九拾壱【気配】
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他の所は触るなと言われると見たくなるのは誰でも同じ。ましてや仕事となれば当然見るのである。
翌日、まだ薄明るい時間に屋敷に出かけて掃除を始める前に入り込み、戸を閉めて屋敷の中を探っていく。
たしかに使われてない部屋は埃が積もっている、埃が積もったままなら遠慮はいらぬとばかりに懐から下駄を出して座敷の中を下駄でうろついては押し入れなどを開けてみる。
掃除をする座敷の隣のところに行くと、畳に何度も引きずった跡があり、それはまた別の押し入れに続いていたりした。
「引きずるほど重いものでも?⋯⋯あるんやね」
土間に戻り納戸や床下さらには屋根裏もさっと覗いてから、改めて扉を開ける。
足音がしてきていたので、今日はここまでだ。
ガラリ
「おはようございます弥次郎はん」
桶をぶら下げて担ぐ老人がいた。
「おはようさん、おめも早いな」
「弥次郎はんこそ早いですね」
「年取ったらお天道さんが沈むとすぐに眠ぐなるのさ。そして朝も早ぐに目が覚める」
「まあ、じゃあ弥次郎はんを拝んじゃおうかしら」
「やめでけ」
「ふふふ」
弥次郎は長屋の皆が共同で使っている厠の裏へ歩いて行った。
それを見送って瑠璃は昨日と同じように雨戸を開けに舟入の方に移動した。
昨日も使ってないようなので、簡単に掃除をしてから、今度は竹箒で敷地を掃き始める。
「おはようさん」
声をかけてきたのは一人の男だった。首に手ぬぐいをひっかけて、井戸で顔でも洗っていたのだろう。
「おはようございます」
「あんたが新しい女中?」
「うちは朝の掃除だけで、長屋に引っ越ししてきたんです」
「ふうん。よろしくな」
「こちらこそ」
それからも数人の男が出てきて顔を洗ったり少し体を動かしたりしていた。
彼らはこの蔵屋敷の徒士だろう。
しばらくして身支度を整えて出てきた彼らは、裾をからげて腰帯に一本の刀を差しただけの姿だった。
彼らも手に手に竹箒や塵取りなどを持ち、掃除を始めている。
見慣れぬ瑠璃に挨拶をした後、男衆はチラチラコチラッを見てくるので、さっさと引き上げることにした。
◆◇◇◆
「で、どうだった?」
にゃあ
「どうって?」
瑠璃は長屋の二間ある方の奥、つまり蔵屋敷側の部屋に作業台を置いて、縮緬を切っていた。
そこに百沙衛門がシマオを連れてやってきた。
「まあ、そのうち言うわ。今は無理。
逆に百様はどうなん?」
「⋯玉むしに苦労している」
「怪我と阿芙蓉は?」
「阿芙蓉は抜けたが、肩の怪我は芳しくない。阿芙蓉が抜けた途端さらにやせ細って」
「うん」
「それに目を離すと自害しようとするから、猿ぐつわがはずせんのだ」
「あの人はうちと同じ感じやから、流されても戻ってこれそうやな」
「瑠璃は戻って来れるのかもしかして」
「海は試したことはないけど、琵琶湖で泳法は学んだえ」
「⋯すごいな」
「玉むしの件はいつでも手伝うさかい」
「わかった、奉行に言っておくよ」
「うん」
「えびす屋の旦那は?」
「あれも阿芙蓉は抜けたがだんまりだ。あれは自害はしないようだが」
「武士だったんやから、こだわりはあるかもしれんよ。
また、夕方にえびす屋に行くよって、その時にあっちの番屋によるから」
「わかった。では戻る」
立ち上がる百沙衛門に置いてあった刀などを手渡しながら、玄関に見送りに行く。
「ここにはもう来ないほうが良いよ」
「なぜ」
「百様目立つから」
「瑠璃に言われたくないんだけど」
「ふふふ」
「では後ほど」
「へえ待ってておくれやす」
土間には七兵衛もいて、寅治と世間話をしているようだった。
「瑠璃ちゃん、大丈夫なんか?」
「なにが?
