八拾肆【さるの罠】
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心斎橋近くに戻ると、えびす屋の前に人だかりができていた。
その原因は瑠璃の客だったのである。
「瑠璃ちゃん忙しいのにごめーん」
「あれ、菫之丞はん。
どうしたん?簪でも壊れたんか?」
「せやねん!おねがい」
「わかった、すぐに直すさかい、そこにおられたらご近所さんのじゃまやな。
おふではん、菫之丞はんを奥の座敷に案内したって」
「もちろんです!どうぞ~」
女子より美しい男を嬉しそうに奥に案内している。
「かんにんやで、騒がしゅうて」
「看板女形はんやもんしょうがないわ」
「ってわけで。皆さん~またうちの舞台見に来たってな~よろしく~」
人気役者は民衆をうまくあしらって奥の座敷に行く。底に行って襖を閉めると姿が消えて通りが落ち着く。
「はぁ、きれいねぇ」
「化粧してなくてもきれいやったな」
「色男ではあるがな」
店先の作業台に座って、菫之丞に渡された見覚えのある桐の箱を開ける。
一年前に初めて菫之丞に渡した紅葉や銀杏をあしらった、舞台でも目立つ簪だ。
小さな紅葉が藤の花のようにだらりとぶら下がり、落葉を表したものだ。
それが二本外れていた。
これなら縫い付けるだけで大丈夫そうだ。
だが、ほかも一応確かめておく。
菫之丞はこの簪を挿してから売れたと思い込んでいるのだ。大切に使ってくれているのもわかっている。
「なかなか手が込んでるんですね」
喜助が瑠璃の作業を覗き込んでいる。
「あのときは、そんなに沢山じゃなかったし、それこそ趣味みたいなもんだから、凝ってこしらえたんよ」
ジャリ
草履が土を踏む音がして、二人に黒い影が被さってきた。
「おい、ここの主人を呼んでくれぬか?」
見上げて思わず上げそうになる声をこらえる。そして平静を装って言葉を選ぶ。
そこに立っていたのは、月代や鬚が茫々と伸び、少し据えた匂いを撒き散らしている侍風の男だった。
大小二本の刀を差し、偉そうな姿勢だが、背は男にしては少々低く、左小鼻に黒いほくろ、左右の目の大きさが多少違っている。
右目が二重で左目が一重だ。
その特徴は、江戸から持ってきた人相書きと同じ。
「旦那様ですか?」
今番頭の喜助に合図しながら、
「分かりました、ちょいとお待ちを、喜助はん」
「へえ、只今呼んでまいります」
喜助がそう言って奥に引っ込む。
「お客様、そこに立ってたら少々触りがありますさかい、こちらにお座りください。どうぞ」
と、店先の上がり框を示す。
「座布団もどうぞ」
「うむ」
大刀を腰から外して傍らに置いてから座る。
「お茶どうぞこちらに置きますね」
おふでが熱い番茶を盆に入れたまま置いている。
「いや、拙者は客では…」
「せやけど、旦那様のお客様なんでっしゃろ?」
この男とどう話を引き延ばそうか考える。
すでに、おふでも、喜助も店先にはいない。
「お客様のお名前をお尋ねしてよいですか?」
「いや、拙者は名乗るほどでは」
「せやけど、店主が奥で何ぞしてたら来るの遅くなりますやろ。
見たところ、お侍様?は遠くからはるばる来られたんやろか。疲れてそうや」
「では、サルが来たと伝えてくだされば」
「サル様ですか?失礼ですがどっちの字を書くので?」
「干支の申だ」
「わかりました、少々お待ちくださいね」
一瞬奥にいく。
そこには、先程の人気女形の市山菫之丞がおふでと話していた。
「おふではん、その人を奥の茶室につれていって、今はちょっとやばい客や」コソッ
おふでは心得ているので静かに頷く。
「もしかして、ヨレヨレの侍かい?なんか目立ってたんだよね」
さすがやな。
「うん、あとで説明できるとこは話すから」
「はい、じゃあ菫之丞様」
「あ、おふではんも茶室にいてや」
「段取りどおりですね」
「そう」
コソコソと移動してもらう。
喜助はどうやら住居側の玄関から番屋に向かったようだ。あらかじめ決めていた手筈通り。
確認できた瑠璃はちょっと安心して店に戻る。
「申様、もうちょっと待っておくれやす。
旦那様はいま憚りに入ったとこらしい。
今朝から腹痛いうてましてね」
