第七話 火が、病をはらう
「わかった、ついてこい」
イワホコは、石斧を地に突いて、
その重い体躯を持ち上げた。
俺たちに背を向けると、
よろめく足取りで橋を渡り始める。
その背中は、今にも崩れ落ちそうなほど重く、
年老いた枯木のように軋んでいた。
俺達を信じたわけではない。
ただ、他に選択肢がないのだ。
この男を突き動かしたのは、深い絶望だ。
「俺達も行こう」
俺は、イミコに手を伸ばす。
「……むら、はいっても、いいの?」
目を、ぱちくりさせる。
生まれてから、一度も、
足を踏み入れることが許されなかった村。
穢れの「忌み子」として遠ざけられた場所に、
今、招かれようとしている。
「……ありがと、イワのおじさん……」
「ふんっ」
イワホコは小さく鼻を鳴らすだけで。
そのまま、歩き続けた。
――――――――――
俺達は、ナバリの村に足を踏み入れた。
イワホコの後ろを歩きながら、
俺は、ぐるりと集落を観察してまわる。
家の数は、三十に満たない程度。
人の数にすれば、百に届かないといったところ。
どこも地面を浅く掘り下げた竪穴に、
枯れ草の屋根を直接被せた造りだ。
そして、村全体の周囲には深い溝が掘られ、
先を尖らせた丸太の柵が巡らせてある。
「いつの時代だ、ここは……」
環濠集落といえば、
縄文、弥生……古墳時代――
とにかく想像を超えるほどの古い時代だろう。
そんなことを考えてると、
尋常じゃない異臭が、俺の鼻を突く。
排泄物と、腐敗の混じった強烈な死の臭い。
「……にぃに、あれ……」
イミコが、不安そうに指をさす。
草屋根の家々の前に、
幾人もの男たちが、力なく横たわっていた。
顔に掘られた刺青は、
それぞれの身分や役割を示すものだろう。
その誇り高きその模様も、
今は脂汗にまみれ、病の土気色に沈んでいる。
穢れは、完全に、村全体を飲み込んでいた。
上流で汚れた水を飲み、
その排泄物を、また川へ流す。
逃げ場のない死の連鎖の理だ。
――――――――――
「……あ、あぁ……」
すぐ手前にある一軒の家の前。
母親らしき女が、
小さな子供を抱えてうずくまっていた。
その子供の目は落ち窪み、
肌は、乾燥した土のようにひび割れている。
強烈な渇きの病――
このままでは、長くないだろう。
すぐにでも水を飲ませなければいけない。
「あの……」
「……ひいっ……よ、寄らないで……っ!」
女は、怯えた獣のように、子供を抱く腕に力を込める。
「……不浄の子らが、
……これ以上、呪いを……まき散らさないで!」
うつろな瞳が、俺たちを睨みつける。
目に見えない病の種を、彼らは「呪い」と呼ぶ。
山から下りてきた俺たちを、
病の原因だと信じ込もうとしている。
信仰が、命を遮っている――
俺は母親の言葉を無視して、
弱っている子供へ、一歩近づいた。
その瞬間、反対方向から怒声が飛んでくる。
「……は、離れろっ……叩き殺すぞ……!」
倒れ伏していた村の男たちが、
ふらふらしながらも、立ち上がる。
手に棍棒を握り、ぐるりと俺たちを取り囲んだ。
――――――――――
「やめとけ」
イワホコの低い声が、その場を割る。
石斧を、杖代わりに地面へ突きながら、
男たちの前に立ち塞がる。
「相手は子供だぞ……忌み子だろうと、な……」
「何を言ってんだ、イワホコ!」
「こいつらが村に入ってきたから、
神様が、さらにお怒りになるんだろうが!」
「追い払え、今すぐ!
忌みを、これ以上、村に引き込むな!」
周囲から、怒りと恐怖の声が飛び交う。
その言葉からは、すでに正気が失われていた。
「……うるさい」
イワホコは、周りの男たちを一瞥する。
それ以上の言葉はなかった。
論じる体力も、言葉も残されていないのだろう。
それでも、イワホコは動かなかった。
棍棒を構える男たちと、
俺たちの間に立ち塞がったまま。
――――――――――
あたりの空気が張り詰めるなか。
その脇を、するりと小さな影が通り抜けた。
イミコだ。
男たちの隙間を縫うように、迷いなく一直線に。
「……いたいの……どこ……?」
母に抱かれる子の頬へ、
イミコは手を、そっと添えた。
不浄の象徴とされた少女。
その瞳には、周囲の威圧など映っていない。
ただ、自分と同じように死を待つだけの子へ、
深く純粋な慈しみだけを持っていた。
「……にぃに……この子、死んじゃうの……?」
「させないよ」
そういうと、俺は、大きく息を吸い込む。
――――――――――
「聞けぇ、皆の者」
周囲の男たちへ向けて声を張った。
多少、大げさに手を振り、注目を集める。
「火の巫女様が、
不浄を焼き払う術を授けてくださるぞ!」
ざわり、と空気が揺れた。
「……巫女だと……?」
「ただの、忌み子だろうが……!」
棍棒を構えた男たちが声を荒げる。
だが、その声には、恐怖の色が滲んでいた。
年端もいかない子供に対して――
それだけ「忌み」への恐れが、
この村の骨の髄にまで染み込んでいるのだろう。
「我らは不浄を知る者だ、
ゆえに不浄を殺す術も心得ている」
臆することなく、
俺は、イミコの首元の石を指差した。
「この石の勾玉こそが、その証である」
この村に必要なのは、清らかな水だ。
だが、その理を説いても、
今の彼らには届かない。
彼らが動くのは「信仰」という名の言葉だけなのだ。
「…………」
男たちは言葉を詰まらせている。
力で押し込まれれば、
幼い俺たちに抗う術はない。
だが、言葉が届くなら、
この場で遅れを取る気はしない。
重い沈黙に、場が支配された。
その沈黙を破ったのは――
「……み、こ、さま……ほんとに……?」
病の子を抱いた母親が、
すがるように、イミコを見上げていた。
イミコの純粋な慈しみと――
俺の冷えた計算が――
イワホコに続き、
今度は、この母親の心を揺らした。
「大きな土器と、水……、
それから薪を用意してください」
俺は、まわりの男たちに声を掛ける。
「え、あ……あぁ……」
村の男たちは、互いに顔を合わせ、
戸惑いながらも動き始めた。
彼らとて、同じ村の子供を救いたいのだ。
それだけは変わらない。
絶望に沈んでいた村が、微かに震えた。
「あの子を助けよう、イミコ」
「……うんっ……」
手前の草屋根の小屋へ、病の子供が運ばれる。
俺たちも、その後を追いかけた。
失敗すれば、ただでは済まされないだろう。
それでも。
今は、やるしかない。
この村の不浄を、俺の手で焼き祓ってやる。




