第6食 オムレツ
森の中を、柔らかな日差しが照らしていた。
木々の葉の間からこぼれる光はまだ午前のものだ。
湿った土の匂いと、どこか甘い花の香りが混ざり合う。
ここがダンジョンの中だということを忘れそうになるほど、自然そのものの世界だった。
その中を、シャロは静かに歩いていた。
『……たしか、この辺りのはずなんだけど』
今の目的地は、明確に頭に描かれている。
記憶の片隅に残っていたその場所。
ここに潜った時に1度見つけた事があるアレ。
エッグプラントに進化したとはいえ、暮らすための工夫は欠かせなかった。
その為に、あそこに辿り着く必要があった。
小さな足を素早く動かして少しずつ歩を進めていく。
やがて、それを見つけ出した。
天井に届くほど高く伸び、幹は真っすぐで、節ごとに力強く張っている。
風が吹くたびに、葉がサラサラと鳴った。
岩に囲まれたダンジョンの内部とは思えないほど自然な光景。
『見つけた!竹藪だ!』
淡い緑が空に向かって伸びている。
太陽の光を透かして、竹の幹がきらきらと輝いて見えた。
地面には柔らかな落ち葉の絨毯。
シャロは目を輝かせて喜んだ。
目の前の竹林が、今は宝物のように見える。
『竹があれば色々なものが作れる!』
竹は便利だ、色々なものが作れる。
人間時代、彼女は竹を使い、色々なものをクラフトした経験がある。
木と竹があれば、今足りない物を作れる。
『見つけておいて良かった……』
ダンジョンに潜った際に偶然見つけたのが役に立つとは……
彼女は一本の竹に手を伸ばした。
緑の表面は冷たく滑らかで、触れるとひんやりとした感触が返ってくる。
――その瞬間だった。
ピシ……ピシ……。
何かがひび割れるような音が、耳の奥に届く。
シャロは反射的に身を引いた。
次の瞬間、隣の竹がガタリと音を立てて動いた。
まるで生き物のように、根の部分が地面を割って持ち上がる。
幹にあたる部分がぐねりと曲がり、その節の間から、無数の細い枝が生えた。
竹の形をしたそれは、明らかに普通の植物ではなかった。
シャロが一歩下がると、その存在はゆっくりと立ち上がり、節の間から呻くような音を響かせる。
『バンブートレント……!』
シャロの口から自然と名がこぼれる。
木の魔物トレントの亜種である竹の魔物、バンブートレント。
シャロはすぐに距離を取った。
バンブートレントは無機質な顔をわずかに傾け、彼女を見据える。
そして――
ドンッ!
地面を貫いて、無数の竹の柱が突き上がった。
まるで大地そのものが牙をむいたかのように。
『っ、危ないっ!』
シャロは反射的に跳び退く。
足元から生えた竹が、ほんの数秒前まで彼女のいた場所を貫いた。
鋭利な先端が光を反射し、空気を裂く音が響く。
『やば……!』
汗が伝う。
あの竹の攻撃をまともに食らえば、一撃で串刺しだ。
息を整えながら、ツタを構える。
『やるしかない……!』
シャロの手からツタが幾重にも伸びた。
鞭のようにしなり、空気を裂いて音を立てる。
彼女が一閃させると、ツタがバンブートレントの胴を叩きつけた。
ドゴッ!
鈍い音が響き、トレントの身体が僅かによろめく。
だが、すぐに体勢を立て直した。
『硬い……!』
竹の幹のような外皮は、まるで鉄のように硬かった。
コルンムーメの頃の攻撃力では到底通らなかっただろう。
しかし、今のシャロはエッグプラント、進化した魔物だ。
ツタを引き戻し、再びしなやかに構え直す。
攻撃は効いている。
だが、決定打にはならない。
『だったら!』
シャロは両腕を広げ、集中すると、周囲に数枚の葉が舞い散る。
『《リーフ・カッター》!』
舞い散った葉っぱがナイフのように鋭さを増す。
エッグプラントとして得た新たな能力、植物の葉を武器化する技だ。
バンブートレントが構え直すより早く、シャロは両手を振るった。
ヒュッ!
鋭く葉が飛ぶ。
光を反射しながら、まるで風そのものが切り裂かれるような鋭さだった。
鋭い葉の刃がバンブートレントの身体を斬りつけた。
ザシュザシュッ!
硬い竹の表皮をも切り裂く音が響く。
バンブートレントがのけぞり、身をよじった。
『効いた……!』
だが、それでも倒しきれない。
バンブートレントは再びこちらに襲い掛かってくる。
シャロはすかさずツタを薙ぎ払った。
バキィ――!
