08
こうして尻尾をふりふり、妻と共に先頭を歩くカイルに続いて、ヒルデとバルトも歩き出した。
「長兄は防衛戦で戦ったので知ってますよね。次期族長です」
「ああ。覚えている」
若い女性たちで賑わっている広場を横切り、途中で角笛を回収して、四人は雪山の麓に構えられた一際大きな家に入る。
古いがよく手入れが行き届いている家の中では、何人もの狼獣人が忙しそうにしている。
しかしみんな昔からの顔見知りなのか、久しぶりに故郷に帰ってきたバルトを見ると手を止めて「末の坊か、久しぶりだな」「ちびすけはまた背が伸びたか?」などと気安く声をかけていた。
そんな中、カイルが丁度奥の部屋から出てきた背の高い男性に尾を振った。
「兄さーん」
「カイル。……ああ、角笛も有り難う」
「ううん。それより、見て!バルトが可愛い友人を連れてきたぞー。じゃじゃーん、ヒルデちゃんです」
カイルの鼻に押し出され、ヒルデは長兄の前に突き出された。
高く一つに結えられた、黒銀色の長い髪。バルトによく似た吊り目。大きく立った耳と、重厚とも言えるふわふわの尻尾を持った男性は、強者の圧力を纏っている。
それもそのはず、彼は件の防衛戦で、味方すら戦慄させるほどの強さを見せた獣人の一人だ。彼の厳かな気配はあの時から変わっていない。
「久しぶりだな。ロルガン・オルガゾット殿。私はヒルデ・ロシュフォール。先の魔王戦役では勇者の一人としてグロッシュラー防衛戦にも参加した。特段活躍をしていないので覚えていないかもしれないが……」
「憶えている。貴女ほどの度胸を備えた女性はそういない」
ロルガンの険しくも見えた顔がふわりと微笑んだので、安心したヒルデもつられて笑った。
「覚えていてくれたか!嬉しいぞ」
「ああ、息災そうで何よりだ」
「ありがとう。ロルガン殿もまた一段と風格を感じるようになったな」
「はは、それはこの装いのせいかも知れないな」
ロルガンは少し困ったように肩をすくめた。
彼が身につけている、裾が長くて重そうな衣装はたしかに彼を一層堂々と見せている。しかし本人の威厳もたしかなものだ。
「それより、今日はバルトと来たのか?あの戦い以来、また縁があったとは。弟と親しくしてくれて有り難う」
「こちらこそ弟殿にはとても世話になっているぞ」
「そうか。生憎と私は祭事の役目で忙しくしているが、どうか今日は気兼ねなく楽しんでいってくれ」
最後にロルガンがヒルデに握手を求めてくれ、ヒルデもその大きくて分厚い手を笑顔で握り返した。
ロルガンが去ると、まだ狼姿のバルトがヒルデのそばに寄ってきた。
「言っておきますが、ロルガン兄さんは既婚ですので」
「おお、そうだよな。それがどうした」
「……いえ、言っただけです」
ヒルデが首を傾げる前に、やってきたバルトの次兄と双子の五男・六男にも声をかけられて挨拶をした。彼らもバルトやロルガンと同じようにもふもふ尻尾だった。
ひと通り挨拶を終えたところで、バルトは獣化を解き、乾いた服に着替えて戻ってきた。
「服、祭りだからってこれしか貸してもらえませんでした。ダサくないですか」
「とても良いと思うぞ?私も着たいくらいだ」
バルトが身につけているのは、伝統衣装。
毛皮をあしらったフード付きの長衣に、濃灰色の厚布を幾重にも重ねている。腰帯には複雑な紋様が銀糸で刺繍されていて、細部まで凝った意匠に歴史が感じられる。
「……じゃあアンタも着ますか。着たいなら借りてきますけど」
「頼む!」
ヒルデが二つ返事で頷くと、バルトが家人に言って女性用の衣装を一組借りてきてくれた。
下ろさなくていいと言われた髪はそのままに、衣装に着替える。カイルの妻から受け取ったブラシもポケットに入れておく。
少し重いが、とても暖かくて心地がよい。そして何より、祭りの一部になれたような高揚感が堪らない。
部屋の扉を開け、待っていたバルトに聞いてみた。
「どうだ?」
「……まあダサくはないですね」
「よかった」
こうして二人は家を出た。
村中に施された祭りの飾りは、木彫りや組紐など特徴的だ。あまり見ない織物の上に座った者たちが独特の歌を聞かせてくれるのも面白いし、変わった楽器を触れるのも興味深かった。
ヒルデたちが楽しんでいると、背後から声がかかった。
「あのー、すみません。ここの集落の方ですよね」
