九拾壱【西の丸の屋敷】
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大坂城の城代屋敷の奥の間にはお篠が控えていた。
軽く瑠璃だけで昼餉を頂いて、着替える。
「さ、姫様これを」
「へえ、おおきに」
身内とは言え、大坂城代内での話し合いのために身につけていた裃を脱いで、用意されていたのは赤い袴と袿。内気の重ね色目は瑠璃色が混ざった鴨跖草に季節外れの桃色を足している。
すでに重ねてくれているから袖を通すだけだ。
「さすがに、暑うおますね」
「へえ、残暑は楽になってきたとは言えね」
着替える前に、薄っすら白粉をはたき、紅も差している。馬の尾にしていた髪をほどいて垂らし、髢を付け足してもらう。
お篠の実家、御用商人の和泉屋にかかれば公家の衣装も取り寄せられるのだ。
これからの会合には姫装束の瑠璃が必要だと、将来義父になる重蔵に頼まれての衣装替えだった。
思わず広げて仰ぎたくなる檜扇を渡される。
「では行きまひょか」
「私はここまでで、百沙衛門様おねがいします」
お篠が障子を明けて与力姿の百沙衛門に声をかける。
「うむ」
すでに与力姿で何度か訪れた瑠璃にとっても勝手知ったる大坂城代屋敷とはいえ、姫の姿では一人で歩くのはおかしいらしい。
「父が悪いね」
「なんの、本来ならこっちが普段の姿なんえ」
「そうだな、さすが似合ってるよ」
「⋯⋯おおきに」
ただでさえ暑いのに、顔が熱うて困るわ。
〈表の座敷〉に向かうが途中で向きを変え、見覚えのない侍が数人居る控えの間を通って、直接床の間の前に連れられる。
「瑠璃姫様をお連れしました」
「どうぞこちらへ」
昼餉の前と同じ座敷ではあるが違う顔が四名増えていた。
大坂城代の藤岡重蔵を差し置いて、一番上座に座らされる。分厚い座布団と脇息も置かれていた。
「姫?」
「公家の姫か?」
「お美しい」
「姫様こちらは左から、紀州藩の蔵屋敷役人の湯浅光橘殿、そして千亀利藩の御家老多古崎吉成どの、そして外側に居られるのが堺奉行の石川刃衛、と東町奉行瓜生時春。此度の話に集まって下さったのだ」
湯浅光橘は三十代の男で、野性味があるガッシリした体つき。蔵屋敷の役人ということだが、米俵の数を管理するより俵を運ぶほうが得意そうだ。
多古崎吉成は五十代ということで、今回彼が泉の国からたどり着いたことで集まったのだ。
三人目の石川刃衛はこの大阪城内の道場で二度ほど手合わせをしたことがあるが、堺奉行だとは知らなかった。閉じたままの檜扇で口元を隠して、目だけそっと微笑む。東町奉行の瓜生は重蔵より少し年上だが、下手に座ってるということは旗本ということなのだろう。もちろん瓜生はその役目柄、なんとはなしに瑠璃を知っている。
皆紋付の裃に脇差だけで座っていた。太刀は部屋の外の従者に預けているのだろう。
「皆のもの、この方は故あって藤岡家でお預かりしている、従二位、権中納言、兵部卿であられる羽森兼麿様の三女の瑠璃姫様だ」
重蔵が紹介する。
「瑠璃?羽森⋯の?姫様?」
石川刃衛がつぶやくが、思い出さないでおくれと瑠璃は目を伏せる。檜扇も一つ開いてさらに顔を隠す。
「ほう、公家の姫様が」
「大坂にいらっしゃるとは」
「まさか大坂城代殿の後添えとか?」
「馬鹿を申すな、姫様は息子の方の許嫁である」
「なんと、百沙衛門殿の」
「それでお預かりを⋯」
「こほん」
瑠璃が檜扇に隠れるように咳払いをすると、侍たちが静かになる。
「そんなことより集まって貰ったのは、ほかでもない、江戸での謀反企ての件だ」
「前の大老の残党が江戸で武器を集めてたという話か」
「うむ、もとはと言えば大坂の呉服屋で大量の武器弾薬が見つかったことから始まるのだ」
「ああ、火付けのボヤ騒ぎもあったという」
「聞き及んでおりまする」
「それでな、本来の謀の決行は大老の七回忌であるこの年の瀬だったということなのだ。
まだ大老まわりの勢力が大坂に残っておって、再度東京に向かうかもしれぬ。
大坂城としても大阪町奉行としても、怪しい動きに目を光らせておる。
さらなる抜け荷や危ないものの出入りに対して、海沿いでの出入りを警戒するのに、紀州藩、千亀利藩、そして堺奉行にも今一層の注意を払っていただくよう書面を用意した。このまま飛脚にて走らせる」
「わかりました」
「私はそのまま千亀利藩に帰りますゆえ、お預かり致します」
「うむ、多古崎殿、頼む。
それから、沿岸とは別で、蔵屋敷も検めることになるので、付き合いと思うてご助力お願いしたい、特に紀州藩の湯浅殿」
