16
「待ってくれ」
スカートの端を揺らしたヒルデは、うさぎの親子と三人の獣人たちの間に身を滑らせた。
「誰だお前?!」
突然現れたヒルデを前に、虎獣人が吠えた。
「私はヒルデ・ロシュフォールだ。驚かせてしまって悪いが、貴殿、とりあえず無抵抗の者に力を振るうのはやめよう」
「……あぁん?!」
「貴殿も怪我をして、楽しくない気持ちはわかる。しかしそれくらいの怪我であれば、笑って唾でもつけておけばいい。特に貴殿は獣人なのだし、すぐ治るだろう」
「……要するに、ぺろぺろしとけってか?この俺に、何されてもヘラヘラ笑って馬鹿にされろって言ってんのかお前ぇは…………」
虎獣人が低く唸ったので、ヒルデは慌てて言い直した。
「いや、ほら、貴殿にも積み上げてきた強さがあるだろう。誰かを許したからといって自分が弱くなることはないんだ。だから怒りに任せて拳を振るうこともな……」
「いい度胸だ、女ぁ!!」
ヒルデの言葉を遮った虎獣人の太い尾が、威嚇するように逆立った。もうお前も許さない、と彼の全身が語っている。
ヒルデは感情の機微を読み取るのは苦手だが、相手の殺気を読むのは嫌でもできる。
「俺は、俺を侮辱した相手には、子供でも女でも容赦しねぇって決めてんだ!一度でも舐められたら終わりだからな!」
虎獣人がぐっと奥歯を噛み締めた。彼の浅かった息が深くなる。
骨が軋み、関節が鳴る。筋肉が膨張し、牙が生える。
戦士が虎の衣を纏ったような姿に変わると、虎獣人が轟くように吠えた。
獣化だ。
逆立つ毛も相まって、ゆうに二倍は大きくなったように見える。
しかし巨体にも関わらず先ほどとは比べ物にならないような素早い動きで、虎獣人はヒルデに拳を打ち込んできた。
一発、二発、そして追撃のもう一発。
怒涛の攻撃を前にして………………ヒルデは、うさぎの親子の前に立って動かぬままだった。
虎獣人は目を丸くする。
ロアンも、うさぎの親子も、野次馬も、今何が起こったのか自身の目を信じきれていないような顔をしていた。
簡単なことだ。
適切なタイミングで片手を滑り込ませて、拳の軌道を優しく撫でてやればいい。そうすれば誰にもその攻撃は当たらない。
誰も傷つけることがなければ、それはただ陽が燦々と降り注ぐ日の白い洗濯物と変わらない。
「ぐあああああああ!!」
引くにひけない様子の虎獣人は、怒りと混乱に任せて再び雄叫びを上げた。
「やっぱり私は説得が上手くできないな……」
突進してくる獣人の影が、ヒルデとの間合いを一気に詰める。
ヒルデは相手を見た。
確かに、この虎獣人はよく鍛えているようだ。
しかしヒルデは勇者の旅中に、もっと強力な獣化を使いこなす化け物じみた強さの獣人たちを見てきた。
ただ半歩だけ動く。
ヒルデの煤けた赤い髪が、風に一片舞う蝶の如く揺れる。
どこかの田舎で作業中の農夫がふと空を見上げるくらいの、他愛のない微風と同じ。
しかし次の瞬間。
真っ直ぐに突進して来たはずの虎獣人が、急に飛んできたヒルデの足に打たれて左方向に吹き飛んだ。
並んでいたゴミ箱や、古い看板が大きな音を立てて散る。
吹き飛ばされた虎獣人がぶつかったからだ。
「あ……え?」
世界を反対に見たまま、ようやく背中に痛みを感じたらしい虎獣人が搾り出した感想がこれだった。
ぺたんと虎獣人の耳が力なく垂れ下がり、獣化が解けた。
どうやら、勝敗が決した事だけは理解できたようだ。
「……お…………お前、本当に人族か……?」
「ああ。私は人族だぞ。それより大丈夫か?貴殿は獣化していたから、これくらい痛くはないと思ったのだが……」
手を貸そうとすると、虎獣人はそれを払いのけて取り巻きたちと逃走した。
うさぎの親子との和解というものはなかったが、彼らを追いかけるまでの事はする必要がないか。
振り返ったヒルデは震えていたうさぎ獣人の親子に手を貸し、立たせてやった。
「近くの神殿まで付き添おうか?」
「い、いえ!!もう大丈夫です。ありがとうございました……!」
うさぎ獣人の親子は、ペコペコと頭を下げながら去っていった。
全員を見送ってから、ヒルデはロアンの元に戻った。
「待っていてくれたのだな。ありがとう!」
「……欺だ」
「ん?」
ヒルデが見上げると、ロアンは何故かブルブルと震えながらヒルデから距離を取った。
先ほどまで、動きにくい程に近づいてきていたのが嘘のようだ。
「ロアン殿、どうした?」
「これは詐欺ですよ!」
「え?」
ロアンは悲しそうなような、怒ったような顔をしていた。