ヒルデとバルトが振り返ると、そこにいたエルフの女性たちがきゃっと嬉しそうな悲鳴をあげた。
「あのぉ、獣人さん、私たち、お昼ご飯どこで食べたらいいか知りたいんですけど……」
「食事提供してる家があるんで、そこで食べたらいいですよ。場所はあそこと、ここを少し行った先に……」
バルトが説明をしている間にも、何人かのエルフの女性たちは「生の狼獣人さん素敵」「やっぱり役者さんに似てる」とヒソヒソと話していた。
「あともう一つ伺ってもいいですかぁ?そちらの人族の方が着ている伝統衣装、私たちも着てみたいんですけど……だめですかぁ?ちょっとだけ、上着だけでも……」
女性たちの羨ましそうな視線が、一斉にヒルデに向けられた。
「ええと……じゃあ着てみるか?」
エルフの女性たちがグイグイと迫ってくるので、堪らずヒルデが上着を脱ごうとすると、バルトに止められた。
「……一応、それは族長家の紋様の入った衣装です。彼女たちには、普通の衣装の貸し出しをしている家を勧めますんで」
そう囁いたバルトは、女性たちに手早くその家の場所を教えていた。
女性たちが去ってから、ヒルデは改めて衣装の袖に施された繊細な刺繍を眺めた。
「勝手に貸そうとしてすまなかったな」
「それはいいですよ。結局未遂でしたし」
「しかし、私はこんなに特別なものを貸してもらえていたのだな。光栄だ。祭りの一部だけではなく家族の一部にもなったようで、形だけでも嬉しい」
「はい?!」
いきなり、バルトの耳が跳ねた。
「どうした?」
「……そ、それは、家の客に貸すこともあるんで、だから、アンタの早とちりなんで」
「ん?そうだったか。貴殿のものと似ていたからつい」
ヒルデが笑うと、バルトは力が抜けた耳を隠すようにフードを被った。
「……天然はやっぱりタチが悪いですね」
フードも相まってよく聞こえなかった。ヒルデが聞き返そうとした時、突然大きな角笛が響いた。
「……もうすぐ正午ですか。これから祭りの一番の見どころが始まりますね」
フードを被ったままのバルトは、中央の広場に視線を移した。
「参加しますか?」
「参加もできるのか?ぜひ!」
「じゃあまず、あちらで松明を受け取りましょう」
バルトと共に広場へ移動し、火のついてない状態で配られている松明を受け取る。そして係の者たちの案内に従って並んでいく。
参加者の列が完成すると、どこからともなく出てきた仮面の獣人たちが、音に合わせて口上を述べた。
そして前の者に付いて進み、行列はゆるやかに山の麓を目指す。
到着した山裾には雪から顔を出した石段があり、その先には双秤の男神と標灯の女神の石像と、煌々と燃える大きな篝火があった。
昼でも眩い篝火から、一人ずつ順番に火を松明に移す。
最後の一人が火を貰い終わり、全員が明るい松明を持った行列は再び広場に向けて行進を始めた。
「これはいいな。なんというかいい感じだな」
「語彙力がないですね」
「む。ではバルト殿なら良い表現ができるのか?」
「山裾に・松明つづく・祭笛……とかですかね」
「うーん、貴殿は詩人にもなれそうだな」
「そんな才能ないですよ。そもそも俺、本嫌いですし」
広場に着いた一行は、仮面の獣人に左右二列に分かれて並ぶように指示された。まるで、松明を持った者たちによる大きな参道ができたかのようだ。
音楽が、より一層大きくなった。
ざ、と後ろで足音がする。
振り返ってみると現れたのは、立派な衣装で悠々と先頭を歩くロルガンだ。そして一切の覗き穴がない仮面で顔を覆った彼の後ろを歩くのは、祭り装束を着込んだ集落の者たち。
彼らが松明の道の先までたどり着くと、半分が剣を掲げ、そしてもう半分が槍を構えて礼をする。そして参加者が松明を掲げて見守る中で、伝統演舞が披露された。
吹雪のように舞う刃先、雪崩のように激しい剣戟。
重厚な衣装の裾が銀の軌跡に合わせて翻り、焚き火から舞い上がる火の粉が白刃に映る。
舞というより神々に捧げる戦いそのもので、観客たちは息も出来ずに目を見張っていた。
「すごいな。ロルガン殿、前は見えていないのだろう?」
「そうですね。でも振りは憶えてるでしょうし、万が一の時には標灯の女神の加護で危険を予知できますから大丈夫です」
視界を奪われたままのロルガンが振り下ろされた刃を自身の剣で受け止めた時、手首に加護持ちの紋章がチラリと見えた。
