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「きちんと聞いていた。その上で、私は私で良いと言ってくれる者がいるならば嬉しいし、結婚をしてもらえるなら責任を持って幸せにしたいと思っている」
「して欲しいじゃなくてしたい?………………要するに、女のアンタが男を幸せにするって言ってるの?」
「もちろんだ」
ヒルデは自分の手のひらをエルネに見せた。彼女は驚いて小さく息を呑んだようだった。
「お見合いでは気持ち悪いと言われるんだ。でもこんな剣ダコのある手でもいいと言ってくれて、結婚して近くで幸せそうにしてくれたら、私はもうそれだけで嬉しい。そんな相手なら全力で守るし、命懸けで幸せにしたいと思うんだ」
「何それ……」
「もちろん、結婚は大変なことも多いとは分かっている。だが、少し前に友人の結婚式があってな。なんというか、隣の誰かをあんな風に笑わせてやれたら、私はやっぱり嬉しく思うだろうなと確信したんだ」
エルネは難しいような不思議なような、なんとも言えない顔をしていた。
「私は恋愛や結婚は全く経験がないから、的外れだったら申し訳ない」
「経験がないにも程があるでしょ。…………アタシは、結婚はそんなに甘くないよって言ってんの」
「そうか」
呆れさせてしまったようだと思ったが、エルネはその困った顔のまま小さく笑った。
「でもアンタの相手は少なくとも退屈はしなさそう。変な女だしね」
ヒルデが顔を上げると、エルネはいつの間にか煙管を仕舞っていて、左の手でキャンバスをイーゼルに立てかけた。
「じゃあアタシは、アンタが少しでも幸せにし甲斐のある男と会えるように、頑張って絵を描いてあげるよ」
そして右の手と口を使って、絵の具で汚れたエプロンのリボンをぎゅっと縛った。
それはヒルデが勝負前に、鎧の襷を締め直して気合いを入れる動作と似ている気がした。
「実物と違うって言われないような絵がほしいんだっけ」
ヒルデの顔を見つめていたエルネは、おもむろにヒルデの前髪を手のひらで上にあげる。
長い指でヒルデの額の傷をざらりと撫でた。どこか生々しい感触で、余韻が残る。
「ヒルデ」
「なんだ?」
「顔に傷のある女は婚活ではめちゃくちゃ不利よ。この額の傷くらいは消しとく?」
「いや、そのままに描いてくれれば良い、守りたかったものを守ってついた傷だ。誇りはすれど隠すようなものじゃない」
「ふぅん。…………確かにアンタにはあってもいいかもね、傷跡くらい。傷があるから結婚したくないなんて言う阿呆な男は最初から寄ってこないわ」
ヒルデの顔から手を離したエルネは、ガラッと大きな引き出しを開けた。かと思えば、引き出しを丸ごと引き抜き、そのままテーブルの上にドンと置いた。
中には、たくさんの化粧品が入っていた。
「化粧、してもいいよね?」
「姿絵を描くのに、化粧をするのか?」
「ハァ?当たり前でしょ何言ってるの」
「いや、釣書に載せるのだから、そのままの方がいいのではないか?」
「あのねえ、化粧は服と同じでしょ。女のすっぴんなんて裸体のようなもんだよ。誤魔化しちゃいけないからって、そんなもの釣書には載せられないでしょ」
「そうか、そういうものか」
エルネは鏡を配置したり、髪を留めたり簡単に化粧の準備を済ますと、筆につけた肌色補正料をヒルデの頬にベタリと塗りつけた。
「化粧って絵を描くのと似てるのよね。アタシは支度屋じゃないけど、化粧も得意だから安心して」
ヒルデを不安にさせないよう気にかけてくれたのか、エルネはそう言った。
しかし言われなくとも、彼女自身に施された化粧や、お洒落ないでたちを見れば彼女の腕が相当なものだということはヒルデにも感じられる。
しばらくして化粧が完成すると、エルネは鏡越しにヒルデを見つめてふんと満足そうに息を吐いた。
そして、心が決まったように言った。
「……アンタは、全身の姿絵にしようかな」
「普通は肩から上だと思うが、どうしてだ?」
「アンタの身長が高いことを絵で見せたいの。アンタの身長を最初から見せとけば、『自分よりデカい女は無理』って男は寄ってこなくなるでしょ。これも虫除けね」
エルネの方が絶対に恋愛経験も豊富だろうし、何より売れっ子の姿絵師が全身の姿絵の方がいいというのだから、間違いない。ここは素直に従うことにする。
「そこに立って。じゃあ、ちょっと髪をふわってやってみて。アンタの全身の空気感を見たいの」
「分かった」
「くるっと回ってみて」
「こうか?」
スカートをふわりとやって回ると、エルネはふっと笑った。
「そのリボン、髪色に合ってるね」
「幼馴染にもらったんだ」
「ふぅん。いい友達じゃん」
そう言った後のエルネは、真剣な顔でヒルデの一挙一動を見ていた。まるでその目に一瞬一瞬を焼き付けているようだ。
