第7食 ホットミルク
竹の葉が風に鳴る。
さわさわと、まるで誰かが囁くような音が、静かな森に広がっていた。
シャロはその音の中で目を覚ました。
まぶたの裏を透かすように、柔らかな光が差し込んでいる。
目を開けると、そこは昨日と同じ竹藪、青く、そして静かな世界だった。
『ふあぁ……』
寝起きの声が小さく漏れる。
体を起こすと、微かな草の香りが鼻をくすぐった。
地面には昨日作った竹や木の食器、そして火の跡が残っている。
『そうだ、昨日はダンジョンの奥まで進んで道具を作ったんだったね』
昨晩のことを思い出す。
バンブートレントとの戦い、オムレツを作った夕食、竹細工の手応え、昨夜のことがゆっくりと脳裏に蘇る。
竹を切り、割き、編み、削り、指先がしびれるまで作業して、ようやく完成させたのだ。
その時の達成感と、火を見つめながら感じた静かな幸福。
シャロは軽く伸びをすると、近くの小川へ向かった。
水面は朝日を反射してきらきらと輝き、川底まで透き通って見える。
両手ですくって顔を洗うと、ひんやりとした水が肌を引き締めた。
『ん……気持ちいい』
そのまま手のひらで頬を軽く叩き、眠気を追い払う。
次に彼女は昨日作った荷物を整えた。
木の食器をリュックに詰め、水筒を横にくくりつける。
全てを仕舞い終えたら、それを背負う。
大きい
今のシャロの体に比べると、中身の詰まったリュックは彼女の身長よりも何倍も大きい。
まるで小人が大きな背嚢を持ち上げているようだ。
とは言え、自分が成長した時の事や、仲間と合流した時の事を考えたら大きい方がいい。
彼女の体の一部であるツタを伸ばし、ゆっくりとリュックを持ち上げる。
リュックの底を数本のツタで支え、さらに両側から引っかけるようにして固定する。
『うん、いける』
シャロは軽く体を傾けてみる。
多少の揺れはあるが、バランスは悪くない。
背負っているというより頭に乗せていると言う方が近い。
ツタの先で微妙に角度を調整すれば、重心も安定する。
リュックの中には、昨日作ったすべての道具をまとめて入れた。
それぞれがきれいに収まっている様子に、少しだけ誇らしい気分になる。
『よし、行こう』
根を生やし、軽く地を蹴ると、シャロは竹林を抜け、さらに奥へと足を向けた。
***
道の先は、森のような景色に変わっていった。
竹は次第に姿を消し、太い樹木が林立する。
葉の色は深い緑。湿った空気と、遠くで響く水音。
気分はまるでハイキング。
ダンジョンの奥深くとは思えない、穏やかな空気だった。
風が吹き抜け、竹の葉を揺らす。
どこからか花の香りが漂ってきて、シャロは顔を上げた。
根による移動もだいぶ慣れた。
森の奥にはまだ霧がかかっている。
けれど、太陽の光がその霧を少しずつ溶かしていく。
光の粒が舞い、竹の表面に反射して煌めいた。
『……いい朝ね』
その言葉を呟いた、ほんの数秒後だった。
――ガサリ。
草むらの奥で、何かが蠢いた。
重い、湿った葉が擦れる。
シャロは荷物を置き、戦闘の体勢を取る。
次の瞬間、草の間から三つの巨大な影が這い出てきた。
ねっとりとした灰緑の体。
節ごとに膨らんだ腹を波打たせ、地面を這うそれら。
『キャタピラー……!』
硬い皮膚に覆われ、糸を吐いて獲物を絡め取り、動きを封じてから貪る芋虫型の魔物、キャタピラー。
三匹のキャタピラーが同時に身を持ち上げ、口のあたりが膨らむ。
ブシュッ!
細く、しかし凄まじい勢いで白い糸が吐き出された。
シャロはその瞬間、跳ねるように身を翻した。
糸が通り過ぎた空間には、枯葉がまとめて引きちぎられ、木の幹にぴたりと張り付く。
その粘着力と速度は尋常ではない。
シャロは大樹の影へ滑り込み、根の裏側に体を押し付けた。
キャタピラーたちは狙いを外したことを理解し、再びうねり始める。
次に来たのは転がる音だった。
ゴロゴロゴロッ……!
