2>>あれは正に悪役令嬢
学園でリリアンを目の敵にしだしたヴィヴィアンは人目も憚らずにセオドアと一緒に居るリリアンを見つけては声を荒げて責めた。
ならばリリアンと一緒になる前にセオドアの側に自分が居ればいいじゃないかと思うのだが、セオドアとリリアンが近くに寄るまで、ヴィヴィアンは何処かへ行っていて皆の視界から消えるのだ。
セオドアもリリアンに構わなければ良いのに何かと理由を付けてリリアンの側に行くので、その度に何処からかヴィヴィアンが現れてはリリアンに「セオ様に近付かないで!」と言うのだった。
リリアンの方はヴィヴィアンに責められると困った様な、悲しげな表情をしているが彼女の方も自分からセオドアに近付いている時もあって、学園に居る者たちに『もしかして……』という気持ちを芽生えさせる理由になっていた。
期せずして世界ではある小説が女性たちの間で流行っていた。
『姉の婚約者と禁断の恋に落ちてしまった心優しい義妹の真実の愛の物語』
その小説の中身を簡単に説明すると、元々義妹を虐めていた性悪な姉に嫌気がさしていた婚約者に躊躇いながらも寄り添い密かに愛を育んでいく義妹を、姉は許せず殺そうと画策するも最後には姉の方が断罪され、義妹と姉の婚約者だった王子は結ばれ真実の愛を捧げ合う、そんな愛の話だった。
その小説を読んだ令嬢たちの間から、今のヴィヴィアンとリリアンの関係が小説そのままではないかと噂される様になった。
元々王子セオドアの見た目にはリリアンの様な華やかで可憐な女性の方が似合っているのではないかと思っていた者たちも居たので、ヴィヴィアンたちの噂は人々の妄想を取り入れながらどんどんと膨らんで行き、『ヴィヴィアンがリリアンを虐めているのではないか?』とまことしやかに囁かれる様になっていた。
ある日、学園の裏で一人の生徒が目撃してしまった。
「こんな物っ!!」
そう言ってヴィヴィアンが誰もいない裏庭のゴミ置き場で教科書を破り捨てていたのだ。ヴィヴィアンの様な侯爵令嬢がそもそも近寄りもしない場所で密かに行われていた行為は、目撃してしまった男爵令嬢の目には強い衝撃と共に刻み込まれ、見間違い様もなかった。
ヴィヴィアンが居なくなった場所にその令嬢が行ってみると、ビリビリに破かれた2年生の教科書とその教科書にしっかりと書かれたリリアン・カッシャーの名前が残されていた。
驚いた男爵令嬢は慌ててそれを拾い集めるとリリアンの元へと急いだ。そしてそれをリリアンへと見せた。
リリアンはとても驚いた顔をした後、困った様に眉尻を下げて
「……このことは誰にも言わないで欲しいわ」
と、その場に居た友人含めて全員にお願いした。
皆がその願いに頷いたが、内心では『噂はやはり事実なのでは……』と思っていた。
小説の中の姉妹は腹違いの姉妹だったが、カッシャー侯爵家の姉妹は同じ母親から産まれている。
そんな違いはあったが、ヴィヴィアンの美しくはあるが怪しく、人を寄せ付けない雰囲気が小説に出てくる性悪義姉のイメージと合っていて、リリアンの華やかて優しい笑みが、小説に出てくる虐げられたヒロインのイメージそのままであった。そんな二人の間に立つセオドア殿下もまさしく『物語に出てくる王子様』そのもので、皆の中に強いイメージとして無意識に刻み込まれることになった。
そしてそんな皆のイメージを知ってか知らずか、ヴィヴィアンの雰囲気はどんどんと陰険になり、常に下を向いて人を遠ざける様になっていた。
そしてそんな中でヴィヴィアンがリリアンを声高に非難する。
「リリアン! 貴女ね!!」
その所為ですっかりヴィヴィアンのイメージは
──悪役令嬢……っ!──
そう皆に思われる様になってしまった。