そうや七兵衛はん、またお布団持ってきてくれておおきに」
「そんなん、なんてこと無いわ」
「ほなな、後で来るんやったら気をつけなよ」
「おおきに、でもうちは強いんよ」
「知ってるけどな」
二人を見送っていると、
「百沙衛門様とあんなに親しい女がいるとは知らなかったよ」
寅治に言われる。
「そうですか?」
「ああ、よく言い寄ってくる女もいるが、しょっぱくあしらってるもんさ」
「ふうん、おモテになるんやね」
「そりゃそうや、お江戸の人だろう?浪速の男と何かが比べたら違うしな。
それに役人の中でもあの人は特にええとこの出やろ」
「何処の人か知ってはるん?」
「わいは知らん、知りたいとも思わんし」
「そのほうがええと思うわ」
「おるりのことも知りたくないしな」
そう言いながら木戸番に戻っていく。
にゃあ
あ、またシマオが置いてきぼり。
瑠璃が今作っている簪は、菊の花。
去年初めて菫之丞に渡したのは白菊だったが、今作っているのは橙、黄色、白などの縮緬を組み合わせて、遠目には豪華な金色に見えるという大菊だった。
これも菫之丞の顔の半分近くありそうだが、舞台に立つ彼には丁度良いだろう。
ただ、大きいと手間がかかるのも確かだ。
次に紅葉と銀杏が混ざった図案が待っている。だが、菫之丞が菊を頭につけて舞台になったら、菊の簪もえびす屋で並べたほうが良いだろう。
そう思いながら静かに手だけを動かしていた。
にゃっ
「どうした?」
シマオが屋敷の方に顔と耳を向けて少し背中を逆立てていた。
にゃーっ
「あっこれ!シマオ!」
庭を降りてシマオを追いかける。
「シマオ」
「どうした?おるり」
屋敷と舟入の前の庭園では、ちょうど安仁村が盆栽の手入れをしていた。
「今、猫がこっちに来なかったですか?」
「ああ、そこの御米蔵の隙間に入っていったぞ」
「す、すんません」
「いや、猫なら大丈夫だ」
「なぜですか?」
「猫はな⋯ああほら来た。
この猫だろ?」
「へえ、あ、鼠獲ってきたんか」
にゃあ
足元に鼠の死骸を置いたシマオは得意げだ。
「御米蔵にはな、鼠がどうしても入り込んでくるのだ」
安仁村がその鼠を掴んで持ち上げてもシマオは眺めているだけだ。
「これは拙者が始末しておくな」
にゃあ
「そうか、賢い猫じゃ。
おるりの飼い猫なのか?」
「いや、知り合いの猫を預かってて」
「そうか、ネズミ捕りをしてくるならいつでも歓迎する」
シマオの顎を撫でている。
「こんなに沢山御米蔵があるなら、相当鼠がいるんですやろな」
「ああ、鼠や鼬、油虫や穀象虫なんかも湧く」
ひゃーと言いながら思わず二の腕をさする。
自分が強いと自称していても、苦手なものはあるのだ。
「ここのお米は春すぎにやってくると聞いたんですけど」
「うむ、寒いところの藩だからな。米が出来るのも遅くて秋の終わりである。そこからすぐに内陸の農家から集めてくると、たちまち雪に埋もれて動けぬようになる。
だから、雪解けを待ってから年貢を積んだ船が出るのだ」
そう言いながら懐に手を入れると、鍵を出した。
「どれ、他に鼠がいないか見るか。お前もみるかい?」
安仁村が話しかけている相手はシマオだ。
にゃあ
ちゃっかり付いて行くらしい。
「ここの蔵は一番初めに売り終わってて、残っている米俵は我らが食すように残してる分なのだ」
「なるほど、だからその鍵で開けられるんですね」
「米蔵の鍵は他の中間や徒士も持っているのだ」
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