第百十二話 榛原の捌:朱になる境界線
赤い辰砂の石から、濃厚な赤い粉を作り、
さらに純粋な赤い泥を練りあげる。
そして到達する、
赤が、朱になる境界線へ。
「これは確かに凄いのう……、
加茂の赤とは、まったく違う」
加茂の長、コドウが感嘆の声をあげた。
「これほどの鮮烈な赤は、
三輪でも見たことありません……」
マヒトも目を輝かせている。
二人の前にあるのは「泥」だ。
だが、それはもう「赤」を超える、
いわば「朱い泥」だった。
「さらに改良の余地はありますが、
まずは見本の丹の泥です」
よく見れば、まだ黄を帯びている。
まだ完全ではない。
今の環境で、出せる限りの赤というだけだ。
だが、その境界を一度超えれば、
そこには「朱」としての価値が生まれる。
――――――――――
「それでは、この赤の作りを、
あらためて振り返りましょう」
加茂の丹場と、環濠のあいだに、
縄で区切った加工場を設けてある。
「初めに大事なのが、
集めた赤を含んだ石を分けることです」
葉を敷いた筵に、辰砂を並べていく。
一級は、割れ目の奥まで赤が続き、
血のように深い色を宿す。
二級は、母岩に細い赤筋が走る。
三級は、表面だけが赤く、
黄を多く含んだ土色になる。
「並べてみると違いが分かるものだな」
コドウが、並んだ石の前に立ち、
じっくりと眺めていた。
「……そう、同じ赤い石でも、
含まれる丹の量には差があるのです」
「より濃い赤を出すには、
より純度の高い辰砂を選びます」
「より濃い丹を使うことぐらい、
俺達だって、やってるんだけどな……」
加茂の若者、ツチドコが首を傾げる。
分け方に違いはあれど、これは、
加茂の民もすでにやってきたことなのだろう。
「大事なのは、ここからです」
選りすぐった辰砂を、
石皿へ入れて少量の水で湿らせる。
「わざわざ濡らすのか?」
「色に関係ありませんが、
乾いた粉を吸わないためです」
「アズマさん、お願いします」
「うむ」
丹守のアズマが、石槌を振るった。
ごつ、ごつ――
湿った音が続く。
「……ふんっ」
水を含ませては砕く。
拳ほど、指先ほど、粗い砂ほど。
段階を追って辰砂の粒が小さくなっていく。
「ある程度まで砕いたら、次に、すり潰します」
湿った粒を、平たい石皿へ移し、
滑らかな丸石で擦る。
ごり、ごりごり――
「この時、細かい粒ほど明るく、
粗い粒ほど深く重厚な赤になります」
だが、深い「紅」を求めて粗くしすぎれば、
今度は、塗るのが難しくなる。
そのあたりの調整が難しいところだった。
「細かければいいってもんじゃないのか……」
ツチドコが、石槌を打つアズマの手を、
真剣な目で追っていた。
――――――――――
「すり潰した粉を、水を張った土器の中で、
激しくかき混ぜます」
砕いた辰砂の粉を、
俺は、ざざ――っと土器へ注ぐ。
それからすぐに。
「もっとも細かい粒が水中を漂う。
その上澄みだけ、別の土器へ移します」
隣に用意した別の土器に、慎重に移す。
最初の土器には、粗い粒。
隣の土器には、細かな赤を含んだ水。
その、二つに分かれた。
「最初に見た時は、せっかくの上等な丹を、
水に捨てたと焦ったがな……」
コドウは、笑いを浮かべる。
「どんな意味があるんだ?」
ツチドコが、興味津々の様子で土器を覗き込む。
「塗りやすい細かな赤を、集めるためです」
「大きい粒は底に沈んで、
細かい粉だけ、お水のなか……?」
「そう。粒の細かさで、沈む速さが違うんだ」
「……へー、おもしろい」
イミコは、満面の笑みを浮かべいた。
しばらく待ち、水が落ちついてくると。
赤い粉が土器の底へ沈んでいく。
「あとは、土器を静かに傾けて、
水だけ捨てれば、底に赤い泥が残ります」
「水は、川へ流してもいいのか?」
アズマが、その低い声で聞いてくる。
「専用の穴へ溜めておいてください」
丹で川を汚さず、
取り残した丹も拾い直せる。
――――――――――
「こうして、赤い泥ができあがります」
俺は、湿ったままの赤い粉を、
平たい石皿へ移した。
「仕上がりは、こんな感じですね」
木片へ湿った赤を付け、
足元の別の木片に一本、線を引く。
そこには鮮烈な赤が、
くっきりと、浮かび上がった。
「ふむ、見事な赤だ……」
「三輪でも見ないほどに鮮やかです」
この時代には、他にも赤い塗料はある。
花由来の「紅花」、鉄由来の「弁柄」など。
だが、この水銀を含む「辰砂」には、
それらを超える鮮烈な濃さがあった。
「だが、一日かけて、これだけか」
コドウが、できあがった丹泥を、
小さな壺へ集める。
「選りすぐった赤ですから……」
「ですが、今回使わなかった丹も、
捨てるわけではありません」
先程、筵に並べた辰砂から、
今度は二級のものを集めた。
「一級の丹から作る赤は、
祭事など、神へ捧げる品にのみ使います」
数が少ないからこそ、そこに格が宿る。
「二級以下から作った赤は、
武器や道具、目印などに用いましょう」
「石を分け、その使い道まで分ける、か……」
コドウが深い溜息をついた。
「分けるということが、
それだけ、大事だということです」
名張では「水」を分けた――
三野では「兵」を分けた――
そして、この加茂では「石」を分ける。
理に従い、正しく揃え、並べる。
それだけで、同じものの価値が変わっていく。
この加茂の地に転がっていた石が、
今、神へ捧げる「朱」へと、姿を変えようとしていた。
現代に「丹色」という色がありまして。
古くから神社の鳥居の「赤」などにも用いられます。
貴重で、格式高い色として親しまれてきたのだと思います。