三匹のキャタピラーが丸くなり、硬い体を盾のようにして転がってくる。
シャロは瞬時に木の幹へ蔓を伸ばした。
太い蔓がしゅるると音を立てて上へ。
自らの体を引っ張り上げ、キャタピラーの突進をすれすれで回避する。
下では、キャタピラーが木の根に激突して止まった。
その衝撃で木が揺れ、葉がぱらぱらと舞い落ちる。
キャタピラーは再び体を起こし、狙いを定めて糸を吐いた。
白い線が幾重にも走る。
蔓を伝いながら、シャロはすばやく枝から枝へ移動した。
糸が木の幹に張り付き、空中で網のように広がる。
ひとたび触れれば身動きが取れなくなるだろう。
距離を取れば糸を吐き、隠れれば転がってくる。
キャタピラーの戦い方は実に厄介だった。
『だったら……!』
シャロは更に木の上方へと逃げた。
枝を渡り、さらに高い位置の葉の間に身を潜める。
ここなら、糸も届かない。
キャタピラーたちは地上で蠢きながら、しばらくその木を睨んでいた。
狙いを定めているのだ。
すると
ドドドッ!
木の上空から何かが放たれた。
そして、その何かから芽が生え、草が伸び、キャタピラー達に絡みつく。
その隙に木の上からシャロが降りてくる。
『《シード・バレット》!私のもう1つの必殺技よ!』
そう、シャロは木の上から種を弾丸のように放ったのだった。
キャタピラー達は暴れ、その草を引きちぎる。
しかし、それで生まれた一瞬の隙を突き、シャロは鋭い刃の葉をキャタピラーに向かって放つ。
『《リーフ・カッター》!』
ズシャッ!
緑の閃光が走り、最も近くにいたキャタピラーの体が真っ二つに切り裂かれた。
残る二匹が怒りに震えるように襲い掛かる。
糸を吐く。
転がる。
しかし、数が1匹減った事で、その攻撃は対処しやすくなっていた。
シャロはその攻撃を冷静に避けると、更に刃の葉をもう1発。
シュバッ!
二匹目のキャタピラーに命中。
硬い殻を貫く音がし、体液が飛び散る。
残る一匹は恐怖か怒りか、体を丸めて暴走した。
ゴロゴロと転がる音が、地面を這い回る。
シャロはそれに真正面から迎え撃ち……一閃。
ズバッ!
キャタピラーは刃の葉により真っ二つに切り裂かれたのだった。
『ふぅ……なんとかやっつけたようね……』
シャロは汗をぬぐい、一息つく。
そして、倒したキャタピラーの死骸を集める。
食事の時間だ。
『さて、今日は試してみたい事があったんだ』
リュックの中には昨日作った竹の水筒や木の食器、編んだザルなどが整然と詰められている。
調理器具も道具も揃ってきた。
食材も、魔物の力さえあれば自分で生み出せる。
シャロは両手を前に出し、ゆっくりと魔力を流し込んだ。
キャタピラーが淡く緑色に光り、そこから小さな芽が顔を出す。
『今日はアーモンドとゴマ、それとサトウキビの3つ!』
ぽつりと呟くと、芽たちは勢いよく伸びていく。
数分もしないうちに、そこにはたわわに実った植物が三種類。
アーモンドの枝が風に揺れ、ゴマのさやがはじける音がした。
そしてサトウキビの木が青々しく揺れていた。
『うん、いい感じ』
シャロは頬を緩め、材料を集める。
植物に向かって念を送るとアーモンドが、ゴマが殻から外れ、器に向かって飛んでいく。
『細かいものはこれに限るね』
サトウキビは鋭い葉っぱを使い、根元からスパンと切っていく。
まずはアーモンドを水に浸し、柔らかくなるまでしばらく待つ。
その間に、今度はキビを集め、麺棒を使い潰し始めた。
ゴリゴリと、サトウキビが砕ける音が静寂の中に響く。
やがて少しずつ粘り気のある液体が出始めた。
それを布で包み、ぎゅっと絞ると、透き通った淡黄色の液体が鍋に滴り落ちる。
鍋を火にかけ、木のヘラでかき混ぜながら煮詰めていく。
ぐつぐつ……
小さな泡が立ち始め、湯気が立ちこめる。
時間が経つごとに色が変化していき、液体は次第に飴色へと近づき、甘い香りが漂い始めた。
火加減を慎重に調整しながら、さらに煮詰める。
やがて鍋の中で、トロリとした粘りを持つ物質が現れた。
シャロは火を止め、木のスプーンでひとすくい取る。
