09
「なんですか鬱陶しい。腕にベタベタ掴まらないでください」
「大変なんだよー!」
「何があったんですか」
嫌な顔を隠そうともしないバルトが、カイルに聞いた。
「それがさ、交流会のために集まってくれたエルフの女の子たちの中に、バルトが来ないなら帰るって言い出した子がいるんだよー!」
「なんだそんなことですか。じゃあ帰らせればいいじゃないですか」
「村の若手にも声かけてるって言っただろー。人数が減っちゃったら、あいつらが悲しむんだよー!」
「俺は知りません」
「バルトぉー!」
腕を振り解こうとするバルトに、カイルがさらに強くひっついた。
「ほらヒルデちゃんは友人なんだし、女の子たちともちょっと話すだけだし、問題なんてないだろー?!」
「……普通に嫌なんですけど」
「本当にちょっとだけでいいから!バルトが交流会に行ってる間、ヒルデちゃんは僕と妻とお祭り楽しんでるからさ!ね、ヒルデちゃんもいいよね?」
困った顔のカイルに話を振られて、ヒルデは頷いた。カイル夫妻は二人とも話しやすそうだし、一緒にお祭りを回ったら楽しそうだ。
「もちろん私は構わないぞ」
ヒルデの返事にカイルはパッと顔を輝かせたが、バルトは違った。
「……はい?」
今まで面倒くさそうにカイルをいなしていたバルトの毛が、ぶわっと逆立ったような気配がした。
「どうかしたか?」
「……ここまで来て、アンタは俺にその交流会とやらに行って欲しいんですか」
「何か問題があるのか?」
「なんですかそれ。さっき色々思わせぶりなことも言ったくせに、アンタは俺が別の女性とお祭り回っても全然問題じゃないって言うんですか」
「ああ。問題ではないと思うぞ。『交流期間』はお試し期間だから複数人とデートして比較検討しても良いと言われなかったか?」
「…………」
バルトの視線が、露骨に鋭くなる。そして急に放たれた殺気にも似た圧にヒルデは思わず身構えた。
「ええそうですよね、確かにそういう規定でしたよね。別にいいですよ?全然悪くなんてないです。それが正しいです。もちろん俺がこんなこと言う権利はないのでアンタは十人でも百人でもご自由にどうぞ」
「うわっ」と小さく悲鳴を上げたカイルを突き飛ばして、バルトがどこかへ立ち去ろうとしている。
何が起こったのか、いまいち把握できていなかったが、ヒルデは慌ててバルトの腕を掴んだ。
「待て待て、落ち着いてくれ。ええと、とりあえず、百人なんてとんでもない。私と会ってくれる貴殿のような者が大陸に一人いてくれただけで奇跡なんだぞ」
振り払われることを見越して多少の力を入れて腕を掴んだのだが、バルトは痛がることも、ヒルデを払いのける事もなかった。
「…………じゃあ俺しか会ってないんですか」
「会ってないぞ」
「でも、俺しか会ってないけど俺に断られても困らないですよね」
「いや、それは困る」
「…………本当に困るんですか」
「とても困るぞ。当たり前じゃないか」
「…………じゃあ俺、やっぱり交流会は行かない方がいいじゃないですか」
バルトは、ばさっと乱暴にフードを被ってそっぽを向いた。
「そういう時は嫌って言ってくださいよ……」
裾が長く厚い衣装の所為で、バルトの尻尾も見えない。
しかし、またいつバルトが逃走するかわからないので、ヒルデはバルトの腕をぎゅっと握ったままだった。
「えーと…………」
沈黙を破ったのはカイルだった。
ヒルデたちのやり取りを見ていた彼は、恐る恐る声を上げる。
「じゃ、じゃあ、交流会は兄ちゃんが上手くやっとくから、もう考えなくて大丈夫だからなー。……バルト、兄ちゃん行くから、ちゃんと謝って素直に話すんだぞー……多分、きっと大丈夫だからなー……」
バルトの様子を気にしているのか、その場を離れがたそうに何度も振り返りながら、カイルは広場の方へ消えていった。
カイルがいなくなり、すっかり静かになってしまった。
「……すみません」
バルトから蚊の鳴くような小さな声が聞こえてきた。
「すまん、聞き取れなかった」
「だから、すみません!」
「何がだ?」
「大人げなかったです」
「そうか?結婚相談所の規定を全て覚えていないのなんて、当たり前のことだぞ」
「……」
「大丈夫だ。心配するな」
「……」
頓珍漢な慰めだったからなのか、バルトは何も言わなくなってしまった。
