八拾九【蔵屋敷の長屋】
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七兵衛は、中之島界隈のとある木戸番を訪ねた。
「寅治の兄貴、その長屋に空き家があるんだろ?
ちょいと店子を紹介したいんだけど世話してくれよ」
「世話って⋯まさか⋯⋯瑠璃さんを?」
七兵衛の隣にいるのはえびす屋での出で立ちそのままの瑠璃だった。
「どうしてまた」
「へえ、訳あって堀江の長屋を引き払ったんやけど、いまはえびす屋に居候してて…」
赤い太い格子柄の着物に黒い帯。藍色の前掛け。そして巾着を一つ。
「せやけど、まあぼちぼち落ち着きたいしね」
「⋯瑠璃さんが落ち着くの場所はお屋敷やろ」
寅治も詳しくは分かっていないが何となく瑠璃が奉行所と繋がりのある人間だとは分かっている。
「借り暮らしの間ならどこでもええんや」
「いやいや、瑠璃さんに何かあったらワイの命が危ないわ!」
「大丈夫、うちは強いんやから」
「せやけど…百様も知ってんのか」
「もちろんや。うちは寅治はんや七兵衛はんと同じやから」
「⋯⋯」
同じと言われても納得できない寅治だ。
その顔にくっきり浮かぶのは、若い時の破落戸の名残り。泣く子も黙る鬼瓦のようだと言われる人相の虎治だ。娑婆の辛苦をなめてきて、お情けでお役目を貰ってる自分とどこが同じだというのか。
腕には消せぬ刑の刺青がちりちりするというのに。
「⋯⋯お役目というならわいが聞くが」
「後で、上から教わると思うけど…とりあえず蔵屋敷の役人が家主なんやろ?
顔つなぎしてほしいねん」
「しゃあないな⋯ついてきて。保証人は誰にするんや」
「呉服屋のよしの屋さんか御用商人の和泉屋さんに⋯」
「和泉屋のほうが良さそうやな」
「へえほなそれで」
和泉屋は江戸の老中の息のかかった御用商人だ。それにあっさり保証人にさせるとは、そういう案件だと寅治は理解した。
「ほな、役人がおるか見てくるから待ってくださいよ」
「あ、そうや寅治はん、うちのことは〈おるり〉で」
「おるりな、わかりました」
「それとうちのことは、えびす屋にいる、ただの女中として扱ってな。
なんなら女中に口入れもしてくれるとありがたいんやけど 」
「⋯⋯わかった」
しばらくして、戻ってきた寅治に連れて行かれたのは、先日は和泉屋の丁稚の格好で訪れた入札役所だった。
七兵衛は寅治の代わりに木戸番にいる。
「ここがまあ、受付でもあるんや」
「なるほど」
「すんまへーん、安仁村様ー」
出てきたのは、数日前も見た同心風の侍だった。
「それが長屋に住みたいという娘か?」
「へえ、おるりと申すもので」
木戸番での様子とは打って変わっておどおどして見せる娘を前に押し出す。
「おるり、この方は名代をされてる安仁村 世古哉様だ」
「おるりと申します、よろしゅうお願いいたします」
「⋯うむ、では証文を用意するゆえ、待たれよ、その間空き家を見てくると良い」
「分かりました。おるり、こっちだ」
「へえ」
入札役所とは遠く離れた路地沿いの長屋に連れて行かれた。
中は小綺麗で、管理が行き届いているのがわかる。
「えらい綺麗な家やな」
「お国の徒士がいきなり住むこともあるよって、綺麗にしてるんやろ」
「なるほど」
作りは、入口の横に竈がある三和土があって、框を上がると、四畳半と六帖の二間続き、押入れ。
「井戸は屋敷側にあって、憚りもそうや」
「道理で長屋が続いているのに路地に井戸がないんやね」
裏の二坪ほどの庭の仕切り板にはなるほど簡易な戸があって、それを抜けると秋山藩の蔵屋敷の全容が見える。
「こんな簡単に入れるなんて⋯⋯」
「井戸はこっちや」
「へえ」
「井戸がこっちにあるさかい、水瓶を庭先に置く家もあるけど、おるりはどうする?」
「水瓶は竈の横のままでええよ」
「わかった、憚りはこっちや⋯っと、あれが女中の一人のおてる⋯あ、見つかった」
先日鉄鍋を和泉屋に見せていた女だった。それでも瑠璃は何食わぬ顔で、立っていた。
何しろあのときは男児の格好だったのだから。
「おや、親分さん、そこの娘さんは?」
