第5食 ゆで卵
『ふふっ、体が軽い!』
シャロは上機嫌だった。
コルンムーメからエッグプラントに進化した事で、シャロの身体能力は確実に上がっていた。
『なんだかいい感じ!』
シャロは軽く笑い、岩の影を抜けた。
すると、前方の暗がりの奥で、カサリと音がした。
次の瞬間、緑色の影が飛び出してくる。
『ゴブリン……!』
以前、調理器具を手に入れるために必死で戦った相手だ。
その時の記憶が蘇る、あの時は死に物狂いだった。
だが今は違う。
ゴブリンは唸り声を上げながら、シャロに飛びかかってきた。
シャロは身をひねって避けると、ツタを一閃させた。
しなやかに伸びたツタが、空気を切り裂いてゴブリンの胴を薙ぐ。
バキッ
乾いた音が響き、ゴブリンの身体が宙に浮いた。
そのまま岩壁に叩きつけられ、ズルズルと地に崩れ落ちる。
『……え?』
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
だが、次第に目の前の光景が現実だと認識する。
ツタの一撃でゴブリンの骨が折れた音がした。
その威力は以前の比ではない。
『強っ……!』
驚きと同時に、胸の奥が高鳴る。
ツタを軽く振ってみる。
空気の抵抗を受ける感覚が明確に分かる。
『これなら……これなら、いけるかも!』
シャロは倒れたゴブリンを見下ろす。
以前ならこの一体にだって苦戦していた。
けれど今の自分なら――確かに勝てる。
もっと強い敵にも、立ち向かえる。
その考えが、胸の奥で確信に変わっていった。
シャロは荷物を纏めた。
鍋、岩塩、布、火打石、全てリュックに纏めた。
『これでよし!』
何もないと思っていたダンジョンの中でも、少しずつ生活が形になってきた。
火がある、食べ物がある、そして調理ができる。
かつての人間だった頃にできたことを、今また植物の体で再現している。
不思議な話だが、シャロはこの奇妙な日常をどこか楽しんでいた。
足音が、静かなダンジョンに響く。
壁の岩肌は滑らかで、時折透き通った鉱石が散らばっていた。
しばらく歩いていると、下に伸びた通路を見つけた。
『あった、下への通路』
ダンジョンと言うものは、いくつかの階層によって構成されている。
階層を降りるごとに、魔物は強くなっていく。
シャロはその通路をゆっくりと降りていく。
空気の密度が少しずつ変わっていく。
湿り気を帯びた空気の奥に、草の匂いが混じってきた。
そして、下へと降り切った時、ダンジョンの環境が一気に変わった。
明るい光が差し込み、草が一面に広がり、あちこちに大きな森林が広がっていた。
以前の暗く乾いた洞窟とは明らかに違う。
太い幹、伸びた枝、そして葉のざわめき。
洞窟の中とは思えない光景が広がっていた。
頭上を見上げれば、まるで太陽のような光が降り注いでいる。
そこから入り込む光が木々の葉に反射して、揺らめく緑の天幕を作り出していた。
この空間全体が、ダンジョンの“再現した自然”なのだ。
ダンジョンとは単なる地下空間ではない。
生き物のように、自ら環境を作り替え、魔力を循環させる異界だ。
特に大きなダンジョンでは、時に氷原を生み、時に砂漠を創り、時にこのような森を生み出すのだ。
『やっぱり綺麗だなぁ……』
シャロはその光景に感動する。
何日も暗い洞窟の中に居たのだから、この喜びもひとしおだ。
自身が植物の魔物だというのも相まって、この環境はいい影響を与えてくれる気になる。
森の中を歩くたびに、土の匂いが濃くなっていった。
葉が擦れ合い、遠くで虫の羽音が響く。
洞窟の奥だというのに、まるで外の世界にいるような錯覚を覚える。
それだけ、このダンジョンの内部環境は緻密で、強大な魔力で構築されているのだろう。
ダンジョンの中だという事を忘れてしまいそうになる。
しかしここはダンジョン、階層を降りて魔物も強くなった。
初心者冒険者では即返り討ちに遭うような魔物が沢山居る。
シャロは風の動き一つにも警戒を向けていた。
『さて、ここに来たらやりたい事があったんだ……!』
警戒を向けると共に、シャロは注意深く先を見る。
この森林の中で、何かを探しているようだ。
しかし
『それにしても、ちょっとこのペースじゃ時間がかかり過ぎるかな……?』
進化したとはいえ、今の自分は人間の時より遥かに小さい。
身体能力も人間の頃より下がっているし、このまま歩いていたら目的地に着くまでどれだけかかってしまうかわからない。
『足の代わりになる物を生やせないだろうか……?』
シャロは足元に魔力を集中させる。
足の代わりになる物、今の足より長く、そして多く……
すると、しゅるしゅると何本かの根が身体の下の方から生えて来た。
『お、これはいいかも!』
根っこは昆虫の脚のようにしっかりと身体を支え、大地を踏みしめる。
動かすのに少しコツが要るが、前よりかなりハイペースで歩くことができそうだ。
これも、コルンムーメの時ではできなかったかもしれない。
進化して本当に良かったと、改めて思うのだった。
――ガサガサ
しばらくダンジョンを歩いていると、右手の草むらが大きく揺れた。
何かの気配、瞬間、シャロの全身に緊張が走る。
『……来る』
草が裂け、低く唸る声が森に響く。
現れたのは、しなやかな筋肉を纏った四足の獣――。
光沢のある黒い毛並み、鋭い牙、爛々と輝く金色の瞳。
『キラーパンサー……!』
獲物を見つけると、影のように忍び寄り、一瞬で首を噛み砕く高速の捕食者。
もちろんダンジョンの一層に出現する魔物よりずっと強い存在だ。
キラーパンサーは低く唸り声を上げ、背中の毛を逆立てていた。
次の瞬間、その巨体が弾けるように動く。
まるで一瞬、空気そのものが裂けたような感覚。
飛びかかってきたキラーパンサーの爪が、シャロの目の前をかすめた。
もし避け遅れていたら、今ので身体が裂けていただろう。
だが、シャロはもうコルンムーメではない。
シャロはすかさず横に跳び攻撃を避けると、ツタによる反撃に移る。
空気を切り裂く鋭い音。
ツタの一撃が、キラーパンサーの胴体をとらえた。
しかし、キラーパンサーは怯むどころか、さらに速度を上げてきた。
鋭い目が光り、足が地を蹴る。
再び、突進。
シャロはそれをギリギリでかわし、ツタを四方八方から鞭のように打ちつける。
だが、キラーパンサーは身体を低く伏せ、地を滑るように避ける。
踏み込み、跳躍。
空気を裂いて飛びかかってくる。
だが、その瞬間、シャロのツタが相手の尾を絡め取る。
そして、引き絞るように、全身の力を込めて引いた。
キラーパンサーの身体が反転する。
重力を無視したような軌道で宙を舞う。
『いっけえええええっ!!』
そのまま
ズドンッ!