「うむ、あいわかった」
隣のよしの屋も客がこのえびす屋に流れてこないようにあしらってくれている。
「申様は、遠くからこっち来られたんですか?」
瑠璃は座敷側から話しかける。
「うむ」
男は体をひねるようにして、店の奥を伺うような感じで見回している。
「えらい慌ててこられたんですなぁ」
「ま、まあな、あちらでちょっと面倒事が起こってな、こちらの主人に相談に来たわけだ」
「そうなんですね、こちらの旦那様がいうには随分前から仕入れに出た番頭が帰ってこなくて。
それはそれで心配なんですけど、それよりもお陰で売り物の反物も入ってこなくなってしまったんですよ」
「そ、それはひどい番頭なのだな」
「なにしろ、売りもんがなければお金が出来やしませんから、うちらの給金になりませんやろ?それで、小間物屋も始めたんですわ」
「大変だな」
「わかってくれはりますか。呉服屋が小間物屋に変わる謎大変なのですjわ」
「売るものもかなり変わるのだろうな」
周りを見渡している。
「へえ、隣は呉服屋さんですさかい、こっちも同じような感じでしたけど、小間物はものが小さいよって、店構えも多少変わったんです」
「ふむ」
「番頭はんが留守のうちにこんなに変えてもうて」
「それは主人の指示で?」
「そんなとこです」
「普通は主人のほうが偉いものだからできるだろう」
「ご主人様のほうが偉い?確かに普通ならそうですよね、へんな言い方してしまいました」
「あ、いや」
「ご主人様って、兼近のことでいいですよね」
「うむ、古い友人なのだ」
「ですか。それは良かった、私どももこの店の主人の友人というあなたをお待ちしておりましたよ」
店の中を見ていた申にはわからなかったようだ。
「は?」
軒先には与力、同心、目明しが近づいていた。
「邪魔するよ」
百沙衛門の声。
「へえ、ご苦労さんどす」
結局奉行所には帰っていないのだ。
「その男か?」
「はい」
振り向いた申が腰を上げて立ち上がる。
「な…」
そのすきに置いてあった申太の大刀を瑠璃が引っ込める。
「何だお前たちは、大坂奉行のものか?」
それには応えず瑠璃に話しかける。
「うむ…たしかに一致しているな」
「でしょう?」
「なんだ?」
「岩走申太だな」
「…それが?どうしてその名前を」
「すこし、付き合ってほしいのだ」
「だ、だが某はここの主人の兼近に会いに来たのだ。いま憚りから出てくるのを待っていて」
「わかっておる、兼近はこちらにおらぬ」
「な、なんだと?
おい、女」
岩走申太が脇差に手をかけて瑠璃に向き合う。
「兼近殿は憚りではないのか?」
「ふふふ、憚りじゃなくて、うちがあんたさんを謀ったんやで」
「なっ」
「おっと、抜いたらだめですよ」
と、瑠璃も紫の十手を出して、岩走申太の腹に突きつける。
「は?女⋯お前も町方だと」
「岩走申太はん、思ったよりここに来るん遅かったですね」
その言葉に答えたのは同心の方だった。
「だな。
お前が訪ねたかった兼近は大坂西町奉行所にいる。
ゆっくり会わせてやるからこい」
「は?なんだと?」
「ご禁制の亜芙蓉で遊んでたんや。それと、妻でこのみせの女将のますさんを殺害したという疑いで、牢屋におるんや」
「そんな…うわ、やめろ」
七兵衛が申太を羽交い締めにしている。
「わいかてやめたいわ、こいつっ、くっせ」
「我慢してな七兵衛はん」
「わかってるけど、こら、暴れるな!」
「どっちにしても、お前は江戸での謀反容疑で手配が回っていたのだ、神妙にしろ」
「大坂にも…ということはこの店の物は…」
「あの物騒なものか?もちろんもう無いぞ」
「そんな……」
「とにかくこい」
「くそっ」
「「なんだなんだ」」
「「汚い男だな」」
「お騒がせしてすんまへんなぁ」
「瑠璃姐さん大丈夫やったん?」
隣のよしの屋の丁稚の卯乃吉が心配そうに声をかけてくる。
「うちは大丈夫やで」
「よかった」
店の土間のほうから、避難していたはずの菫之丞がその様子を見てなにか書きつけていた。
「瑠璃ちゃんの近くにいると芝居のネタが拾えそうや」
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