──┼──
皆の中で【カッシャー侯爵令嬢のヴィヴィアン様は悪役令嬢である】と噂ではなく事実なのだと思われる様になると、噂話の中に『真偽の分からないもの』までがまるで実際に誰かが見たかの様に噂される様になった。
──ヴィヴィアン様がリリアン様を突き飛ばしていた──
──リリアン様が陰で泣いておられた──
──ヴィヴィアン様は家で実の妹を虐めている──
──リリアン様は大切な物を姉に壊された──
──この前のお茶会でヴィヴィアン様がリリアン様に熱い紅茶を頭から掛けた──
──ヴィヴィアン様がリリアン様を口汚く罵っているのを聞いた──
そんな噂と合わせる様に
──セオドア殿下とリリアン様が二人一緒に居た──
──殿下とリリアン様が手を繋いでおられた──
──殿下がリリアン様に贈ったネックレスをヴィヴィアン様が踏み潰した──
──セオドア殿下がリリアン様を庇いながらヴィヴィアン様を叱責されていた──
──セオドア殿下とリリアン様がお忍びでデートしているのを見た──
──セオドア殿下はヴィヴィアン様を心底嫌っている──
という噂まで流れる様になっていた。
どれも噂しているのは下位貴族の子供や平民の間だけであったが、だからこそ、真偽を誰も確認することが出来ずに人々の耳から耳へと流れ、止める人が現れることも無かった。
その噂を信じて、侯爵令嬢であり次期王妃でもあるヴィヴィアンを嫌う者も現れたが、ヴィヴィアンは自分の耳に聞こえる様に噂をされる話も一切取り繕うこともせず、時にはあたかも肯定するかの様に目を細めたりしたので、それを見た人たちは噂が事実なのだと確信することとなった。
さすがにヴィヴィアンに直接何かをする者は現れなかったが、セオドアもリリアンも友人やクラスメイトにすら何も話さなかったので、一部の者たちからは、『小説の様に学園の卒業式の日に何かが起こるのではないか?』と噂される様になっていた。
学園の卒業式が迫り、水面下で色んな人が想像を膨らませていたそんな時、リリアンが常に手袋をしている様になった。薄い手袋は夜会などでドレスを着た時に着ける人もいる物だが、学園の中で着けている人はまず居なかった。絹でできた肘まである手袋は皆の視線を集めることになり、嫌でも見た者の好奇心を刺激する。
リリアンの友人がリリアンに質問するのを周りに居た者は聞き耳を立てて聞いた。
「その手袋、綺麗ね。でもどうしたの?
もしかして……怪我?」
心配げに問いかけてくる友人にリリアンは困った様に笑って答える。
「そんな大袈裟なことじゃないの。ちょっと粗相をしてしまって……数日すれば治ると思うのだけど……」
リリアンのそんな曖昧な返事は余計に憶測を呼ぶ。
──やはり怪我を?──
──誰かを庇っている?──
ヒソヒソと皆が噂する中、そんな噂の存在など知らないかの様にセオドアがリリアンに声を掛ける。
「リリアン。手は平気かい?」
その良く通る声は聞き耳を立てる気がない者の耳にもその言葉を届け、皆の中に『リリアンは殿下に気遣われる様な状態にある』と知らせることになった。
リリアンは困った様に頭を横に振ってセオドアに返事をしていたが、セオドアの言葉を聞いていた者にはそのリリアンの返事はもう必要とはしていなかった。『侯爵令嬢が手に怪我をしている』、その事実だけがあれば噂としては充分だった。
誰も『リリアンが怪我をしている』とは言ってはいなくても。
──リリアン様がお姉様に階段から突き落とされて手に怪我をされた!!──
そんな噂が皆の耳に行き届いた頃、学園の卒業式を迎えた。
──┼──