立ちっぱなしもあれなので、適当な場所を見つけてバルトを座らせる。
話したくないのならば無理に会話をすることもないだろうと、ヒルデは隣でのんびり空を眺めていた。
雪解けの澄んだ青、薄い雲。飛ぶ鳥と、高く連なる白銀の峰々。
ふと隣を見ると、バルトもヒルデと同じ方向を見上げていた。
「子供っぽいですよね。…………ロルガン兄さんなら絶対にあんな事しないし……こうやって嫌なこと言ってあとから後悔するのだって情けないんですけど」
銀灰色の髪がサラサラと力なく下に垂れた。長いまつ毛がふっと伏せられる。
「私は貴殿を子供っぽいとも、情けないとも思ったことはないけどな。目に灰が入った時も助けてくれたし、食べ物だって私に譲ってくれたし、怒りを抑えて謝ったりしてくれた。強くて優しくないとできないぞ」
「それ、別に普通のことですけど」
「ならば貴殿は、普通にしているだけで頼もしいんだ」
バルトは文句がありそうな顔を、ググッと自分の腕の中に隠した。
しかしフードの中にある耳がピンと立っているので、ヒルデの次の言葉を待っているのかもしれない。
「それに私は察するのが苦手だから、言ってもらえると嬉しい」
「でもうじうじ言われても鬱陶しくないですか」
「そんなことは全くない。私でもできることがあれば教えてくれ。私も怪力だからな、きっと貴殿の力になる」
「物理は間に合ってます」
「まあ貴殿は強いからそうだよな……ん?」
腕を動かした時、ヒルデはふと、伝統衣装のポケットの中身のことを思い出した。中に手を入れると、目当てのものがコツンと指に当たる。
「そうだ。バルト殿、ブラッシングでもしようか」
「はい?」
「カイル殿のお嫁さんにブラシを貰ったんだ。それでバルト殿はブラッシングすると喜ぶだろうと教えて貰ったんだが、間違いないか?」
「間違いでは、ないですけど……」
「けど?」
「……俺を喜ばせたいんですか」
「当たり前だろう」
ヒルデが勢いよく頷くと、何も言わずすっと立ち上がったバルトは、賑わっている広場から離れるように歩き出した。
「…………こっち来てください」
「どこへ行くんだ?」
「ブラッシングして貰うのに、周りに人がいたら邪魔じゃないですか」
到着したのは、家々が集まっているところから少し離れた建物だった。
雪山の針葉樹に囲まれ、昔は倉庫として使われていたような風貌。頑丈そうな大きな木の縁台もある。
バルトの実家が所有している別邸なのだという。ここならば人も来ないし、座っても冷たくないので丁度良いだろうとのことだった。
「獣化してきます」
「獣化?どこへ行くんだ?」
バルトが一人で林の中へ入っていこうとしていたので、ヒルデはそれを引き留めた。
「だから、獣化してきます」
「ここではできないのか?」
「ここで服脱げってことですか?アンタ変態ですか」
そうだった。
完全獣化すると骨格が人型とは全く違う獣型になるだけでなく、体も格段に大きくなるので、何も考えずに変化すれば服が破れてしまう。
遠くの雪山を眺めつつ待っていると、すぐに大きな狼が林の奥から戻ってきた。
「はい。……ブラッシングしたいなら、して下さって構いません」
咥えていた服をばさっと木の縁台の隅に放って、バルトはどっしりと台の上に腹をつけた。大きな尻尾でうっすら霜を払って、首をもたげている。
「よし。では始めようか!」
「そんな気合い入れてやるものではないと思いますけど」
木の縁台に膝をつき、カイルの妻から貰い受けたブラシで銀の毛を梳いていく。
バルトの巨体に比べて、ブラシはとても小さい。全ての毛をブラッシングしようと思ったらかなり時間がかかりそうだ。
しかし一定の動きを繰り返すうち、ブラッシングがまるで鍛錬のように感じられ、ヒルデは次第に楽しくなってきた。
それと同じようにバルトの尻尾もバサバサと揺れている。
「どうだ?」
「まあまあです」
「まあまあだけか?尻尾は結構揺れているが」
「……別に特別嬉しい訳じゃありませんから。ブラッシングされるといつでもこうなるんです」
フンと息をついて、バルトは目を閉じたようだった。
ヒルデはしばらく無心で背中のブラッシングを続けていたが、やがてバサバサと揺れる尻尾の方に手が伸びていった。
背中や足の毛はもう十分に梳かしたので、順番としては今度は尻尾だ。
「なんです、尻尾触りたいんですか?」