凄まじい音。
ツタが先ほどの切り込みを狙い撃ち、裂け目をさらに広げる。
竹の節が弾け、内部から乾いた音が連鎖的に響いた。
『いっけぇええええっ!』
更にツタがもう一撃。
その一撃が決定的だった。
バキバキバキッ!!
幹のような胴体がひび割れ、裂け目が広がっていく。
節ごとに割れていき、内部の繊維が弾けた。
バンブートレントはよろめきながら後退し、竹のような身体を震わせた。
やがて、最後の音を立てて崩れ落ちる。
シャロはツタを引き戻した。
バンブートレントが完全に動かなくなったあと、シャロはゆっくりと息を吐いた。
肩の力が抜け、全身の緊張がほどけていく。
『ふぅ……倒せた……』
辺りは再び穏やかになった。
先ほどまでの戦いの音が嘘のように、ただ竹の葉が風に揺れる音だけが響いている。
『……さてと』
シャロはお腹を押さえた。
戦いの後は、やっぱりお腹が空く。
『ご飯にしようかな』
今の自分にとって、食べることは何よりも大切なことだ。
シャロは倒したバンブートレントに手を触れる。
いつものように、そこに魔力を流し込む。
しばらくして、やわらかな緑の茎が顔を出す。
見る間にぐんぐんと伸び、やがて卵が実る。
『やっぱり不思議な光景ね』
シャロは小さく笑った。
草の間から生える卵の実。
それはまるで、植物と動物の境界をあざ笑うような、奇妙で神秘的な光景だ。
彼女は一つの卵を手に取った。
表面はつるりとしていて、温かみがある。
『さてと……今日は、オムレツにしようか』
シャロは少し離れた場所に置いていた鍋を手に取る。
まずは卵を軽く割った。
――ぱかっ
中から流れ出した黄身と白身は、まさに鶏卵そのものだった。
魔物由来とは思えないほど鮮やかで、匂いも悪くない。
『すごいなぁ……どう見ても普通の卵だもん』
感心しつつ、塩を入れ、卵をかき混ぜる。
くるくると円を描くように混ぜていく。
トロリとした液体が泡立ち始め、やわらかい黄色に染まっていく。
そして、いよいよ焼きの工程へ。
藁を集め、火打石で火を起こした。
パチパチと音を立てて火が燃え上がる。
シャロはそこらへんに落ちていた木の棒で慎重に端を持ち上げ、何度か折りたたむ。
柔らかくまとまっていく黄色い層。
火加減を調整しながら、焦げないように丁寧に焼いていく。
そして、ふっくらと厚みのある見事なオムレツができあがった。
『うん、いい感じ!』
シャロは満足そうに頷き、火を止めた。
ほんのりと香ばしい匂いが竹林の中に漂う。
どこか懐かしい――人間だった頃、朝に食べた家庭の味を思い出すような香りだった。
『さて、いただきます』
小さく両手を合わせて、シャロはオムレツを口に運ぶ。
ふわりとした食感とじゅわっと広がる卵の甘味。
塩の加減も絶妙で、思わず頬が緩んだ。
『おいしい!』
ただの卵料理なのに、これほどまでに満たされるとは思わなかった。
口の中に広がる温もりが、身体の芯まで染みわたるようだ。
食べ進めるうちに、身体の内側から力が湧いてくるのを感じた。
身体の奥底にある魔力が安定し、戦闘で削れた疲労が癒え、新たな力が宿るような感覚。
『美味しいもの食べて強くなれるなんて、悪くないね』
彼女は残りのオムレツを丁寧に平らげ、鍋を水で洗い、静かに片づけた。
お腹が満たされ、心も落ち着いた頃。
シャロは火のそばで小さく伸びをした。
背中の花弁がゆっくりと開き、紫の光がふんわりと漂う。
『……さて、そろそろやりますか!』
シャロは立ち上がり、視線を竹林へと向けた。
陽光を浴びて、竹の群れはどこまでも青々としている。
その細長い幹が風に揺れるたびに、葉が擦れ合い、心地よい音を奏でた。
ここに来た理由は一つ、竹と木で、道具を作るため。
調理器具も火起こしの道具も手に入ったが、足りないものはまだ多い。
特に、保存や持ち運びに関する道具が皆無だった。
『水筒にお椀、ザル……あと、混ぜるための木ベラも欲しいな』
食べること、戦うこと、そして作ること。
それは、人間だった頃から変わらない、彼女の生きるための基本だった。
『ふふっ、何から作ろうかな?』
シャロは立ち上がり、足元の竹を一本、手に取るように見つめた。
表面はつるりと滑らかで、淡い緑色が美しい。
光に照らされて、内側が少し透けて見える、良質な素材だ、工夫次第で何にでも姿を変える。
それを形にするのが今の自分の“仕事”だ。
シャロは手から葉を生やし、鋭く尖らせナイフのように成形する。
葉脈の部分に魔力を流し込むと、緑色の刃が淡く輝いた。
シャロは竹に狙いを定め、思い切り振り下ろす。
――スパァンッ!
