第8食 パン
シャロは上機嫌だった。
胸の奥がふわりと軽く、歩く足取りまで弾んでいる。
昨日と今日で多くの道具と食材が手に入った。
砂糖、白色に輝く甘味の結晶、舐めるだけで幸せになれる小さなご褒美。
油、ゴマから抽出した香ばしい液体、料理の幅をぐっと広げてくれる万能の存在。
ミルク、まろやかで優しい味わい、体を温め、心まで満たしてくれる飲み物。
早くあのミルクや油を使って、何かを作りたい。
あの甘い香り、まろやかで優しい口当たり。
卵や穀物と組み合わせれば、それだけで素晴らしい料理ができるはずだ。
しかもこれらの食材はすべて自分の力で生み出したもの。
塩もダンジョン内に落ちてた岩塩で確保でき、水も色々な所に川が流れている。
つまり、もう食材に困ることはない。
水、穀物、卵、ミルク、油、砂糖、塩。
人間の世界でも、これだけあれば立派な生活ができる。
まるで、文明をひとりで築いたような達成感にシャロは頬を緩めた。
『ふふっ、なんだか夢みたい』
胸の中で呟いて深く息を吸い込む。
竹の香り、湿った土の匂い、そしてわずかに漂う花の甘い匂い。
どれも、かつてのダンジョンとは思えないほど穏やかで生命に満ちていた。
そのまま少し歩くと、木々の間を抜けて、小さな開けた空間に出た。
光が差し込み、中央には平らな岩。
そして岩の傍には澄んだ水が溜まった泉。
シャロはその場に立ち尽くした。
『……ここ、いい場所だね』
岩の上に腰を下ろすと、背中にあたたかい陽射しを感じた。
どれくらい歩いたのか、身体が少し汗ばんでいる。
袋から竹のコップを取り出し、持ってきたミルクを注ぐ。
白い液体がきらきらと光を反射した。
ひとくち。
『……うん、やっぱりおいしい』
口の中に広がる甘みとコクに、思わず目を細める。
砂糖をほんの少し入れてみると、さらにまろやかになった。
これだけで心が満たされるようだ。
ふと、かつての仲間たちの顔が脳裏に浮かんだ。
自分がまだ人間だった頃、彼女らとともに潜ったこのダンジョン。
笑いながら進み、誰かが転べば助け起こし、時には叱られ、時には励まされた。
しかしあの日、ドラゴンに遭遇して、気がつけば、自分はこうして『植物の魔物』になっていた。
その記憶を思い出すと、胸の奥が少し痛む。
だが、もう後悔はない、今は新しい自分としてこうして生きている。
『……あの時、ドラゴンに襲われなかったらこんな力は得られなかったかもね』
自嘲気味に笑って立ち上がる。
周囲の木々の間を、光が風に揺れて踊っていた。
***
シャロは荷物を持ち直し、再び歩き出した。
リュックが頭の上で揺れ、カチャリと小さな音を立てる。
その音が、まるで旅の音楽のように耳に心地よかった。
不穏な音が、草むらの奥から響いた。
ピクリと耳が動く、空気が変わる。
油断ならない、魔物特有の気配。
シャロは自然と戦闘の構えを取った。
そこにいたのは緑色の巨体。
肩で息をし、ぶ厚い皮膚に筋肉を鎧のようにまとった魔物、オーク。
豚のような鼻を鳴らし、粗末な棍棒を握りしめている。
ガサッ……
その瞬間、背後からも物音。
シャロは素早く振り向いた。
葉の陰から現れたのは黒くしなやかな毛並みを持つ魔物、キラーパンサー。
こちらを鋭く睨みつけている。
『……二匹同時、か』
思わず苦笑が漏れる。
どちらも一対一ならば、もう恐れることはない。
けれど二対一――しかも、タイプの違う魔物となれば話は別だ。
キラーパンサーは速く、オークは重い。
スピードとパワー、その両極を兼ね備えた連携は、対応を誤れば致命的になる。
オークが吠えた。
地面を踏みしめ、棍棒を高く振り上げる。
ドンッ!!
