05
「そのマメみたいなの、気持ち悪い!!!!」
「……これは、剣ダコだ。子供の頃から毎朝鍛錬をしているからついたんだ。気持ち悪いか?」
「ええ?当たり前じゃん!そんなの気持ち悪いに決まって……」
その瞬間。
ヒルデの眼前で空気を切ったのは、地味な色の外套。
ダンッ!
ヒルデとドビーを隔てるように、二人の間へ勢いよく手が叩きつけられて、驚いたドビーが小さな悲鳴をあげた。
「な、なんだ?!いきなりなんだよ君は!!!」
「…………失礼、よろけてしまいました。仕事が忙しくて最近貧血気味で」
何故か、後ろの席にいた筈のレイヴンがヒルデのテーブルの横に立っていた。
「ひ、貧血う?!」
「はい」
「っていうか誰なんだよお前は!?なんでいきなり出てきて他人のテーブル叩くわけ?!」
「だから、貧血でよろけてしまっただけです」
「本当なの?!全然貧血なんかには見えないけど!!なんか怪しいんだけど!何が目的?!」
ドビーが大声を出したので、カフェにいた客達がチラチラと振り返った。
「公の場でそんな大声を出さないでください。はしたないですよ」
「はしたない?!僕ははしたなくなんてない!!伯爵だぞ伯爵!」
「ああ、卿のキンキン声で意識が遠のいてきました」
レイヴンが首を垂れ、額を抑える。
「え、大丈夫か?レイヴ……」
確かに神官は昼夜問わず働かなくてはならないし、最近は特に激務だと言っていた。本当に貧血かもしれない。
しかしヒルデが名前を言いかけたら、レイヴンにものすごい勢いで睨まれた。
「それより貴女、もうお見合いはやめにして俺を神殿まで連れて行ってください。いいですよね?」
「ま、まあ、体調は心配だしな……」
彼が何を考えているのか、本当に貧血なのかはあまり確信はなかったが、レイヴンの勢いに頷いた。
立ち上がったヒルデがレイヴンの肩を支えようとすると、ドビーが声を上げた。
「ま、待って!やっぱり気持ち悪い手くらいなら許してあげるよ!だってヒルデちゃんいい子だし!それにきっと剣ダコってやつも神殿に行けば治るでしょ。ね、だからそんな得体の知れない男はほっといて、お見合いの続きしようよ」
立ち上がったドビーは、ヒルデに席に戻るように大きな手振りで促した。
「それにさ、そんな得体の知れない男絶対危ないよ!貧血とか言って、ヒルデちゃんを連れて行こうとしてるんじゃない?!分かった、変態だよ変態!!変質者だよ!!」
「お前の方が変態だろ」
「ファ?!今なんて?!」
「いえ、何も言ってませんよ」
ニコッと笑顔を貼り付けてから、レイヴンはヒルデを背中に隠した。
しかしそれがいけなかったのか、目ざとく反応したドビーが「やっぱりこの男なんかおかしいよ!!」と叫んだ。
そしてその体からは想像できない速さでレイヴンの脇をすり抜けた。
「ヒルデちゃん、僕が助けてあげるからね!!早く一緒に逃げよう!」
がしっ。
無我夢中だったのか、それとも混乱に乗じてだったのか、ヒルデの腰にドビーが抱き付いた。
「!!」
「!!」
声にならない悲鳴を上げたのはヒルデではなく、レイヴンとドビーだった。
しかしレイヴンが振り払う前に、ドビーは恐ろしい勢いでヒルデから距離をとる。
「何これ!!!!ヒルデちゃん引っ張ったのに、なんか全然びくともしない!しかも普通の女の子みたいに柔らかくないし!こんなの岩じゃん、どういうこと?!」
ドビーは震え、青い顔で唾を撒き散らした。
「ああ、戦いには体幹を鍛えることが必須で……」
「女の子なのにおかしい!!!」
ドビーが癇癪を起こしたようにテーブルを叩き、ヒルデの声を遮った。
何か言おうかと思った。しかしヒルデよりも先に反応したのはレイヴンだった。ヒルデは彼に手をぎゅっと握られ、久しぶりに軽く痛みを感じた。
「もういくぞ!!!!」
レイヴンは懐から出した金貨を割れそうな勢いでテーブルに叩きつけると、そのままヒルデを引っ張ってものすごい勢いで歩き出した。
「ほんとあり得ないだろ!なんなんだよあれは!」
「…………どこまでいく気だ、レイヴン」
ヒルデは怒りに任せて歩くレイヴンに引っ張られ、王都の通りを歩いていた。
レイヴンの背中は、左右から飛び交う呼び声や驚きの声、荷車のブレーキが軋む音すら気にも留めていないようだ。
彼に道ゆく人を避ける気配が無いので、その圧に気押された人々が道を開けてくれている。