乾いた音が竹林に響いた。
切り口は驚くほど滑らかだった。
植物の葉とは思えない切れ味に、自分でも少し驚きながら、次々と竹を切っていく。
斜めに、真っすぐに、輪切りに。
切り出した竹は、長さを整えて並べる。
節を残す部分と削る部分を見極め、ツタを使って固定する。
『まずは食器から』
時間をかけ、少しずつ形が見えてくる。
まずは木材を使って、スプーンや皿を作る。
表面をツタの先で丁寧にこすり、ざらつきを落とす。
次に竹を加工し、コップを作った。
節の内側をくり抜き、口当たりを滑らかに整える。
水を入れて試すと、漏れもなく、ぴたりと密閉されている。
『うん、いい出来!』
シャロは満足そうに頷いた。
かつて人の世界で見た生活の道具が、ここに少しずつ揃っていく。
それは文明の欠片、自分の手で取り戻した暮らしの象徴だった。
『次は水筒』
長い竹を選び、両端を切り落とす。
口の部分に小さな穴を開け、ツタを通して栓を作る。
ツタで編んだ紐を巻き付け、肩から掛けられるようにする。
試しに水を入れて逆さにしてみる。
『うん、漏れてない、完璧』
その成果に、思わず頬が緩んだ。
水筒を手に入れたことで、今後の行動範囲が大きく広がる。
これで、泉や川から離れてもある程度は動ける。
『木ベラ……これは地味に大事なんだよね』
調理の時、鍋をかき混ぜたり、料理をひっくり返すための道具。
これがあるとないとでは、出来上がりが全く違う。
手頃な枝を選び、葉の刃で少しずつ削っていく。
木の香りが立ち、削る音が心地よく響いた。
『ふふ……懐かしいな』
昔、焚き火のそばで木を削っていた夜を思い出した。
冒険をするには外で色々道具を作る技術はあって困るものでは無かった。
やがて木ベラが完成する。
つるりとした持ち手、薄く丸い先端。
鍋に当てるとちょうど良い弾力があった。
『さて、そろそろザルに取り掛かるかー』
シャロは竹を細く割り、柔らかい部分だけを取り出し、それを編んでいく。
竹を交差させ、輪を作り、また交差させる、根気の要る作業。
しかし元々そういう手作業は好きだったため、特に苦にはならなかった。
やがて、それは“ザル”の形を成した。
風通しがよく、軽く、使いやすそうだ。
やがて日が傾き、竹林の影が長く伸びていく。
風が通り抜け、竹の節がかすかに鳴る。
それはまるで、森全体が彼女の作業を見守っているかのようだった。
『よし、これで一通り揃ったかな』
シャロは作業を止めて、ひと息ついた。
周りを見渡すと、自分の手で作ったものがずらりと並んでいる。
木の皿、スプーン、フォーク、竹のコップ、水筒、ザル、その他色々。
それらがきちんと並ぶ光景は、まるで小さなキャンプのようだった。
『これで調理も保存もできる。やっと生活が整ってきた感じだね』
胸の奥に温かいものが広がる。
シャロは膝を抱え、しばらくその光景を見つめた。
だいぶ人と同じような生活ができる。
そう思うと嬉しかった。
気づけば、空はゆっくりと薄闇に包まれ始めている。
竹の隙間からこぼれる光が、淡く緑を照らす。
その中で、シャロは静かに腰を下ろした。
『さて……流石に疲れたな……』
長時間の作業で腕も足も重い。
けれど、その疲労は心地よかった。
やり切ったという実感が、全身を包んでいる。
作り上げた道具たちを一つひとつ確認してから、シャロは背中を地面に預けた。
草の匂い、竹の音、遠くで鳴く虫の声、それらがゆっくりと混ざり合い、眠気を誘う。
目を閉じると、まぶたの裏に紫の光が滲む。
花弁がふわりと揺れ、彼女を包み込むように閉じていく。
『今日はいい一日だった』
微かな声が、夜の森に溶けた。
竹の葉が風に揺れ、カサカサと優しい音を奏でる。
シャロはその音を子守唄のように聞きながら、静かに眠りへと落ちていった。
そして、竹林の奥には彼女の作り上げた小さな“生活の証”が、柔らかな月明かりに照らされていた。
面白かった 続きが読みたい方は ブックマーク 感想を入れたり
下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると励みになります




