第百二話 橋の外にある市庭
名張の環濠から一歩踏みだすと、
低い柵に囲まれた、
大きくひらけた場所があった。
「わぁ、ひとがいっぱい……」
イミコが、目を輝かせる。
そこには小さな市庭が設けられていた。
――――――――――
「立派な市庭になりましたね」
俺は、まわりを見渡す。
柵に囲まれた広場の両脇では、火を焚いている。
名張の「火の巫女」を象徴するためだ。
火のそばには名張の若衆が立たせて、
その後ろでは「隠の旗」が春風に揺れていた。
広場の中央には、
丸太と、板で組んだ台を設けた。
台の上には、燻製肉、乾かした薬草、木材、毛皮。
名張を病から救った「巫女の炭」が並べた。
「急ごしらえの間に合わせだが、
なかなかのもんだろう」
イワホコが、石斧を肩に載せながら笑った。
「忙しい所、無理を言ってすみません」
数日前に各環濠で話し合った名張の道作り。
それ自体は、まだ途中である。
名張・波多・三野で道が繋がるのは、
秋頃になるかもしれない。
あっちは、それだけの一大作業である。
それならば。
先に、物流を生みだすのだ。
道を作り、場を設けて、噂を広めても、
実際に人が集まるには時間が掛かるからだ。
――――――――――
「これは、活気がありますのう」
名張の村の長。
シラガが、市庭を見てまわる。
「名張臣ですね……」
その時、見知らぬ女が声を掛けてきた。
「私、波多から来たホナミと申します、
よろしくお願いします」
波多のナトリより、すこし若いくらいだろう。
柔らかな顔つきだが、荷を見る目は鋭い。
「波多が並べるのは稗・粟・豆に、
乾かした根菜となります」
波多の豊かな畑の力が、品に出ている。
黒犬が三野臣を継いだあと、
三野から、波多に資源の返還があったという。
「うむ、名張臣として認めよう」
シラガが頷いて見せる。
市庭に並べる品は、
常に確認をすることになっていた。
「それにしても……」
ホナミが、空を見上げる。
「月の満ちる日に開かれる市庭とは、
なんと、趣の深いことでしょう」
「本当は、毎日のように市庭を開き、
いつでも取引できるようにしたいがのう……」
シラガが、溜息をついた。
毎日、市庭を開くには、その準備や管理が要る。
特に、守り手を揃えるのが重くなり、
道中で野盗に遭う危険も増える。
だから、市庭を開く日を絞らざるを得なかった。
品を持つ者も、求める者も、守る者も、
ひとつの日に集めることにした。
月が真円を描く日。
それが、誰の目にもわかりやすかった。
――――――――――
「三野のカナメだ……」
次に、屈強な男が声を掛けてきた。
その口数は少ないが、
道具を扱う手つきに迷いがない。
「三野からは石斧・石槍の穂・木鋤・木鍬」
その他に、補修した農具。
骨角の小道具などが並んでいた。
「三野らしい錚々(そうそう)たる品揃えじゃな……」
シラガは品を手に取り、大きく頷いてみせた。
これで、波多と三野の品が、
名張の市庭に並ぶことが決まった。
「市庭とは、すごいものだな……」
カナメと名乗った男が、小さく呟いた。
「俺は、これまでに何度も環濠をわたり歩き、
品を売り歩いてきたが……」
その屈強な手足に、その身体は、
環濠をまわるために身についたのだろう。
「一目で、誰が何を持っており、
何を欲しているのかわかるのは、凄いな……」
カナメが、太い腕を組みながら頷いてみせた。
「今は、名張・三野・波多だけですが……」
俺は、隣で声をあげる。
カナメだけに対する返事だけではなく、
まわりに聞かせるように。
「これから、三輪にも話を持ちかけて、
市庭を広げていくつもりです」
あくまで、今回の市庭の集まりは見本。
売り手の集まりのようもの。
だが、大事なのは、ここから見える景色だ。
「この市庭に三輪も加われば、
人の流れは、さらに増えますね」
波多のホナミが、手を叩いて喜びをみせる。
「海に繋がる大伴臣や、紀臣と繋がれば、
とんでもないことになるぞ……」
三野のカナメは、小さく呟きながら、
その心のなかで思考をめぐらしているようだ。
そして、そのざわめきは、
水面の波紋のように周囲へ広がっていく。
大伴臣、紀臣……海――
それらは、三輪の国よりも遠くにある世界。
山に囲まれる名張には、
あまりにも遠過ぎる響きだった。
それでも、
橋の外に市庭ができたことで、
そこに、少しだけ、
近づけたように感じた。
――――――――――
「守りはどうですか」
市庭の端で石斧を抱えるイワホコに、
俺は、声をかける。
「ああ、問題ねえよ」
イワホコが、市庭の外へ目を向けた。
低い柵の向こうには、
名張の若衆が木槍を手に立っている。
その先の道には三野の者が控え、
荷置きの近くには、波多の守り手がいた。
「三野と、波多から兵が出てりゃ、
野盗程度じゃ、手も足も出せねぇだろうな」
「それはよかった」
そんな折――
「三輪之真人様が、到着されました」
名張の市庭に、凛とした声が響きわたる。
市庭の外から歩いてきたのは、
三輪連由良だった。
その後ろには三輪之真人。
そして、三輪からの一行が続いた。
「まさか、初めての市に間に合うとは」
思わず、俺はつぶやいた。
市庭を築くと決めた時、
俺は、すぐに三輪へ知らせを出した。
名張・波多・三野だけでも、
市庭は始められる。
だが、三輪を通さず事を進めれば、
あとで話がこじれるからだ。
「知らせを受けた時点で、
マヒト様が、すぐに動かれたそうです」
ユラがそう言って、
その後ろへ、視線を向けた。
「ひさしぶりです、名張の皆さま。
そして、イミナ殿……」
マヒトは、橋の外に広がる市庭を見て、
その足を静かに止めた。
「よくおいでくださいました」
俺は一歩前に出て、頭を下げた。
マヒトは、口を閉ざしたまま、
市庭を眺めて歩きまわっていた。
名張の燻製肉と炭。
波多の穀に、三野の道具。
それらを見比べながら。
そして、やがて小さな息を吐く。
「これは、三輪にも必要となるでしょう」
その一言だけで、市庭の空気が変わる。
三輪が、この市庭を認めた。
その事実だけで十分だった。
今日、市庭に集まった行者たちの間に、
新しい噂が広がっていく。
それはつまり。
名張から伸びる道の先が、
また、ひとつ、
広がったということだろう。
市庭の様子は、現代のフリーマーケットのようなものを想定してます。
みんなで物を持ち寄って集まるのは楽しいですよね。




