第百十四話 ★高彦:馳走という檻
◇【三野臣高彦】視点◇
ジュウッ――
獣の脂が火へ落ちる。
阿閉の大竪穴には、
肉と、川魚の焼ける匂いが満ちていた。
粟の飯に、濁り酒までが御膳に並ぶ。
戦に敗れて逃げ込んだ三野への扱いとして、
それは、あまりにも手厚かった。
そして。
大竪穴の最奥には阿閉臣饗守。
その左右を、阿閉の重役たちが固める。
我は、一段下へ座らされていた。
――――――――――
「さあ、タカヒコ殿、遠慮なく召し上がられよ」
アエモリが手を伸ばして食事を促す。
「かたじけない……」
我は、手に取る肉へ歯を立てた。
よく火が通り、香ばしく焼かれた肉汁が口中に広がる。
なんという御馳走だ――
この阿閉の環濠に来てからというもの、
連日のように、このような夕餉が出てくる。
さすがは阿閉、と言ったところか――
我が三野の兵たちは、この場にいない。
別の竪穴で、阿閉の若衆たちと、
肩を並べて火を囲んでいるのだろう。
「三野の方々には、
よく働いていただいております」
阿閉の重役の一人が笑いかけてきた。
「昨日は薪を運び、今日は、
北の柵を直してくださいました」
「さすがは、タカヒコ殿の兵。
なにをさせても見事なものですな」
あたりに小さな笑いが広がる。
「それはなにより」
三野の者たちのなかで、
連日、我だけが何もしていない。
「タカヒコ殿は、長らく三野を背負われた。
阿閉にいる間くらい、何も案じず休まれよ」
アエモリは、酒を口に含み、
穏やかに目を細める。
「我にも、なにかできることがあれば」
「何を申される」
アエモリは、大袈裟なまでに驚いてみせる。
「三野臣ほどの御方を働かせては、
我ら、阿閉の名折れとなりましょう」
あたりに、再び、笑いが起きた。
「阿閉臣は、まことに、
人を養う術に長けておられるようだ」
我が言葉に、あたりの笑いが止まる。
「おかげで我が三野の兵も、
ずいぶんと、よい顔になりましたな」
アエモリと視線が重なった。
「なあに、客人に喜んでいただけたなら、
何よりにございます」
おたがいに声をあげて笑う。
その言葉の奥にあるものを、
互いに知りながら。
この、道化め――
――――――――――
「そういえば、三野と名張の間に、
新しい道が作られているそうですな」
食事の途中、阿閉の誰かが口を開いた。
「名張の外には、市庭なる場も設けられたとか」
「名張、波多、三野の品に加え、
三輪からも塩や布が運ばれているそうです」
あたりから次々に言葉が飛び交う。
もう何度目になることやら。
連日、同じような話ばかりである。
「戦をせずとも人と品が集まるのだから……」
アエモリが感心したように頷き。
「三野にとっても悪い話では、ありますまい」
誰とも知れない声が上がった。
その時、誰も、我に視線を向けていない。
だが、誰もが、我を視ている。
「…………」
我は、無言で杯を置いた。
我が人生を賭けて、
槍を振るい広げてきた三野が。
我を追い出した途端。
道と、市庭によって、
別の姿に作り変えられている。
「クロイのやつめ……」
誰にも届かぬ声で、呟いた。
――――――――――
我が、食事を終えて外へ出ると。
若い兵たちの笑い声が、
別の竪穴から、聞こえてきた。
「あ、タカヒコ様……」
我に気づいた三野の若い兵が、
あわてて、立ち上がる。
だが、その前に一度、
隣の阿閉の若衆へ目を向けた。
「よい、我に気にせず食え……」
それだけ言葉を残し。
我が、そのまま、立ち去ると。
止まっていた笑い声が、
再び、夜の環濠に広がっていった。
――――――――――
「ふぅ……」
阿閉から与えられた竪穴。
厚い毛皮も、水も用意されていた。
そして、入口には、
護衛という名の見張りが二人。
「アエモリめ……」
仮に、我を殺せば、三野の兵が騒ぐ。
ゆえに、生かしたまま何もさせず、
その間に、兵だけを、阿閉へ取り込む。
ゆっくりと三野臣高彦の名を腐らせていく。
これは「馳走」という名の檻だ。
「急がねばならぬが……」
そう、我が呟いた時。
壁際の草束が、
ガサっと、かすかに揺れた。
「首尾はどうだ?」
「伊賀の一部の者と連絡が付きました」
闇から、フクロウの声が返る。
「また、いくつかの野盗たちとも、
少しずつ言葉を交わしております……」
「そうか、でかした」
我は、炉へ、細い枝を一本くべる。
「我らが三野の兵のなかに、
阿閉へ、心を寄せる者が出始めております」
さきほどの光景が脳裏をよぎる。
「かまわぬ、去る者は追うな。
我を見る者だけを残せ」
「御意」
「伊賀と、山の者たちは、いつ動かしますか」
「まだしばらく……今は、ただ繋げよ……」
赤い火が、ゆっくりと、枝の先へ移っていく。
「名張の童が、環濠を道で繋ぎ、
その内にいる者を繋いでおるらしい」
土地を得た者、役目を与えられた者。
その豊かさの輪へ加われた者たちは、
実に、よい気分だろうな。
「ならば、我らは、その道から、
こぼれ落ちた者を拾い上げるとするか」
「はっ」
フクロウが、深く頭を垂れるのが分かる。
「細い糸でよい……伊賀へ、山へ、阿閉の内の者へ。
誰にも気づかれぬよう張り巡らせよ」
「いずれ、その糸を、
タカヒコ様が引かれるのですな」
「糸が、一本では切れてしまうからな」
我は笑った。
「だが、何本も重ねた糸は、やがて網となる」
「仰せのままに」
次の瞬間には、草壁のむこうから、
フクロウの気配は消えていた。
「頼んだぞ……」
阿閉の馳走の檻が、
今は、固く閉ざされている。
だが、その隙間から。
一匹の梟が、飛び立った。