空気が震え、衝撃波が土煙を巻き上げた。
シャロは軽やかにその一撃をかわす。
棍棒が地面をえぐり、草と根が飛び散った。
『遅いっ!』
ツタがしなり、鞭のように唸りを上げてオークの腕を打とうとする。
だがその瞬間、横から疾風が吹き抜けた。
『っ――!』
地を蹴る音、黒い影、キラーパンサーの突進だ。
ギリギリで身をひねり、頬をかすめる爪の軌跡。
肌に浅く傷が走る。
『危なっ……!』
反射的に距離を取る。
が、すぐにオークが再び棍棒を構えて襲いかかってきた。
その背後ではキラーパンサーが低く身構えている。
――連携だ。
片方が攻撃し、もう片方が隙を狙う。
息の合った、まるで狩人のような連携。
『中々厄介ね……!』
彼女の周囲に風が渦巻く。
足元の草がざわめき、ツタが生き物のように蠢く。
オークの棍棒が再び振り下ろされる。
シャロはその軌道を読み、紙一重で回避。
地を蹴り、鋭い葉の刃を放つ。
しかし、キラーパンサーが即座に割り込んできた。
刃がその背をかすめ、黒い毛が宙に舞う。
『くっ……!』
次の瞬間、オークの拳が飛ぶ。
体をひねり、辛うじてかわす。
頬を風圧がかすめ、髪が揺れる。
キラーパンサーが地を這うように回り込み、低い姿勢から再突進。
シャロは素早くツタを叩きつける。
が、キラーパンサーの反応は早く、ひらりとかわす。
追うようにオークの咆哮。
『くっ、隙が無い……!』
少しずつ、体に傷が増えていく。
攻撃をかわすたび、体力が削れていく。
シャロは息を整え、後方へと飛び退いた。
距離を取ると、二匹の間合いが開く。
だが、彼らもすぐさま追撃してくる。
キラーパンサーは地を滑るように駆け、オークは遅れながらも重い足音を響かせる。
シャロは後方に跳びながら、冷静に状況を見極めた。
キラーパンサーとオークの速度にはだいぶ差がある。
ならば――
『片方を誘い出して、1対1で倒す!』
シャロはツタを地面に伸ばした。
まるで蛇のように地を這い、キラーパンサーの足首を絡め取る。
キラーパンサーが驚きの声を上げた瞬間、シャロはツタを思い切り引き絞る。
体が浮き上がり、宙を舞う。
『お返しよ!』
そのまま、ぐるぐると振り回した。
――ドゴオオオンッ!!
キラーパンサーの体がオークの身体に激突する。
巨体と巨体がぶつかり合い、鈍い音が森の中に響いた。
衝撃で二匹ともよろめき、体勢を崩す。
『今だ!《リーフ・カッター》!』
シャロは両手を広げ、魔力を解き放つ。
数枚の葉っぱが舞い散り、鋭さを増すと、魔物達に向かって飛んでいく。
風を切る音が鳴り、緑の閃光が走った。
シュババッ!
葉の刃が空を裂き、二匹を切り裂く。
「ギャアアアアッッッ!!!」
血しぶきが舞い、悲鳴が響く。
キラーパンサーは細い体を震わせ、倒れ込むように崩れた。
だが、オークはまだ立っていた。
『タフだね……!』
血まみれになりながらも、オークが棍棒を構える。
怒りに燃える目でシャロをにらみつけ、最後の力を振り絞って突進してくる。
『でも、もう終わりよ!《リーフ・カッター》!』
リーフ・カッターの刃先がオークの胸を貫く。
その巨体が一瞬硬直し、ゆっくりと崩れ落ちた。
棍棒が地面に転がり、低い振動音を響かせる。
重苦しい空気が、ふっと軽くなった。
シャロは肩で息をしながら、両手を下ろした。
風が通り抜け、草がさざめく。
『ふぅ……倒した、ね』
深く息を吸い込み、空気を吐く。
『さて、食事にしよう』
いつの間にか、戦闘の後の食事はすっかり彼女の日課になっていた。
戦い、食べ、休み、そしてまた歩く。
そんなサイクルが、ダンジョンの中での彼女の生活になっていた。
『今日はあれを作って見よう』
今日もまた、緑の手を魔物に添える。
柔らかい光がほとばしり、そこから若々しい植物が芽吹く。
まずは小麦、黄金色の穂がゆらゆらと揺れながら、一瞬で成長していく。
そして、その隣にもう一種、殻の堅い木の実がぶら下がるナッツの樹だ。
シャロは小麦とナッツをいつものように能力を使って収穫すると、小麦をすり鉢で粉状に挽く。
ゴリゴリ……ゴリゴリ……
結構な重労働なのだが、力が増した今のシャロにとってはそこまで苦では無かった。
粉が少しずつ溜まっていくたびに、淡い香りが鼻をくすぐった。
粉を挽いたらそこにミルクを加える。
とろりとした乳白色の液体が粉に染み込み、滑らかに変わっていく。
そこへ塩を少々、そして砂糖をひとつまみ。
さらに、前に作った油を少し垂らす。
『うん、いい感じ』
生地を混ぜ合わせ、指先で感触を確かめながらこねていく。
最初はべたついていた生地も、こね続けるうちに弾力を帯びてくる。
表面がつやつやと光り、伸ばすと薄く膜ができるほどになった。
生地を丸く整え、30分ほど発酵させる。
その間にナッツを軽く煎る。
香ばしいいい香りがして来たら、麺棒ですり潰していくと、次第にどろっとしたペースト状に変わっていく。
それを指先で少し取って舐めてみる。
『甘くて美味しい!』
自然な油の香りとナッツの甘みが舌の上に広がる。
ピーナツバターの完成だ。