「こいつぁ、おるり。時々小間物屋の店番をやってる娘だ。
そこの空き家に越してくるんだ」
「おるりさんね、私はおてる。よろしくね」
「よろしゅうお願いします。おてるさんはお屋敷の方で?」
「女中のようなことをしているわ」
「忙しいときは、何ぞ手伝うことがあったら言ってください。最近店番を外されてて」
「そうねぇ、私じゃなくて名代に言う必要があるわね、これでも藩の物だから」
「へえ、もちろんです」
「でも、私がそろそろお暇を貰う予定から、上手く言っとくわ」
「ほんまですか?」
「ええ、まあ、何が出来るか聞かれるかきかれるだろうけど」
「ほなうち、お料理以外なら何でも」
「なら大丈夫や、料理人はいるから」
「そうですか」
「ここの藩の人は味の濃いのが好きで、上方の料理は食べた気がしないって言って、北の方の料理が上手なおじさんがいるのよ」
「ほっ、それならよかったです。
ところでおてるさんはどうして女中をお休みされるので?」
「ややこが出来ちゃって」
「まあ、おめでとうございます」
「わいも今知ったわ」
「もう四人目なのよ、大変なの、今の一番下は五つなんだけど」
「なかなかお転婆な女の子やで」
「やめてよ親分さん、違うとはいいきれないけれど」
おるりは町人とはいえ物腰が上品で、言葉も上方のそれとは違う。
それでも寅治とのやり取りも出来るし、頭も回るのだろう。
「おるり、そろそろ、入札役所に戻らな」
寅治が声をかけてくる。
「なら、こちらからどうぞ」
内側を通らせてもらう。
屋敷側からおてるとやってきた瑠璃たちに安仁村が少し驚いている。
「なんだこちらから来たのか、寅治まで」
「へえ、すみません」
「安仁村様、おるりさん仕事手伝ってくれるらしいです」
「ふむ⋯⋯掃除ぐらい出来るか」
「へえ!お願いします」
「では、おてるに教えてもらうように。
それとこれ、和泉屋にここんところ二枚ともに書き込んで持ってくるように。入居はこれを見てからだ」
と、同じ文言の証文を二枚渡してきた。
「へえ、わかりました」
「ここから和泉屋は近いからすぐに貰ってこれるだろう」
「どうでしょう。和泉屋さんは御用商人やさかいお忙しいよって」
「おるりちゃん和泉屋さんが保証人なの?
このあいだここで鉄鍋や反物を買っていったけど⋯」
おてるが聞いてくる。
「へえ、いまおる小間物屋は和泉屋さんの店で」
「⋯⋯なるほどそうか、では紙を書いてもらって戻ってきたらここから呼びなさい」
「へえ」
「どうせ今日中は難しいだろうな」
そう言いながら安仁村が寅治の顔を見ると頷いていた。
瑠璃はそのまま寅治を伴って和泉屋に向かう。
和泉屋の店は天満の船着き場からほど近いところにある。
「布団とかはどないするのや?和泉屋がもってくるんか?」
「そのうち持ってくるわ」
「そのうちて⋯」
「たぶん七兵衛はんあたりが」
「⋯⋯あいつも不憫なやっちゃ」
とある筋から路地に入った先にある白いのれんに井桁が染め抜いてあった。
蔵屋敷をうろついている寅治でも、また違った趣の入口に気押されしてるのは将軍家御用達という見えない何かだろうか。
とはいえ、瑠璃はそれをものともせずガラリと戸を開ける。
「ごめんやすー。旦那さんはおられますか」
「はいはいただいま」
育ちの良さそうな丁稚が出迎えてくる。
「こちらにどうぞ、お連れ様も」
「おじゃまします」
「しつれいする」
草履を脱いで廊下をついていく。
「鎮平はん、先日はいろいろ貸してもろておおきにな」
「いや、あんなお下がりの擦り切れた服を瑠璃様が着るとは思いませんでした。てっきり雑巾などにするかと」
この丁稚と瑠璃は顔見知りのようだ。
「使い込んだ物って、なかなかわざと作られへんからね、助かったわ」
「それなら良かったですけど。
ほな、こちらに座ってお待ちください」
一つの座敷に通されて座布団を出されたところに座る。
「瑠璃様こっちに」
上座を勧める丁稚に、
「へえ、お構いなく」
と下座を陣取って座っていた。
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