第百九話 榛原の伍:禁忌の代償
それは昔。
この加茂の地で起きた悲劇だった。
ある土器職人が、子供たちのためにと、
大量の丹を混ぜた鮮やかな粘土で、特別な器を作りあげた。
それを集落の近くで、激しい火をおこして焼き上げた。
すると、その職人は手を震わせはじめて、
幻に向かって叫び、心を乱して暴れ。
やがて、衰弱していき、死んだという。
* * *
「あまりの丹の美しさに心を奪われたや、
山神に魅入られたなど、今でも言われておる」
加茂臣古道の声は重かった。
「そういえば、この加茂の地では、
昔から神隠しの話も多くありましたね」
マヒトが、父の顔を見ながら呟いた。
「あれはそんなものではない、
今だから言うが、謎の奇病のせいじゃ」
「奇病……」
「時折、竪穴の中で、朝を迎えた頃に、
家族そろって謎の変死を遂げてることもあった」
コドウは地面に視線をむける。
「そのたびに山神の怒りと村には伝えて、
加茂の一部の者たちで内々に葬ってきたのだ」
コドウの声は、ただ、静かだった。
怒りでも、嘆きでもなく。
ただ、長く抱えてきた罪の重みを、
吐き出すかのように。
――――――――――
「加茂の奇病……神の怒りですか、
丹と、火に関係があるかもしれませんね」
俺の頭の「膨大な情報」が告げている。
その症状に、心当たりがあると。
「先程おっしゃられた……丹と、火ですか……」
マヒトが、かすかに息を呑んだ。
「土器職人は、丹を多く含んだ土器を焼いた」
丹に火を入れると、
人体に有毒な蒸気が発生する。
「竪穴での変死は、屋内の炉に丹が使われ、
火に熱されたことが原因かもしれません」
歴史にも記述される事故の数々。
丹の危険性を知らない、この加茂で、
それらが起こっても不思議はない。
「たしかに、この加茂では、
炉の色付けに丹を練り込む者はいるが……」
「すぐにやめさせてください」
俺は語調を強めた。
* * *
水銀蒸気の危険性――
換気が十分なら、すぐに死に繋がらなくても。
人体のなかに少しずつ蓄積されていく。
それはまるで、死を告げる砂時計のように。
* * *
「丹に火を近づけない、
それを絶対の掟にしてください」
丹の本当の性質を、
ここで、全て明かすつもりはない。
だが、この禁忌の厳守だけは絶対に必要だ。
丹の扱い方を誤れば、
大勢の人の命が失われることになるのだ。
「丹に、火か……」
「コドウ殿は、丹の危険性について、
薄々、気づいておられたのではないですか」
そうでなければ丹の話の流れで、
すぐに奇病の話は出てこない。
「そう、丹の危険性を訴えもしたが、
村の誰も信じてくれなんだ……」
コドウは、重い溜息をこぼした。
「丹は、昔からこの地にある。
祭場にも、壁にも、子供の手にも日常的に触れている」
その目は虚ろであった。
これまで、一人で抱えてきたのだろう。
「そんなものが病の原因になるはずもないと、
だから、すべては神の災いなのだと誰もが言った」
「すべてが、丹のせいとは言い切れませんが、
恐ろしい性質があるのは確かです」
「そうか、火であったか……」
その顔は、どこか憑き物が落ちたようだった。
――――――――――
「加茂の丹は、
やはり、忌むべきものなのか?」
「……いいえ、丹は優れたものですよ」
俺は、はっきりと首を振った。
「正しく扱えば良いのです」
「丹は砕いて顔料にする、祭器や祭具に塗る。
それだけに用途を定めること……」
俺は、指を三つ立てる。
「そして、三つの禁忌があります。
口に入れず、粉を吸わず、火に近づけず」
静かになった竪穴の中で、
俺の言葉だけが、静かに響きわたった。
あまりの重い話に、
マヒトも、声を出せないでいた。
「むずかしいことはわからぬ。
だが、するべきことはわかった……」
コドウが、静かに頷いた。
「神の怒りではなく、我らの手による、
人の招いた災いだったかもしれぬのだな……」
コドウは、囲炉裏の小さな火を見つめる。
それは、まるで遠き日の記憶に、
想いを馳せるかのように。
「長く考えてきたのだ……」
コドウは静かに呟く。
「この地の神は、なぜ、こうも、
民の命を無下に奪っていくのかと……」
そして、横に顔を被り振る。
「だが、この加茂の地は……山の神は、
災いなどもたらしてはいなかったのだな」
「……この地の自然は、とても美しいものですよ」
昼にも似たことを言った。
だが、今は、その重みがまるで違っていた。
――――――――――
「あいわかった」
コドウは深く頷いた。
出会った頃の、多くを諦めたような目に、
活力が戻ってきているように見えた。
「おぬしたちを信じるとしよう、
この加茂の自然と、丹を頼む……」
「父上、ありがとうございます」
「この加茂の地の名を貶めぬよう、
そして、村の皆が胸を張れるように頼むぞ」
「はい、お約束いたします」
俺は、加茂臣に深々と頭を下げた。
* * *
おそらく、マヒトが産まれるよりも昔。
この、加茂の地に、
大きな災いがあったのだろう。
丹を原因とする、死の災い。
それを忌避し、忌み地として、
加茂の地を去った者も居たのだろう。
それでも、加茂の民は、
この加茂の地を守り続けたのだ。
山に人が迷い込まないように。
人が道を誤らぬように。
榛原の案内人として――
* * *
俺は、手の中にある、赤い石を見た。
見た目以上に重い。
だが、その実際の重さよりも、
ずっとずっと重たく、
俺の手のなかに圧し掛かっていた。




