09
煙管の煙が漂う気配だけを残して、店内が静かになった。
蝋燭の灯りの揺らぎと共に、エルネの唇がわずかに吊り上がる。
「どうせアンタも、金持ちの美形とお見合いしたいから姿絵改善するためにここに来たんだよね?婚活女の高望みはいつだって深刻だもん」
「高望み?」
「そう。もっと地位のある男がいるかもしれない、もっと金持ちの男がいるかもしれない。だからなかなか結婚できないんだよね。アンタも実は侯爵以上の男とはお見合いしないクチでしょ」
「いや。来た男性の釣書を断ったことはないぞ。私は選べるような立場ではないし」
「えっ」
エルネの瞳孔が大きく開く。
「じゃあアンタは本当にどんな男でもお見合いするの?加護持ちじゃなくてもいいの?種族は?子供の種族にこだわりないってこと?魔法適性は?子供に遺伝する可能性も高いのに、何も気にしなくていいの?」
「気にしないぞ。魔法は私もからっきしだしな」
「職業は?騎士とか王宮士官とか技術者とか神官とか、所謂エリートがいいでしょ?女同士のマウント取り合いに勝ちたくないの?」
「仕事に貴賎はないと思うぞ」
「じゃあ不細工でデブで貧乏でもお見合いするの?」
「ああ、お見合いするぞ。外見もお金もあまり気にならないしな」
じっとヒルデを見ていたエルネは、にゅるりと体を背もたれに預けた。
「体温が、ずっと一定だった」
「ん?何か言ったか?」
「……嘘が得意なのか、本当に本心でそう思ってるのかまでは分からない……いや、アンタは嘘つきには見えないね」
彼女はゆっくりと瞬きをした。
爬虫人族には温度を見ることが出来る者がいるが、エルネもその一人のようだ。
「うちに来る婚活女はね、美人もブスも最初は口を揃えて『高望みなんてしません』って言うんだよ」
「そうか」
「でも、嘘ついてるよねって指摘すれば『爵位は伯爵以上の騎士がいい』とか『魔法適性がある加護持ちじゃないと無理』とか、できるだけ条件のいい男を捕まえたいって言うの。補正料がたくさん取れるから、打算女はホントいい客。でもアンタはそんなんじゃないんだね?」
「うむ。私はただ結婚できたら幸せだ」
ヒルデの顔を見て、エルネが小さく鼻で笑った。
「それ、打算女より最悪だよ」
乾いた空気に、蝋燭の火が揺れた。
「結婚なんて、幸せになれるものじゃないし」
口角は上がっているのに、そう言ったエルネの目は、ヒルデではないどこか一点を見つめていた。
「よくいる打算女たちみたいに、家やお金の為とか、目的を持って結婚するならまだいいよ?だって、最低限欲しかったものは手に入れるわけだから、不幸になっても我慢できるでしょ。でもアンタみたいに、結婚したら自動的に幸せにしてもらえると思ってる女は、最高に愚かだよ」
煙管をコンコンと灰吹に落す音が、小さな部屋の壁に吸い込まれる。
ヒルデの返事を待たず、エルネが肩をすくめた。
「……なーんて。アタシは姿絵描いてお金もらえれば、あとは誰が結婚してどうなろうと、どうでもいいんだけどね」
じゃあさっさと絵を描こうか、と言うエルネの横顔を見て、ヒルデはふと心配になった。
「絵を描いてくれるのはありがたいが、エルネ殿は大丈夫か?」
「何?アンタ、アタシの事を心配してるの?」
「勿論だ。もし助けになれそうならば聞こうか?」
「……そういう反応なんだ。アタシにここまで言われたのに、怒って帰らないなんて変な女だね」
悲しそうなのはエルネの方なのに、怒るところなどあっただろうか。
するとエルネはおもむろに身を屈めた。
そして絨毯の上に置いてあったポットを片手で持ち上げ、もう片方の手で掴んだカップに冷めたお茶を注いでくれた。
「ま、これでも飲みなよ」
礼を言ったヒルデがお茶に口をつけると、エルネも自分の分のお茶をカップに注いだ。
「どう?美味しい?雑草って言われてる薬草のお茶だけど、思い出の味ってやつでアタシは好きなの。昔、貧乏な画家志望共と一緒に借りた、ちっちゃいアトリエで描いてた時のやつね」
「そうなのか。雑草は食べたことしかなかったが、お茶にしても美味いのだな」
エルネは三日月型に目を細めて笑った。
「……アタシの話、聞いてみる?アタシがなんでアンタに意地悪言っちゃったのか、言い訳させてよ」
ヒルデがお茶を飲みながら頷くと、ふっと息を吐いたエルネが話し出した。
「アタシ、家族とは絶縁してるの」
ヒルデが眉間に皺を寄せても、エルネは軽い態度で続けた。
「…………そんな悲しそうな顔しないでよ。アタシは別にもうどうでもいいよ。家名を捨てるって決めたのも昔の話だしね」
エルネは煙管の火皿に新しい刻み煙草をぎゅっぎゅと詰めると、火を移した。細い煙管を唇に挟み、大きくひと吸いする。そして長く細い息と共に紫煙をゆっくりと吐き出した。
「なんでそんなことになっちゃったかっていうと、母親の所為。あいつが不貞したの」
「……」
「『結婚は女の幸せだ』『結婚したら幸せになれる』ってよく言うじゃない?アタシの母親もね、そんなやつだった」
「……ふむ」
「でもね、母親は自分が思ってたような結婚生活ができなかった。父親の所為だって。相手が悪かったんだから『じゃあ幸せそうな女の旦那とやり直す』『今度は幸せにしてもらえるはず』とか言うわけ。意味わからないよね」
「……そうだったのか」
「結婚で幸せにしてもらいたいって言って、血眼になって全部壊した女が母親だよ?『なんで結婚しないの?幸せになりたくないの?』とか言われても、そりゃ結婚なんてしない方がいいって思うでしょ」
なんでもない顔をして、エルネはおかわりのお茶をトクトクと注いだ。
「お金や爵位の為に結婚する打算的な女は、毒でも死なないから大丈夫。だから玉の輿に乗りたいなら好きにすればいいけど、『幸せになりたいから結婚したい』なんて言ってる弱い女は、結婚なんてしない方がいいんだよ」
「……それは、大変だったな」
「でしょ。子供の頃は散々だったね。家を出たのが早くて生命力がついたのは良かったかな」
エルネは肩を竦めて笑った。
「エルネ殿、そんな過去があるのに婚活用の姿絵師をするのは辛くはないか?」
「……絵を描くのが好きだし、別に慣れた。風景画や神像画を描けばいいのかもしれないけど、アタシみたいな半端な絵師は姿絵が一番稼げるしね」
エルネの気持ちは正確にはわからない。しかし彼女は少し寂しそうにも見える。
ならばヒルデは、嘘は言えないけれどせめて気の利いた事を言ってあげたい。
ヒルデはしばし考えて、口を開いた。
「私は、やっぱり結婚したら幸せになれると思っている」
「アンタ、アタシの話聞いてた?!」