そうしているうちに、時間が経ち、生地の様子を見に行く。
布をめくるとふわりと膨らみ、やわらかい手触り。
シャロはその生地を分けて形を整える。
それをまた少しの間寝かせて発酵させる。
再び30分。
生地はさらにふくらみ、香ばしい香りを漂わせ始めた。
火打ち石で火をつけ、じっくりと熱を通す。
火の明かりがパンの表面を照らし、次第に黄金色へと変わっていく。
香ばしい香りが漂い始めた瞬間、シャロの表情がぱっと明るくなった。
そっと取り上げると、表面はパリッと香ばしく、中はふんわり柔らかい。
両手で割ると、湯気がふわっと立ち上り、甘い小麦の香りが鼻をくすぐった。
『じゃあ、いただきます』
シャロはまずは何も付けずに一口。
『おいしい……!』
ふわふわの生地と、ほんのりとするミルクの甘み。
噛むたびに小麦の優しい甘みが口いっぱいに広がっていく。
温かくて、優しくて、心まで満たされるような味だった。
今度はピーナツバターをスプーンですくい、パンに塗った。
とろりとしたペーストが、パンの温かさで少し溶けていき、香りが立つ。
そして一口。
『これもおいしい……!』
甘く香ばしいピーナツの風味がパンの旨みを更に引き立てた。
これならいくらでも食べられそうだ。
シャロがパンを食べていたその時、草木がガサガサと動いた。
ピクリと反応したシャロの全身に緊張が走る。
森の奥から何かがこちらへ近づいてくる。
重い足音、けれど獣のものとは違う、規則的で、恐らく人間のもの。
「なんだか美味しそうな匂いがするゾ……」
草をかき分けて現れたのは、一人の女性だった。
『……冒険者!』
炎のような赤髪に、金色の瞳、背が高く、胸の大きな抜群のスタイル、頭からは二本の角と獣耳、背中からは細い尻尾が生えていた。
ヨシュアと同じ獣人の一種、見た目からして彼女は牛の獣人なのだろう。
戦えば魔物よりも厄介な事になる。
ツタがぎゅっと地面を掴む。
だが――
「ん?……なんだこれ、パン?魔物が……料理してるのカ?」
彼女は、まるで不思議な光景を見た子どものように首を傾げた。
その瞳には敵意よりも「興味」があった。
ぐううううっ……
腹の音が森に響いた。
シャロはぽかんと目を瞬かせた。
彼女は頬を染め、頭をかきながら笑う。
「とっても旨そうなパンだゾ……」
その視線は、シャロの足元に並べられたパンへと釘付けだった。
焦げ目のついた表面から立ち上る香りに、彼女の鼻先がひくひくと動く。
その様子を見てシャロはツタを動かし、焼き立てのパンをひとつ取り上げる。
そして、そっと差し出した。
「え!いいのカ!?」
驚いたように彼女が目を丸くした。
しかし次の瞬間、遠慮など吹き飛び、ぱくりと大きくかぶりつく。
「うまいゾッッ!!」
その叫びは森中に響き渡った。
両手でもっちりとした生地を引きちぎり、夢中で食べ始める。
「うまいゾ!こんなパン初めてダ!!」
彼女は口の端にパンくずを付けながら感動していた。
彼女が食べても美味しい、つまり、シャロの生やす食材が美味しいという事だ、味覚の方が変わったわけではない。
シャロは少し引き気味に見つめる。
食べる速さが尋常ではない。
気づけば、焼いておいた分がどんどん減っていく。
そして、あっという間に鍋の中のパンは見事にすっからかんになった。
彼女は満足そうにお腹をさすりながら言った。
「はぁ~……生き返ったゾ。お前、魔物なのにいいヤツだな!」
彼女はニカッと笑って言葉を続けた。
「なぁお前!アタシの仲間にならないカ!?」
思わず固まるシャロ。
まさか魔物である自分にそんな言葉を投げかけてくるとは思わなかった。
しかし、今のシャロには目的がある。
ダンジョンの奥に行き、仲間を探すこと。
首を横に振り、地面にツタで文字を書く。
『仲間を探している』
それを読んだ彼女は、目を瞬かせたあと、ぱっと顔を輝かせた。
「そっか!じゃあアタシも手伝ってやるゾ!」
『えっ!?』
「お前は飯の恩人ダ!その恩人が困ってるなら助けるのは当然だゾ!」
シャロは驚いて身を引く。
なんだ、この押しの強さは。
だが、その表情には打算も恐れもない。
純粋に、腹を満たしてくれた相手に恩を返そうとしているだけ、そう感じられた。
「だから仲間になってくれないカ!?」
それでも少し迷った。
だが、一人より二人の方が生き残る確率は高い。
ダンジョンの奥へ進むのも早くなる。
そう考えて、シャロは静かにうなずいた。
「おおっ!やったゾ!!」
彼女は両手を広げて全身で喜ぶ。
それほどまでに、嬉しかったらしい。
「アタシはアグニ!よろしくナ!」
胸を張って名乗るその姿は、どこか子どものようで、無邪気だった。
シャロはツタを動かし、地面に再び文字を書く。
『シャーロット』
「シャーロット……じゃあシャロだな!覚えたゾ!」
アグニは嬉しそうに笑った。
シャロは静かに頷き、心の中で小さくため息をつく。
これから賑やかになりそうだな、と。
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