「そうですな、我が紀州藩が求めに応じて蔵検めを受けるなら他の藩も拒むことは出来ませぬな、もちろん協力いたしましょう。藩主もそう言うでしょうし」
「もちろん千亀利藩も。帰りに蔵屋敷に立ち寄って私が直接役人に伝えましょう」
「心強い。頼みます」
「この場ではおっしゃられないかもしれないが、目星は付いておられる蔵屋敷はあるのか?」
「⋯ああ、一つは確実だ。確かに北の国の蔵屋敷だった、だが下手人は蔵屋敷役人で藩主ではない」
「藩主ではない?」
ほんの少し皆だんまりになる。
おそらく胸の内で怪しい藩や武家を予想しているのであろうか。だが、この中で実際に江戸で旗本たちを見たことがあるのは同じ旗本である堺奉行ぐらいだ。
「藩主でなければ蔵屋敷役人ということですか」
「事が終わったら申す」
「それはそうですな」
「それと石川殿、堺に出入りしている廻船問屋にも聞いておいてくれ、預かり知らぬ船を港で見かけたら知らせるようにと」
「承知つかまつりました」
「では、我らはこれにて失礼つかまつります」
「そうですな。多古崎殿、帰りも堺奉行で一泊なされませ」
「かたじけない」
「城代、私も多少蔵屋敷を掃除しに戻ります」
「うむ」
東町奉行以外の三人が出て打った
「百沙衛門、東次郎こちらへ」
重蔵が控えの間にいた息子たちを呼ぶ。
「「はっ」」
「二人にはもう一人客がきているのだ」
「客ですか?」
徒士に連れられて、百沙衛門と同じぐらいの青年の侍が入ってきた。
「これは、秋口どの」
「ご無沙汰しております」
兄弟は知り合いなのか、彼が座る前に声をかけていた。
「瑠璃姫、こちらは秋山藩の次期藩主になられる秋山義敦殿だ」
「お初に御目文字つかまつります。秋山藩主の嫡男義敦ともうします。普段は秋口源次郎と名乗っております」
「秋口とは通り名だったのだな」
「うむ、藤岡百沙衛門殿が長見と名乗っているようなものだな」
「なるほど」
「瑠璃姫様よろしくお願いします」
「こちらこそよろしゅう」
「百沙衛門殿と東次郎殿とはともに湯島の学問所で学び柳生新陰流の道場では、一緒に研鑽を積んだ仲でござります」
「まあ。
して、義敦殿はお強いのですかえ?」
剣術の話題に反応した瑠璃にすこし驚いた様子で、百沙衛門を見た義敦はすぐに瑠璃に向き直る。
「残念ながら、拙者は嗜む程度で、一度も毘沙門天の虎と言われる百沙衛門に勝てずにいました。機会があればまた手合わせいただきたいと思っております」
「今は東町奉行に滞在していただいているのだ」
「うむ、我が藩の蔵屋敷は住むのに向いていないのはわかっておるゆえ。しかし蔵屋敷検めには同行させてほしい」
「して、なぜ大坂へ?」
瑠璃の疑問を代わりに百沙衛門が言う。
「拙者が大坂に赴いたのは、江戸で野分の折の謀反の時に掴まった者の中に、我が藩の蔵屋敷役人を任じているものの弟がいたことに気がついたのです。ちょうど藩主が江戸在府中だったので、急ぎその者を江戸屋敷に呼び出したのと、同時に補佐として藩主である父について江戸にいた私がこちらの蔵屋敷の確認をしに出立したのだ」
「しかし蔵屋敷にはまだ行ってないんだな」
「うむ、老中の安部様に相談した父が、いきなり中を見るではなく様子を伺うようにと言われましてな。知らぬとは言え、我が藩の蔵屋敷でも謀反の用意をされていたとは情けない思い出あります」
瑠璃は、重蔵に目窪せすると、近づいた耳に檜扇で隠しながら聞いてみる。
「先だっての不時登城には秋山藩主殿は?」
「!そうか。
義敦殿、謀反前に不時登城があったと思うがその時にはお父上も登城されていたのか?百沙衛門もそこに控えていたのだが」
「まことですか?あの時は私が父の名代で下段の間におりまして、確か低井兼靖殿が上様に斬りかかろうとして小姓に足止めされて掴まったとか。
普段ならその日のうちに切腹となるところを、まだ牢に掴まっておるとか」
「あの時の小姓は鮮やかでしたよ。私は最上段の隣の控えの間で見ておりましたからな」
百沙衛門が得意げに言う。
「おお、それは羨ましい」
「こほん」
当の小姓だった瑠璃が咳払いをする。
「あ、いや、あの低井兼靖も大老の派閥の一人でな、だから完全に片付くまで今は奉行所預かりになっている、我が西町奉行にも大坂で謀をしていた一味が捕まっている」
「おかげでその他の罪人を天満の牢に移動するのも大変だったのだ」
「はい、大変でした」
東町奉行の瓜生と東次郎が少し遠い目になっていた。
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