08
気を取り直して、神殿の本殿へ向かう。
二人は開け放たれた大きな扉の前で一礼をして中に入る。
高い天井に響く大勢の静かな足音と、漂う祈りの気配。
この奥に広がるのが神託の間だ。
「じゃ、俺はさっさと聞いてくるから」
「うむ。私もついでに祈っておこう」
長く連なる柱、高天井の窓、半円の台座。そして王国の地に坐す鳳炎の女神と朧雲の男神の石像が据えられている。
レイヴンと共に膝をついて祈るが、加護を持たないヒルデが神からの神託を受けることはない。
微かな風が、布を揺らす音がする。
眠くなってきそうだ。
うとうと目を瞑っていたら、ふと頬に視線を感じてヒルデは顔を上げた。
「どうしたレイヴン?祈りが終わったなら声をかけてくれれば良かったのに」
レイヴンはヒルデが笑って一瞬驚いたようだったが、すぐに表情を変えた。
「……おすすめの姿絵師、わかった。ここじゃあれだから、移動して教える」
神託の間を後にする。
流石に祭壇前で堂々と姿絵師の評判を神託で聞いたとは言えないので、人気がなくなってきたところで、ヒルデは絵師についての情報を促した。
「まず、姿絵師の候補は二人いる」
レイヴンはすっと指を立てた。
「一人目は流行にも敏感で、男受けする可愛い絵を描くのが得意らしい。しかも美形で特に貴族令嬢に人気なんだって」
「成程、可愛い絵か……」
「で、二人目はかなり精密な姿絵が描ける絵師らしい。顔立ちだけじゃなくて、仕草や空気感まで描けるとか。腕は折り紙つきで、店もここからそう遠くない、が」
「……が?」
「性格がキツいらしい。結構客の令嬢たちと喧嘩してるらしいぞ」
「ふむ」
ヒルデは一呼吸おいたが、悩んだわけではない。
答えはレイヴンに選択肢を聞いた瞬間から出ていた。
「私は二人目の方に話を聞いてみたいな」
「そう言うと思った」
神殿の門を抜けると無垢な空気、静謐の匂いが遠のき、その代わりに街の屋台の焦げたソースの匂いがヒルデの鼻をくすぐった。
一気に食欲が湧き上がってきて、ぐうっとお腹が鳴る。
レイヴンもお腹が空いていたようなので、二人で屋台に入って炭焼き肉麺を食べ、腹ごしらえをしてからそれぞれの目的を果たすことにした。
「はい、これ姿絵師の店までの地図。ここの角で曲がるの忘れなければ、方向音痴のヒルデでも簡単だから」
「何から何まですまないな」
「いいよ。俺はあそこの薬草屋見て帰る」
「欲しい苗、あるといいな。鼻毛がすぐに止まる薬草だったか」
「鼻血がすぐに止まるようになるやつだよ」
レイヴン直筆の地図を携え、進むのは昼下がりの小径。
時折、軋む扉の音や、どこかで小さく鳴る鈴の音が聞こえる。店主と客の気配は確かにあるのに、誰ともすれ違わないのは不思議だ。
「ここか」
ヒルデが足を止めた場所にあったのは、地下へ続く小さな階段と、ひっそりと佇む「姿絵師エルネ」と書かれた看板。
扉を開けると、かすかな鈴の音が店内に静かに響く。
そのまま中に一歩踏み入ると、甘い匂いが出迎えてくれた。
貴族が好みそうな上品な石像があると思いきや、子供が喜びそうなカラフルなタペストリーや異国の楽器、それから加護持ちの画家が描く神秘的なものとは全然違う、反骨的な神像画もあった。
そして画材がぶちまけられたテーブルが一つと、その対面に置かれた椅子が二脚。
個性的な空間に、店主独特のこだわりを感じる。
「いらっしゃい」
店奥のカーテンのほんの少しの隙間から、ニュルリと女性が出てきた。
真っ赤な口紅と、長い爪が印象的だ。
喋るたびに裂けた舌が、瞬きのたびに特殊な瞳孔が見え隠れするから、蛇の尻尾はないけれど、種族は爬虫人族のようだ。
「アタシがエルネ。ここの姿絵師。……釣書の姿絵が欲しいんだよね?」
少し気だるげな雰囲気のあるエルネはヒルデを一瞥して、質問を投げてきた。
「そうだ。登録済みの釣書の絵を更新したくてな」
「名前は?」
「ヒルデ・ロシュフォールだ」
「ヒルデね。じゃあヒルデ、ここ座って」
ヒルデは示された椅子に腰掛けた。
その正面に座ったエルネは筆ではなく煙管を取り出し、長い煙を吐いた。それは天井にとぐろを巻く。
この部屋に充満する甘いスパイスのような香りは、彼女の煙草からくるものらしい。
「じゃあ、アンタの絵に対する希望を教えてよ」
「絵に対する希望か」
「肌をきれいにしてください、目を大きくしてください、もっと上品に、もっと男受けするように、挙げ句の果てには髪の色も変えてください……何でも言っていいよ。アンタの望み通りに描いてあげる。それで釣れた一番条件のいい男と結婚すればいいよ」
煙の線が漏れるエルネの口紅の間から、一瞬だけ鋭い牙と裂けた舌が見えた。
「うむ。今使っている姿絵が、実物と似ていない問題があってな。なるべく実物に近い絵を描いて欲しい」
「補正しなくていいってこと?私の技術、超自然だって有名だよ?」
「しかし、そんなことをしてどうするんだ?」
「……本気で言ってる?」
「本気も何も、別人を描いてお見合いで人違いされたら困るだろう」
「ふぅん」
エルネはつまらなさそうに頬杖を付いた。彼女の指に沢山つけられた指環が、視界の端でチラチラと鈍く光る。
「じゃあ、言い方変えよっか。アンタはどういう人とお見合いしたいの?」
「お見合い相手の希望か?私でもいいと言ってくれる人がいいな」
面倒くさそうに卓に肘をつき、エルネはふうっと煙管の煙をヒルデの顔に浴びせかけた。
「あはは、何それ。嘘でしょ?」




