀は、己が利を求めて、
決してまとまることがない。
「我らが伊賀は、弱いままでいるよう、
長い時をかけて阿閉に作られてきたのだ……」
炉の火が揺れ、三人の影が土壁に歪む。
「ならばこそ、なおさら」
ヒコが身を乗り出した。
「南の三野と手を結び、
いまこそ阿閉を討つべきであろう」
「そのためには伊賀をまとめ、
兵を整え、糧を蓄えねばならぬのです」
ミナセが静かに答える。
「そうか、よし、ではやろう」
「誰にもできぬと申しておるのです」
「くっくっ、ミナセも大変よのう……」
「父上、笑い事ではありませぬ」
「だが、その無謀を誰も口にしなくなった、
その時が伊賀の終わりになるだろう」
そういう意味では、ヒコの無謀さが、
今の伊賀には一番大事なのかもしれない。
無謀といえば――
「南に、妙な噂があったな」
「名張の火の巫女と、
それを影で動かす奇怪な童ですね」
ミナセは、疑わしげに眉を寄せる。
「一介の童が村を束ねるなど、
誇張された噂でしょう」
「で、あろうな……」
そう答えながら、
我は、囲炉裏の火に視線をむける。
もし。
その童が、やってのけたように。
散り散りになった者たちを繋ぐ、
そんな術が、あるならば。
「……父上?」
「いや、なんでもない」
噂に、伊賀の未来を預けるほど、
我も老いてはおらぬ。
「タカヒコと、アエモリには、
今は、適当に話を合わせておけ」
「また、阿閉の言うままにするのですか」
ヒコが眉を寄せてきた。
「無謀に逆らって滅びることと、
従うふりをして機を待つことは違う」
今の伊賀には、道を選べるほどの力がない。
ならば、選べる時が来るまで、
生き残らねばならぬ。
――――――――――
「ヒコは、送られてくる兵たちを見張るのだ。
その者たちの懐に入り、信を見極めよ」
「はっ」
実直で、ひたむきな伊賀之火子には、
人と真っ直ぐに向き合わせるのが良いだろう。
「ミナセは、各地の伊賀へ人を出せ。
我に従えとも、兵を集めよとも言わず、
ただ、情勢から目を離すなとだけ伝えるのだ」
「承知いたしました」
思慮深いミナセには、
裏でのやり取りが良かろう。
なんだかんだで相性の良い兄弟である。
それだけが、貧しい伊賀に残された希望だ。
「阿閉が、伊賀を散らすのならば……」
散った者、そのすべてを、
伊賀の目と耳に変えてやろうではないか。
伊賀の未来――
このまま、途絶えさせてなるものか。