大通りの両脇には、色とりどりの看板を掲げた店が軒を連ねていた。しかしレイヴンはそれらすっ飛ばしてずんずん歩く。
「レイヴン、どこまでいくんだ」
「知るか!苛つきが収まるまでだ!」
「そうか」
「そうか、って何他人事なんだよ!そもそも被害に遭ったのお前だからな?!本来怒るべきなのもお前だからな?!あんな奴しかいないなら結婚なんてほんとにもうやめろ!」
「まあまあ、ああいうのはごく稀にしかいないから。落ち着こう」
「落ち着いてられるか、お前が怒らないから俺が怒ってんだよ、代わりに!ほんとに、何なんだあの失礼な変態は!!!!」
王都を流れる運河まで辿り着き、ようやく止まったレイヴンは「はあー」と嘆いた。
人通りはそう多くない。大人二人が立ち止まっても、他の通行人の邪魔にはならなかった。
「あ、そういえばレイヴンの貧血は嘘だよな?体調は大丈夫だよな?」
「明らかに大丈夫だろ、お前はなんでこんな状況でも人の心配なんてしてんだよ!!」
「レイヴンの体調の方が大切だったからな」
鐘のある時計台。白い尖塔。遠くの王城。
街並みの隙間から雲が流れていく。
ヒルデは、特に怒ってはいない。
そもそもヒルデは大抵の者よりも強いのだから、大抵のことに対して寛大であるべきだ。
それは、人でも物でも簡単に壊せる力への責任であり、代償である。
力が強いからこそ常に余裕を持ち、感情に振り回される事はあってはならない。……と、ヒルデに戦いを教えてくれた父が生前、何度も言っていた。
でも、少し悲しかった。
自分なりに頑張ってきた。
ヒルデが積み重ねてきた今までの中には父がいて、母がいて、幼馴染がいて、友がいて、仲間がいて、目標があって、決意があって、思いがあった。
それはヒルデの喋り方や、剣ダコにも繋がっている。
だけど、相手の言葉だけでそれが全部否定されたような気持ちになってしまうのだから、やはり拒否されるのは辛いものだ。
「……何考えてるんだよ」
「いや、ちょっと悲しかったなと」
「当たり前だろ。だから、お前は怒っていいんだって」
レイヴンが思ったよりも深刻そうな顔をしていたので、ヒルデは慌てて首を振った。
「レイヴンが怒ってくれたし、もういいんだ。私は寝たらすぐに元気になるしな。…………それよりほら、あの雲、飛竜に見えるぞ」
空を指差したヒルデの隣で、レイヴンが小さく目を細める。から元気を見透かされているだろうか。
「何かあったら言えよ」
レイヴンは、本日何度目かのため息をついただけで追求はしなかった。しかし、その手はまだしっかりとヒルデの手を握っている。
彼はそれすら忘れるほどに真剣に怒って、心配してくれたのだろう。有難いと思うと同時に、少し可笑しくなってヒルデは笑った。
「なあレイヴン」
「なんだよ」
「君は私の剣ダコは気にならないのか?」
「剣ダコ?だから別にそんなの……っ、ごめん。勝手に手触ってた」
ハッと気付いて手を離したレイヴンは、少しバツの悪そうな顔をした。
レイヴンのこの顔は、子供の頃から全然変わらない。
ヒルデの皿に苦手な水にんじんを移した時もこの顔をしていたし、転けてヒルデに助け起こされた時もこんな顔をしていた。
「謝ることなんて何もない。君はいつでもどこでも、触りたければ勝手に触ってくれていいからな」
「…………はあ?一日に二人も変態の相手させるな」
レイヴンは、唐突に背中を向けてふらりとどこかへ行ってしまった。
きっと、待っていれば戻ってくるだろう。
運河の水辺のベンチに腰掛けて待っていると、レイヴンは両手に飲み物を持って帰ってきた。
「はい」と手渡されたのはヒルデの好きな渋茶だった。
一つ向こうの通りまで出向いて、屋台で買ってきてくれたらしい。
「ありがとうな、レイヴン」
「別に」
「飲み物もだが、色々と」
「……いつものことだろ」
「ああ。いつもありがとうな」
レイヴンはヒルデの隣に腰掛けた。彼も渋茶を一口飲む。カラカラと、レイヴンの飲み物の中の氷が揺れる音がする。
一つ呼吸をすると、王都を巡る運河の穏やかな音も聞こえる。
淡い香りの花々が街並みに溶け込んでいく。
お茶の香ばしい渋みをゆっくりと味わっていると、空を見上げていたレイヴンがポツリと言った。
「ヒルデは、まだお見合い続けるんだよな?」
「続けるつもりだ」
「分かった」
諦めた方が楽だとは言わないレイヴンに感謝しつつ、ヒルデは静かに自分の手元を見ていた。