「……アンタは無骨だけど、動きに軸があるんだね。じゃあ空気感を見るのはこれくらいにして、姿絵のポーズを決めるから。そこに立って、まずは三十度くらい体を斜めに……そうそう。それで、足はこう。体重は後ろ足に六割。それから背筋を伸ばして、顎引いて」
エルネが角度まで事細かに指示をしながら、すでにスケッチを始めている。
前回姿絵を描いてもらった時は、ただ前を向いて座っているだけで終わったので、こうして姿絵師に色々指示されるのは予想外だ。
流石評判の絵師は違うなと思いつつ、ヒルデは懸命にエルネの指示に従った。
「次は好きなこととか、幸せなこと考えて」
「うむ」
次は注文の多い動きではなく、頭の中で考えるだけなので簡単だ。
しかし言う通りにしたはずなのに、エルネは不服そうだった。
「……何考えたの?」
「食べ物のことだ」
「却下」
呆れ顔のエルネからは、全く共感が感じられなかった。もしかしたら彼女は食べることがあまり好きではないのかもしれない。
「もう少し色気のある事考えてよ」
「色気か………………」
「そんなに悩んでたら日が暮れちゃうわ。友達の結婚式が素敵だったんでしょ。そのこと考えてみて」
「分かった」
(ええと、あの日はよく晴れていて、青空の下でミレイユとマーカスが幸せそうで、私はレイヴンと一緒に花を投げてお祝いをして……いい日だったな)
鮮明なその瞬間を思い出すと、思わず温かな気持ちになって顔が綻んだ。
「……玉の輿くらい狙ってもいいのに、勿体無い」
「何か言ったか?」
「何も言ってない。歯は見せないで。簡単に手の届く女として描きたくないの」
言われて口をきゅっと結ぶと、鉛筆を咥えたエルネがぐるりと首を回してから頷いた。
「その顔でいいや。……じゃあ描いていくから、そのまま動かないでね」
「よし、分かった」
椅子を引き寄せて、キャンバスに齧り付くように描き始めたエルネの手元からは、鉛筆の音が不規則に聞こえてくる。
特に躊躇うことも悩むこともせず、シャッシャと腕を走らせる。
「……このくらいかな」
しばらくして、慣れた手つきでスケッチを完了させたエルネは、鉛筆を置いた。
次は色付けをするようで、エルネは水がいっぱいに入ったバケツに筆を突っ込み、キャンバスに鮮やかな色を広げ始めた。
ヒルデは微動だにしないまま、エルネの真剣な顔を見ていた。
どれくらい時間が経っただろう。
ふっとエルネが顔を上げた。筆を置き、うーんと伸びをする。
どうやら姿絵の作成が完了したようだ。
「我ながら会心の出来だよ」
エルネが手渡してくれた姿絵には、凛と立つ姿が描かれていた。
ヒルデと特徴は一致しているが、表情は自分で思っていたより柔らかく、目鼻立ちが整っていて、纏っている空気からはどこか風の匂いが感じられるようだった。
自分は他人からこんなふうに見えているのだろうか。それとも、エルネがかなり好意的に絵を描いてくれたのだろうか。
どちらにしても、予想の百倍は素晴らしい絵になった。
「とても素敵だ。ありがとう」
「どういたしまして」
「しかし良い絵すぎて、お見合いで実物は姿絵と違うと言われないだろうか」
「そうだね。確かに喋ったら、印象が変わったとは言われるかもしれないけど」
「そうか……」
「それはもう仕方ないわ。姿絵の方が良いって言う男じゃなくて、姿絵より実物が良いって言ってくれる男を探すしかないよ」
(うーむ。この姿絵よりも実物が良いと言ってくれる人はいるだろうか……)
手元の姿絵に再び視線を落としたヒルデは、絵の中に立つ女性を他人事のように見つめて、首を傾げた。
「多分いるでしょ」
「ん?」
「姿絵より、実物の方が良いって言ってくれる男」
「……私の心が読めるのか?」
「アンタ分かりやすいから。……アンタは変わってるけど、アタシは嫌いじゃないよ。だから実物が良いって言ってくれる男もいるんじゃない、探せば」
エルネは再び煙管を咥えた。そしてふいっと明後日の方を向いて、細く長い煙を吐いた。
「あ、でも化粧くらいは練習したら?アタシの化粧の腕が良すぎるから難しいかもしれないけど、自分に合う化粧できるようになるだけで違うんじゃない?」
「化粧か。わかった。考えてみる」
こうして代金を支払い、ヒルデはエルネにお礼を言った。
「では、ありがとう。これから結婚相談所へ行って早速姿絵を差し替えてくることにする」
「そうして。あ、もし結婚相手が決まったら、アタシにも結婚報告してよ」
見送りに出てきたエルネはチラリと舌を出し、手を握ってくれた。
その手は爬虫人族らしく少しひんやりとしていたが、すべすべとしていて気持ちが良かった。
こうして店から出たヒルデは宣言通り、姿絵を差し替えるために結婚相談所へと向かったのだった。