学園の卒業式は大講堂の中で卒業の儀を行い、その後に中庭や運動広場を使って大々的なパーティーが行われる。卒業式を祝う日には卒業生とその親族、そして当然在学生も参加することが義務付けられていた。
貴族の学園の、それも祝いの日でありその後に控えたパーティーもあるということもあり、参加者は皆全力でお洒落をしていた。男性陣は普段のパーティーとそれ程代わり映えはしなかったが、卒業生の女性陣たちは大人への旅立ちの意味も込めて一人ひとりが輝かんばかりに着飾っていた。
しかしその中で更に皆の目を引く存在が居た。彼女はこの場の誰よりも贅を尽くしたドレスを身に纏い、今まで誰にも見せたことが無い様な華やかな化粧をして自信に満ちた笑みをその美しい顔に浮かべながら学園に到着した。
ヴィヴィアンである。
彼女は今まで皆に見せていた根暗で薄気味悪い姿ではなく、まさに物語に出てくる様な悪役令嬢がやりそうな姿で卒業式に現れたのだ。
その姿に全ての人の目が釘付けになった。
彼女の劇的な変化に、ではない。
彼女のあまりの美しさにだ。
わざとらしく人を見下す様な視線で周りを見渡したヴィヴィアンと目が合った者は、その心臓を鷲掴みされそうな輝く深緋色の瞳から無意識に目線を逸らした。その瞳をじっと見たら最後、石になったかの様に魅入られてしまいそうで本能が危険を感じたからだ。
皆から目線を逸らされることにヴィヴィアンは薄く笑う。
そしてそんなヴィヴィアンを先に来て待っていたセオドア殿下が迎えに来て二人は卒業式の行われる大講堂へと歩いて行く。
後には動けなくなった生徒たちやその保護者たちが数人、教師が声を掛けるまで取り残されることになった。
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ヴィヴィアンの変化に皆が驚く中、何事もないかの様に卒業式が執り行われ、学園長の言葉を最後に式が終わった。
そして最後に学園長が微笑みながら皆に伝える。
「今日までは卒業した皆さんも“学生”です。
学生だから許されることは、今日中に終わらせておきなさいね」
そんな学園長の言葉に皆が笑った。
そして学園長が下がると同時にセオドア殿下が大講堂の壇上に上がった。
その後ろに何故かリリアン・カッシャー侯爵令嬢が控えている。
さぁ卒業パーティーだと浮足立っていた皆の気持ちが別の意味で浮足立つ。
ザワついた会場内に目を向けてセオドア殿下が口を開いた。
「すまないが、少し個人的にこの場を使用させてもらう。
ヴィヴィアン・カッシャー。
こちらへ」
体の前に右手を伸ばしたセオドアは、その手をゆっくりと振った。その動きに促される様に壇上の前に出て来たヴィヴィアンは扇で口元を隠しながらも胸を張って壇上のセオドアを見上げた。
「何かしら殿下。
婚約者であるわたくしではなく妹をお側に連れて、わたくしに何を言うおつもりかしら?」
ヴィヴィアンの声が講堂内に響く。誰もがその声の耳心地の良さに一瞬ときめき、そしてこれから行われるであろう展開にドキドキしながら注目した。
セオドアが目を細めてヴィヴィアンを見下ろす。
そして強い声で彼女に語りかけた。
「ヴィヴィアン。貴女は私の婚約者だ。
その事実は変わらない。
だがこの事実は絶対ではない。
婚約とは契約だ。契約は双方の望みが一致して交わされる。
貴女と私の婚姻は、王家と侯爵家が交わしたものではあるが、子である我らに拒否権が無い訳では無い。これは両家の当主が認めている。
だから私は今一度貴女に聞こう!
貴女が私と婚約破棄を望むなら、今ここで、皆の前で宣言してくれ。
貴女はそれを望むのか?!」
聞いていた皆が『ん?』っと思った。なんだか小説で読んだ断罪劇とはちょっと違うぞ、と。