舌先でちょこんと舐めた瞬間、驚きの声が漏れた。
『ん~甘いっ!』
思わず笑ってしまう。
純粋な甘みが舌に広がった。
目を閉じれば、ほんのり焦げた香りと、穀物の優しい風味が混ざり合う。
『よし!砂糖の完成!』
黄金色の輝きを放つそれは、まるで宝石のように見えた。
ほんの一粒で、心がふわっと温かくなる。
この甘さを使えば、料理の幅は格段に広がる、そう確信した。
シャロは次にゴマを鍋に広げた。
香ばしい匂いが立ち上るまで、軽く煎る。
小さな粒がパチパチと音を立て、色が少しずつ濃くなっていく。
『いい匂い……』
火を止めてゴマを潰していく。
細かく砕かれていくにつれ、ゴマの香りがどんどん強くなった。
やがて鍋の底にじわりと油が浮かび上がる。
それを布で丁寧に濾す。
すると透明で、わずかに黄金色を帯びた液体が滴り落ちた。
シャロは指先で少しすくい、舐めてみた。
『……香ばしい!』
濃厚な風味。
少し苦味もあるが、それがまた深い味を引き立てる。
身体の奥から温かくなるような感覚が広がった。
これが自然の油。
火を使うだけでなく、味を変え、保存を利かせる。
油があれば炒め物も、焼き物も、もっと美味しく作れる。
砂糖と油を作っている間にアーモンドが十分に柔らかくなっていた。
シャロは麺棒で丁寧に砕いていく。
コリ、コリ、と小気味よい音が響く。
そこに水を加え、鍋に入れて温めた。
火にかけると、やがて白濁した液体が立ち上る。
湯気に包まれながら、シャロは優しくかき混ぜ続けた。
香ばしい香りに混じって、ほんのりと甘い香気が漂う。
これを布でこして、少しずつ丁寧に絞ると、白い液体が鍋に落ちていく。
その姿はまるで牛乳、木の実から生まれた植物の恵みだ。
シャロは竹のコップに注ぎ、一口含んだ。
『……濃厚でおいしい!』
その言葉が自然とこぼれた。
まろやかで、舌に柔らかく、ほんのりとナッツの甘みがある。
動物の乳ではないのにコクがある。
シャロはそのミルクに作ったばかりの砂糖を加え、ゆっくりと混ぜ、もう一度口をつけた瞬間――
『!これは!』
目を見開く。
先ほどまでの優しい味わいに、滑らかな甘みが加わった。
疲れがすっと溶けていく。
心まで満たされていくような感覚。
『ん~!甘くてとっても美味しい!』
かつて人間だった頃、朝のミルクティーや温かいカフェオレ。
そんな記憶が一瞬だけ脳裏をよぎった。
魔物になった今、もう人間の世界には戻れないかもしれない。
それでも、こうして“味”を再現できることが、何よりの慰めだった。
『ふふっ、悪くないじゃない』
シャロはコップを両手で包み、もう一口だけ飲んだ。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
森の空気が、さらに穏やかに感じられた。
『はぁ……生き返る……』
飲み終えるころには、指先までぽかぽかと温かくなっていた。
食後、シャロは残りの材料を整理する。
砂糖、油、そしてミルク。
これで料理の幅は一気に広がる。
ケーキだって、焼き菓子だって、できるかもしれない。
甘味と香ばしさを組み合わせれば、きっと驚くほど美味しいものが作れるだろう。
シャロは嬉しそうに微笑み、竹の水筒を取り出した。
油とミルクを注ぎ分け、それぞれ栓をする。
砂糖は葉っぱで包み、リュックの中へそっとしまった。
荷物が少し重くなった。
でも、その重みは嬉しかった。
リュックの中はもう立派な調理道具セットだ。
鍋、木ベラ、皿、器、そして新しい調味料。
今日もダンジョンの空は穏やかだった。
木漏れ日が揺れ、泉がきらめく。
シャロは満ち足りた笑みを浮かべた。
『次の料理は何を作ろうかな……』
胸の奥から、自然と期待が湧き上がる。
魔物としての力を、こうして食に使えることが、何より楽しかった。
次の料理が待ち遠しくなったシャロだった。
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