第百四話 榛原に眠る加茂
「これが市庭か……」
マヒトは、少年のように目を輝かせていた。
この時代では、
もう立派な成人なのだろうが。
俺からすれば、その目の輝きは、
年相応の若者にも見える。
「それでは三輪からも品を出しましょう」
マヒトが後ろを振り返り、手を叩いた。
すると、三輪の者たちが市庭へ入ってくる。
あっという間に、
三輪の品が、名張の市庭に並んだ。
そして、まわりがざわつき始める。
――――――――――
「これは絹……こちらは塩か……」
シラガが驚きの声をあげた。
絹は、光を受けると表面がかすかに揺らめいた。
名張や三野の粗い布とは、
手触りも、見た目もまるで違っていた。
さらに、塩。
山奥にある名張を始め、
三野や、波多にも、わかりやすい貴重品だった。
「三輪は、やはり違いますな」
波多のホナミが、思わず呟く。
「……うむ、これは認めざるを得ぬな」
三野のカナメも、無言で絹を見つめる。
三輪の品が並んだだけで、
市庭の格が変わった。
絹と塩。
それだけで三輪は、
その大きな力を示してみせたのだ。
――――――――――
「市庭とは、物が動くだけの場ではないのですね」
マヒトは、市の品々を見渡しながら言った。
物が動き、人が動けば、やがて情報も動いていく。
そのことに三輪は気付いている。
「あれらの品は、やはり、三輪君が?」
「ええ、そのとおりです」
マヒトは、笑顔を浮かべて頷いてみせた。
初めから、三輪の目的は、
権威を見せつけることにあるのだろう。
「あ、でも……市庭に並ぶ品が、
我ら三輪にとっても魅力的なのは事実ですよ」
マヒトが小さく呟いた。
――――――――――
「その土地の者が、当たり前に使っているものが、
他の場所では貴重であることがあります」
俺は、名張の木材を手に取ってみせた。
山の奥深くに足を踏み入れるほど、
古くからの大樹が残る。
同じ種類の木材であっても、
その質が、まるで違ってくるのだ。
「続けて採れ、作れ、運べるもの。
皆が、あそこなら手に入ると思えるもの」
そこで、一拍。
「それを、名産物と呼びます」
「めいさんぶつ……」
マヒトは、その聞きなれない言葉を、
飲み込むように小さく呟いた。
それから、もう一度、品々へ目を向ける。
しばらくすると、
その表情が沈んでいった。
「マヒト、殿……?」
俺は、心配になり声をかけた。
「我が、榛原……加茂の家にも、
そのようなものがあるのだろうか……」
ぽつりと、そんな言葉が漏れた。
――――――――――
「私の本筋にあたる家が、榛原の地を任されている、
加茂臣というのですが……」
「ん……加茂……?」
その言葉に、俺の中で何かが引っかかる。
榛原の地……宇陀の川……、
そして、加茂の家。
ちり、ちり……っと、頭の奥が熱くなる。
俺のなかにある膨大な知識が、強く反応をする。
* * *
加茂臣――
後に、神武天皇と呼ばれる存在。
その「大和入り」を導いたとされる。
八咫烏の伝承。
加茂は、その神話に連なる筋の名だ。
* * *
いや、待て。
この時代に、その伝承が、
どんな形で残っているかはわからない。
俺の中にある膨大な知識。
その基になっている「日本書紀」や「古事記」も、
この時代のずっと後に編纂されるものだ。
そこに書かれる血筋を、
今、当てはめてよいわけもない。
つまり――
俺の、脳内にある膨大な知識と、
この世界の現実との間には齟齬がある。
後世に綴られる記録は。
この時代の姿を、そのまま、
写したものではないのかもしれない。
――――――――――
「加茂臣、ですか……」
俺は、震える声をおさえ、
その動揺を隠しながら返事をしてみせる。
目の前にいるマヒトは、
想像を超える名家にあたるかもしれないのだ。
「恥ずかしながら……、
山の奥で、ひっそりと暮らす貧しき家です」
マヒトは静かに言った。
その声には、自嘲の響きがあった。
嘘を言っているようには聞こえない。
だが、神話から名を連ねる筋の者が、
貧しくしていることが果たしてあるのだろうか。
いや、もしかして――
「よろしければ、イミナ殿……」
そこで一拍。
マヒトは、俺に身体を向きなおした。
「榛原にある加茂の環濠に、
一度、来てもらえないだろうか?」
榛原の加茂臣。
その貧しき山の環濠、加茂臣は、
今、ここから。
神話に名を連ねるほどに、
栄えていくことになるのだろうか。
主人公の脳内にある「膨大な知識」は、あくまで後世に残された記録をベースにしており、その内容が事実に即してないこともあるという示唆。
多くの歴史的資料は後世の権力者、勝者により編纂されたものですから。