「尻尾もブラッシングしようと思ったのだが、駄目か?」
「駄目ですね。尻尾は特別ですので」
以前、知り合いの獣人からは、付け根でなければ尻尾くらい触っても構わないと言われた事があったので、獣人はみんなそういうものかと思ってしまっていた。
しかし実際は個人差があると言うことなのだろう。
そうしてヒルデは尻尾を避けてブラッシングを再開した。ところが。
「……尻尾が当たるのだが」
背中を梳かしていると、バルトの大きな尻尾がバシンバシンとヒルデにちょっかいをかけてくる。
「尻尾は触ってはいけないのだろう」
「尻尾の方から触りに行くのはいいんです」
「理不尽だな。あ、こら、鼻を触るのはやめ……ぶしゅんぶしゅん」
こしょこしょと鼻先までくすぐられ、くしゃみが出た。
バルトを見ると、眉間に深い皺を寄せていた。
「汚いです」
「貴殿の所為なのだが」
「その上、色気も全くないですね」
「それも貴殿の所為だが」
「違います。何どさくさに紛れて自分の色気のなさを人のせいにしてるんですか」
「いやいや、今回の私の色気に関しては……っぶしゅん」
すでに尻尾は離れていたが、鼻に毛でも残ってしまったのだろうかと鼻を擦る。
「寒いですか」
「いや、そう言うわけでは……ぶしゅん」
「……汚いですけど風邪引かれるのも困りますしね。仕方がないから、ここ、来てもいいですよ」
「どこだ?」
バルトが尻尾で示したのは、ふわふわの胴体だった。
「いいのか?!」
「いいですよ」
お言葉に甘えて大きな胴体の横に腰を下ろして腹の脇に背を預けると、大きな尻尾がふわりと毛布のようにヒルデの上に乗った。
両腕を頭の後ろに置くと、眼前に雪が残った景色と晴れた空が広がった。
「気に入りましたか?もふもふ」
「野戦訓練で寝袋に入っていた時のことを思い出しているぞ」
「情緒のない感想ですね」
しばらく士官学校での出来事や、山や森で野宿した事のような他愛のない話をしていたが、ヒルデは徐々に瞼が重くなってきた。
空気は冷たいのに、体は暖かく毛皮に包まれている所為だろう。
…
「………それで、俺らは雪山で野宿なんて普通にするんですけど……って」
「……」
「寝てるんですか」
「……すぴー」
寝ていることを確認して少しだけ鼻を寄せてみると、やっぱり支度屋で使うような化粧品の匂いがした。
しかしその強い香料に隠れて、晴れの日の洗濯物のような匂いもする。長い冬を越え、雪の間から芽吹いた春の日のような匂いだ。
「人のこと枕にして熟睡するとかどれだけ色気ないんですか……」
思わず頭を寄せたくなったが、これ以上動くとヒルデが起きてしまいそうだったので、バルトは前足に顎を乗せ、ため息をついた。
(待てはできます……)
しかし、脇腹にもたれて寝息を立てていたヒルデがもぞっと動いた気配がした。耳が反射的に動いて全ての音を聞き取ろうとする。
「バルト殿……」
呼ばれたので、ヒルデが起きたのかと思ってバッと頭を上げる。
「なんですか?」
「むにゃ」
「痛!」
死角から蹴りが飛んできて、バルトの横っ面に直撃した。
油断していたこともあって一瞬何が起こったのか分からなかったが、ヒルデがむにゃむにゃと言っていた。
「なんでこの状況で蹴り入れてくるんですか……」
無理な体勢から、まるで曲芸のように足が飛んできた寝相の悪さに信じられない思いを抱きながら、バルトは大人しくヒルデが起きるのを待ったのだった。
…
ヒルデが目を覚ますと、真っ先にトゲトゲとした声が飛んできて、出かけていたあくびが引っ込んだ。
「爆睡してましたね」
「……気持ちが良くてな」
「ふん」
バルトの顔は、大変機嫌が悪そうだった。
尻尾はパタパタと揺れていたが後ろ足で蹴り飛ばされ、乱暴に尻に敷かれて動かなくなった。
「しかも寝相悪すぎじゃないですか。俺、頭蹴り飛ばされましたけど」
「そんなに悪かったか?痛かったか?」
「ええ。俺でなければ死んでましたね」
「すまない……」
頭から噛みつかれてしまいそうな強い圧を受けつつ、ヒルデは謝った。バルトは不貞腐れたように前足に顎を乗せながら、フンと鼻を鳴らした。
「でもブラッシング気持ちよかったので許します」
ヒルデが「いつでもブラッシングしてやるからな!」と言うと、尻の下に敷かれて動かない尻尾の先端がバタバタと揺れた。