「ヒルデさんは……可憐なフリをして、僕を騙して結婚しようとしていたんですね!」
「可憐なふり?」
「人族の女性なのにあんなに暴力的だなんて、お見合いで少し話すだけではわかりませんでしたよ。僕は、獣化した獣人を蹴り飛ばすような人族の女性を見たことがありませんでしたから!」
「私は自己紹介で元々勇者だったと言わなかったか?」
「か弱い人族の女性が勇者だなんて聞き間違いに違いないと思ったんです!そんな勇者がいたなんて聞いたことなかったですし!」
乱暴に言ったロアンの眉間には、深い皺が刻まれている。
「そうか…………」
ヒルデは少し眉を下げたが、すぐに姿勢を正してロアンを見た。
「私はそういう人間だ」
ヒルデがすっと手を差し出すと、ロアンが訝しげにそれを見て、ひゅっと喉を鳴らした。
「すまないが、これだけは譲れない」
「……」
「気に食わないのであれば、断ってくれ」
「…………僕は、守ってあげなきゃいけないような妻が欲しいから、そのためにお見合いをしているんです」
独白のように呟いたロアンは、スッとヒルデに頭を下げた。
「このお見合いはなかったことに。失礼します」
彼は特に振り返ることなく去っていった。
一方のヒルデは消えていくロアンの背を見送りながら、剣ダコのある手のひらを小さく振った。
…
獣人ロアンとのお見合いがお断りに終わった。
数日後に会ったレイヴンにどうだったか聞かれたので彼の家にお邪魔し、ヒルデは要点をかいつまんで説明した。
すると静かに聞いていたレイヴンは、ヒルデが話し終わるのを待って一言。
「断られて良かったな。次だ、次」
「しかし、優しい方だったから残念だな」
「もっと優しいやつはいるだろ。頼むから変な男には騙されるな」
「ロアン殿ほど私の話を楽しそうに聞いてくれた人は、今までいなかったぞ。お土産をもらったのも初めてだし」
「こんな安物の菓子なんかで絆されるなよ」
「私はうまいと思うが」
「平然と雑草やどんぐり食べてるやつの感想が信じられるか」
ヒルデがロアンからもらったクッキーは、レイヴンと一緒に食べようと持ってきたのだが、彼は手をつける素振りを全く見せなかった。
「だけど、私も振られる結果になって良かったと思う」
お見合いはいつでも、断られるのが怖かった。
だけど今回は、大きく拒絶されたのに意外にも気分は悪くなかった。
「レイヴンが気づかせてくれたことは正しかった。私は自分が積み上げてきたものも大切に思っている。変えたくないところを変えないと決めて断られることは、変えたくないところを無理やり変えて選ばれるよりきっと清々しい」
レイヴンがヒルデのカップに、静かにおかわりのお茶を注いでくれた。
「……そうだな。明らかに怯えた親子を見て見ぬ振りするようになったり、面白そうな勝負に首を突っ込まなくなったりしたら、多分そいつはもうヒルデじゃないだろうし」
ヒルデは大きく頷いた。
「だからもし、奇跡的に私を受け入れてくれるような相手がいたら、私は自分ができるところで相手を幸せにできるように全力を尽くす!身だしなみに気をつけたり、家具を直したり、相手の好物を作れるように料理も練習したり、してあげられることを増やすんだ!」
「……料理はド下手なくせに」
「結婚までには特訓するんだ!」
「…………そっか。まあ、将来の結婚相手のために頑張れ」
窓の隙間から入ってきた光は穏やかで眩しくはなかったが、レイヴンは返事をしながら目を細めていた。
彼はそれ以上何も言わなかった。
「ではレイヴン、これからも容赦なくご指導ご鞭撻の程を頼む」
「……分かった」
小さく首を振ったのは、謙遜だろうか。まったく、変なところで慎ましい幼馴染には、今度美味しい肉料理屋に付き合ってもらおう。
それから彼が以前から欲しがっていた珍しい薬草の苗も、知り合いのオババ経由で手に入りそうだ。無事に入手できたら、驚かせてやる予定だ。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます。見つけ出して読んでくださる方がいるのは奇跡だと常々思っています。
修行編が終わり、婚活はこれから恋愛パートに入ります。ツンデレが好きな私的に書いていて楽しい子が出てきます。
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次章もどうぞよろしくお願いいたします!
@Yukurakinomiyam
Xも始めました。もしよければ仲良くしてください。