「ギャアアッ!」
振り回されたキラーパンサーが土煙を上げて叩きつけられ、悲鳴と共に地に沈む。
『ふぅ……!』
シャロは軽く息を整えながらツタを引き戻した。
キラーパンサーは地面に沈み、動かない。
黒い毛並みが風に揺れるが、呼吸の気配はもうなかった。
『よし……勝った……!』
自分の手を見下ろす。
戦闘の余熱。
その奥には確かな実感があった。
『本当に……強くなってる……!』
キラーパンサーは間違いなく、今までで一番の強敵だった。
それを倒せたという事実に、実感がじわじわと胸を満たしていく。
コルンムーメの時の自分では、到底勝てなかっただろう。
けれど今は違う。
速さでも、力でも、確実に上回っている。
あの時、角ウサギやゴブリンに苦戦していた頃がまるで別人のようだ。
『さて……食事にするかな』
勝利の余韻が冷めると、次に襲ってきたのは強烈な空腹だった。
進化しても、この感覚だけは変わらない。
胃が空っぽになって、頭がぼんやりする。
シャロはキラーパンサーの亡骸の前に立つと、両手をそっと触れた。
『せっかくだし、新しい力を試してみようかな』
エッグプラント――今の自分の名。
植物の魔物でありながら、文字通り卵を実らせる不思議な存在。
図鑑で見たことはあったが、実際にその実を目の当たりにした事は無かった。
コルンムーメの時と同じように、体の中心から魔力を流し込む。
静かに意識を集中させると、ツタの先端から柔らかな光が広がった。
次第にキラーパンサーの身体のあたりから、芽が伸びた。
最初は小さな緑の双葉。
それがみるみるうちに成長し、木の枝のあちこちにぷっくりとした白いものが実り始める。
形はまるで卵そのものだった。
『本当に生えた……』
植物なのに卵が生える。
目の前の光景は、何度見ても理屈を超えていて、妙におかしかった。
シャロは思わず笑ってしまう。
『ふふっ、おかしな植物も居たものね』
冗談めかして呟きながら、ツタを使い、枝からいくつか卵を摘み取る。
『よし、今回はシンプルに茹でてみよう』
シャロは鍋を取り出した。
川のせせらぎが近くに聞こえる場所まで移動し、葉で水をすくって鍋に注ぐ。
藁を集め、火打石で火を起こす。
その中に、先ほど摘んだ卵をそっと入れる。
ぐつぐつと音がして、白い殻の表面に細かい気泡が立ち始めた。
火の加減を見ながら、シャロは少し離れた岩に腰を下ろした。
やがて水面から心地よい泡の音が響きはじめた。
火を止め、鍋を持ち上げる。
お湯を慎重に捨てると、白い卵が顔を出した。
熱気が立ち上る中、シャロはそっと手を伸ばし、殻をむく。
『わぁ!ちゃんとゆで卵になってる!』
表面がつやつやしていて、白身はぷるぷると弾力がある。
どこからどう見ても、本物の鶏卵と変わらない。
軽く塩を振りかけ、恐る恐るかじる。
『……美味しい!』
口の中に、やさしい旨味が広がった。
白身はふんわりとしていて、黄身の部分はとろりと半熟。
塩気がほどよく絡み、豊かな味わいを引き立てている。
『ちゃんとゆで卵の味だ!』
シャロは感動に目を細めながら、もう一口食べた。
森の静けさの中で、湯気の立つゆで卵を頬張る。
『やっぱり食事って、生きてるって感じがするなぁ』
それから彼女はゆっくりと卵を一つ、また一つと食べ進めていった。
小さな体のどこに入るのかと思うほど、食欲は止まらなかった。
卵をすべて平らげ、手を合わせる。
『ごちそうさまでした』
食べ終えた瞬間、それはほんのわずかだが、確かに生命力の高まりを感じさせた。
指先まで温かく、まるで体全体に栄養が行き渡るようだ。
焚き火の炎が小さくなり、森に再び静寂が戻る。
鳥の鳴き声の代わりに、どこかで魔物の遠吠えが響いた。
それでも怖くはなかった。
『さて、この調子であれを見つけよう』
シャロは森の奥を見つめた。
風が吹き抜け、頭の花弁がふわりと揺れる。
ツタの先を軽く払って、シャロは再び歩き出す。
道なき森の奥へ、紫の花を揺らしながら進んでいく。
彼女の足取りは軽く、そして確かな希望に満ちていた。
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