最後に天に向いた刃が大地と水平に振るわれた時、女神がその献舞を認めたように観客の松明が一斉に消えて、演舞は終了した。
ヒルデは他の観客と共に大きな拍手を送った。
「はあ、楽しかった。やはり私もまだまだ鍛錬をしないといけないな」
「鍛錬はいいですから、最後に松明の灰を捧げに行きますよ」
バルトに連れられて、ヒルデは天秤のような形状の灰捧場に移動した。
女神には舞を、そして松明の灰は男神へ献上するのが習わしらしい。
「灰が釣り合うように返しましょう。この男神は気難しい神の中でも特に話が通じないらしいですから」
「ああ」
秤は少し右に傾いているので、ヒルデは左側に灰を落とした。灰は小舟ほどの大きさの秤皿の中に積もっていく。
少し好奇心が湧いてきたので、ちょっとだけ中を覗き込んでみる。しかし無遠慮だった報いだろうか、不意に舞い上がった灰がヒルデの顔に吹きつけた。
「あ」
「どうしたんですか?」
「灰が目に入った」
油断していた。だが、灰くらいどうってことはない。それこそ瞬きをすれば治るだろう。
「大丈夫ですか?」
「少し痛いが大丈夫だ……おっと?」
大丈夫だと言ったのに、バルトは思ったよりも険しい顔でヒルデの服の袖を引いた。
「洗いましょう。来てください」
引きずられるようにして再びバルトの家を訪れ、演舞が終わってワイワイしている家人の横を通り過ぎ、綺麗な水でしっかりと洗うように言われた。
「……もういいか?」
「もうゴロゴロしないですか?」
「……まだちょっとする気がする」
「じゃあもう少し洗ってください」
「もう十分じゃないか?私は目に何か入ったくらい平気だぞ」
「痛いって言ってたじゃないですか。気をつけてください」
バルトがテキパキとタオルを渡してくれたり、目の炎症を抑える薬を持ってきてくれたりしたので、ヒルデの視界はすぐにすっきりと晴れた。
すぐに治るとは思ったが、世話を焼いてもらえて良かったかもしれない。
「バルト殿、おかげですぐ視界が晴れた。ありがとう」
「よかったですね」
祭りの演舞を見終わって満足した観光客たちが次に考えることは、お昼ご飯だ。
それはヒルデたちも同様で、目を綺麗に洗ったヒルデとバルトは、良い匂いを漂わせている一軒の家に向かった。
そこでは伝統料理が振る舞われ、特別に増やされたテーブルも満席のようだ。
二人は気心知れたバルトの知り合いの好意で席を詰めてもらい、なんとかそこに収まった。
「どれがおすすめなんだ?」
「売り切れ以外、全部頼みましょう」
座席が狭いので隣に当たらないように腕を動かすのも一苦労だったが、こうしてヒルデたちはなんとか食事にありついた。
運ばれてきたのは、塩漬け肉の煮込みに、燻製肉のミートパイ。それからトロ肉の脂煮と燻団子。デザートに氷蜜のホットミルク。
まずは、人気すぎて一組一個までと言われてしまった燻製肉のミートパイから。二つに割ると湯気とともに香ばしい匂いがふわっと広がった。
「バルト殿、大きい方を食べていいぞ」
「じゃあこれはどうぞ」
ミートパイの大きい方を渡すと、バルトは燻団子を二つ寄越してきた。
こちらも注文制限がかけられていて元々三つしかなかったので、バルトはヒルデに大部分を譲ってくれたということになる。
燻団子を食べてもぐもぐしていると、バルトと目が合った。
「どうした?」
「なんか笑ってるみたいだったんで」
「ああ、貴殿はやっぱり優しいなと」
「?!ど、どうしたんですか、何か狙ってるんですか」
「狙う?貴殿の脂煮を狙っているわけではないぞ?」
先ほど食べて美味しかったので、たしかにもう少しだけ欲しいとは思っていた。だからつい脂煮に目が向いてしまったのだ。しかし、人の分を奪ってまで食べたいとは思わない。うん、もちろんだ。
「おだてて俺の脂煮、食べるつもりでしたか?……まあ、欲しいならあげますけど」
ヒルデはいらないと言ったが、バルトはどうぞと器ごと脂煮をくれた。
「じゃあ、ありがとう」
初めて会った時は喧嘩になったのに、と思うと懐かしい。そして、もらった脂煮は自分のものよりも美味しかった気がしたのだった。
あっという間に料理を綺麗に平らげた二人は、ご馳走様と言って立ち上がる。
なんとなく広場の方へ向かう途中、誰かがまたバルトを呼んだ。
「バルトー!大変だよー!」
駆けてきてバルトの腕にしがみついた灰銀の髪の男性は、声からして獣化を解いたカイルだろう。




