九拾参【黄昏】
夜遅くなって堪忍やで。
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会合が終わった百沙衛門は、裃姿のまま秋山義敦や東町奉行の瓜生時春とともに大手門側から出て、時春に従って座敷の外にいた与力や、大手門で控えていた七兵衛を従って与力を伴って東町奉行所に向かっていた。
「百沙衛門殿、瑠璃姫を待たずともよいのか?」
「うむ、あの衣装のままここから浪花の街を歩くわけには行かぬからな、着替えて頭なども整えねばならぬだろう。なにしろ秋山藩の長屋に帰るというのだから」
「なかなかしっかりものの姫ですな。さぞかしお父上もお慶びだろう。藤岡家には奥方様が長くおられなかったからな」
「はい。今日もそうですが、御簾の向こうに隠れることのない姫なのですよ」
「だが、城代が預かっているということでしたが、初めてお会いしましたな」
時春が言う。
「時春殿は何度かお会いしているはずですよ」
「うん?」
壮健さを保つためだと、与力や同心たちと城内の道場に通ってるじゃないですか。
「なあ、田川どの」
時春の後ろに控えてる与力に声をかける。
時春は百沙衛門の父と同じ五十代、田川は四十代である。
「誰ですか?大阪城で勤めている侍は多いですからな」
「いや、侍ではのうて……」
「まあそこの道場には大坂中から侍がやってきますからな。
では、拙者はこれにて」
「うむ」
東町奉行所の前まで付き合って、百沙衛門は自分の屋敷にむかう。
百沙衛門とて、裃姿のままでは動きづらいのである。その後西町奉行所に立ち寄り、蔵屋敷の検めの準備をするのだ。
東次郎は皆より先に出て裃姿のまま中之島の長屋へ寅治に今夜の予定を伝えに行った。
一方、町人娘の姿に着替えた瑠璃は、大坂城代の屋敷を出て裏手の京橋口に出る。
いかにも大坂城に出入りいしている商人の娘と言う体で、大風呂敷に包んだ荷物を背負っていた。前には同じ格好のお篠が歩いている。年上のお篠の付き添いの女中に見えるようにとほんの少しかがんだまま歩く。背中の風呂敷の中は、自分が着ていた裃と袿一式だ。
お篠の方の荷物は何かはわかってない。おおよそ重蔵の着替えだろう。
「駕籠じゃなくてよかったんですか?」
「あんなので長屋に戻ったら目立ちますやん」
振り向きながら話しかけられるのに答える。
「そりゃそうやけど」
「それに、駕籠かきによっては鳩尾が気持ち悪くなってよくありまへん」
「わかる!一日用事ができなくなる時あるわ」
「ですやろ」
右手に土佐堀川を見ながら、話しながら歩いてるからか、ほどなくして栴檀木橋
に差し掛かる。
「ほなここらへんで」
「え?だいじょうぶなん?」
「へえ、こう見えてうちは強いんやで」
「そうかもしれへんけど」
「丁度、東次郎はんが戻ってきた。お篠はんはあのお人に送ってもらって」
「与力さまに送ってもらうなんて、なんぞしたかと道のお人に思われるわ」
「何言うてんの。藤岡家の女中なんやから気をつけてもらわな」
「瑠璃ちゃん、それにお篠」
「東次郎様」
「お勤めご苦労様です」
「お篠は戻るんだろう?」
「はい、今から夕餉の支度で」
「では送ろう」
「……しょうがないですね。では、おるりちゃん、背中の風呂敷を交換してちょうだい」
「へえ。そっちは?」
「こっちもあんたの着替えと握り飯や。食べておきなさい。夜も忙しいんやろ、気をつけてな」
「まあ、ほんまおおきに。ほな東次郎様また」
「お瑠璃ちゃんも気をつけて」
土佐堀川を越えて中の島へ。
少し日が傾いても活気のある米市場をぬけて借りている長屋へ急ぐ。
木戸門の前で鬼瓦の顔をしかめて男が立っていた。
「よう、おるり」
「寅治の親分さん」
「ちょっと良いか?」
「へえ、うちの部屋来ますか?」
「いや、番屋で」
「へえ」
意外と綺麗に掃除された番屋の入口の三和土で框に腰かけさせられる。
「さっき藤岡の東次郎様が来て、今夜その蔵屋敷に突入する言ってたが」
「せや、色々あってね。親分さんは木戸門に奉行所の人を入れつつ、木戸門を出ようとする人を捕まえなくちゃいけないやろ」
「捕まえ……そ、そうか」
「親分さん、あの蔵屋敷に何入ってると思います?」
「何かは分からぬが……そんなやばいもんなのか?」
「……ここら辺吹き飛ぶかも知れまへんよ」
鬼瓦に情けない表情を浮かべて黙る寅治。
「ほな、うちも用事があるさかい」
借りてる長屋に入り、風呂敷を置いてから、御殿側にある共同の井戸を借りに行く。憚りもこちら側。
「おや、おるりちゃんでねが?」
「弥次郎さん、お疲れさんです」
「どこか出かけてたのか?」
「ちょっと、小間物屋に御用聞きに」
舟入の方の人影が長く伸びてせわしなく動いている。
「もしかして、今夜もお舟が入って来るのですか?」
「そうみたいだな、おいらはあんまり分からねがな」
「こちらの藩は、夏前にお米が来たって言ってたのに、何が来るんでしょうか」
「さあ、冬のもんじゃねか?ごつい紬とか。先だっても和泉屋さんが良い値で買って行ったと名代がほくほくしてたからな」
「そういえば。
しっかりした紬を綿入れにしたら温 そうですね」
「重くなるぞ」
弥次郎の顔で隠れるように舟入の様子を探る。
かがり火の籠の薪を入れ替えている。
「そろそろ来るか?」
安仁村の声がする。
「それが、船頭の話では、廻船の場所を移動させられてて、夜中になるらしいです」
「なんだと?」
「どうやら、廻船の方も目を付けられているようで」
「なぜ?普通の廻船だろう?」
「名の知れた廻船問屋の印の旗が出てない船は念入りに調べに入られているらしい」
人足が安仁村に話している。
「面倒なことよ。しかし、粗方の物は集まってるのではないか」
「そうですな」
「なら、こんどは積み込むための手配をしねばならぬな」
「しかし、江戸の日本橋は難しくなったそうです。他を考えねばなりませぬぞ」
「だが、江戸屋敷はそれこそ殿や奥方様の目があるからな。他で荷入れのできそうな場所を確保せねば。きっと江戸に向かった上野澤様が戻ってくればわかるであろう」
「何時頃戻ってくるのでしょうか」
「……わからぬ。拙者も、この物騒な数々を早くどかしたいものだ」
「そうですな」
弥次郎は耳が少々遠いようで、安仁村達の声が瑠璃に聞こえているとは思っていないようだ。
「では、明日朝はまたお掃除に行きますね」
「ああ、まっとるで。おてるが来なくなったらむさ苦しいばかりでいかんからな」
「まあ」
弥次郎の顔が西日で橙色に染まっていく。
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