第66食 ヴェノムヴァンパイア 前編
「……ん、朝か」
シャロがゆっくりと目を覚ます。
暗闇に包まれたままの第九層では朝という概念は存在しない。
だが、心地よい疲労感の抜け具合が、十分な睡眠をとったことを教えてくれていた。
「起きたか、シャロ」
最後の見張りの番を務めていたヨシュアが、焚き火の跡を片付けながら静かに声をかける。
「おはよう、ヨシュア。見張り、ありがとう」
シャロが伸びをしながら返事を返す。
その声を聞いて、毛布にくるまっていたエミルとアグニも目を覚ました。
「ふわぁぁ……よく寝たゾ」
「ああ、魔力も体力も十分回復した」
エミルが軽く剣を振り、身体の軽さを確かめるように頷いた。
「よし。全員が起きた所で、作戦会議だ」
ヨシュアが三人を集め、真剣な表情で切り出した。
これから向かうのは、最下層である第十層、そしてそこに待ち受けるのは、かつての仲間であった聖女セレナが変貌した最凶の魔物ヴェノムヴァンパイアだ。
「ヨシュア、どうすればセレナを助けられるの?」
シャロが真っ直ぐな瞳で尋ねる。
「セレナの本来の『心』を呼び覚ます。そのためには、まず俺の精神干渉魔法を成功させる必要がある。だが、あの巨体のまま暴れられては術式が安定しない。だから、まずは抵抗されないよう、ヴェノムヴァンパイアを完全に動けないように拘束するんだ」
ヨシュアが地面に簡単な図を描きながら説明する。
「拘束……方法は、私の植物魔法のツタと茨で縛り上げるか、ヨシュアの氷魔法による凍結か、あるいはその両方を同時にかけるかだね」
シャロが自身の魔力を確認するように手を握る。
「ああ。相手は規格外の魔物だ。生半可な拘束ではすぐに引きちぎられる。だが、一つだけ注意してほしいというか、気にするなと言っておく事がある。ヴェノムヴァンパイアは、凄まじい再生能力を持っている。だから、セレナの身体を傷つける事は気にするな。手足を切り落とそうが、身体に風穴を開けようが、殺し切らなければすぐに再生する。だから……情けをかけず、本気で戦え。俺たちが全力で叩き伏せなければ、拘束すら叶わない相手だ」
ヨシュアの言葉に、重苦しい緊張が走る。
「そして、拘束に成功したら、俺が『精神干渉魔法』を展開する。俺たちの精神をダイレクトにセレナの内側に送り込み、彼女の魂を支配しているヴェノムヴァンパイアの精神そのものを破壊すればいい」
「そうすれば……セレナの心は、元に戻るの?」
シャロが祈るように尋ねる。
「ああ。理論上ならこれでいけるはずだ……問題は、俺たちの実力で、このイレギュラーだらけのバケモノを相手に、この一連のプロセスを完璧にこなせるかどうか……だ」
ヨシュアが自嘲気味に息を吐く。
「なぁに!アタシ達なら絶対に大丈夫だゾ!シャロは何度も何度も進化したし、エミルの剣は最強だし、ヨシュアの魔法も冴え渡ってル!それにアタシの拳もあるんだからナ!」
アグニが持ち前の楽観的で明るい笑顔を見せ、不安を吹き飛ばすように胸を張った。
「……ふっ、まぁ、今回ばかりは気にしても仕方がないか。アグニの言う通り、やってやるさ」
ヨシュアの口元にも、自然と笑みがこぼれた。
「ああ。自分を、そしてここまで一緒に死線をくぐり抜けてきた仲間を信じるしかない」
エミルが新しい長剣を鞘に納め、力強く頷いた。
「うん!……行こう!」
シャロの号令と共に、四人はついに陣を立ち上がった。
四人は巨大な黒いアーチを通り抜け、深く冷たい第十層へと続く大階段を降りていく。
階段を下るごとに、周囲の空気が重く、そして濃密な闇へと変わっていくのが分かった。
「……次第に強烈な魔力を感じ取るようになってきた。この先に居るんだな……」
エミルが冷や汗を流しながら呟く。
「ああ、ヴェノムヴァンパイアの魔力だ。第六層で戦った時とは比べ物にならないほど、強大で、おぞましい魔力だ」
ヨシュアが杖を強く握りしめる。
長い通路を抜け、重厚な扉を押し開けると、そこは、薄暗い闇の世界から一転、彼女達の視界に広がったのは、目が眩むほどに眩しく光り輝く、広い広い『黄金のフロア』だった。
壁も、柱も、天井も、すべてが純金のような輝きを放っている。
そして、その広大なフロアの最奥。
一段高くなった場所に置かれた『大きな黄金の玉座』に、聖職者の白い服に黒いマントを羽織った一人の女性が優雅に足を組んで座っていた。
「よく来たな。待ってたぞ」
響き渡ったその声に、四人は息を呑んだ。
声の主は、かつてのセレナの姿をしていた、しかし、纏っている空気は全くの別人だった。
昔のセレナのような包み込むような優しい声でもなければ、第六層で遭遇した時の、自我が混濁したようなたどたどしい魔物としての喋り方でもない。
それは、大胆不敵で、絶対的な自信に満ち溢れた、まさに『王』としての喋り方だった。
「セレナ……!いや、お前は……」
ヨシュアが杖を構え、ギリッと奥歯を噛み締める。
「ふふっ。この体をくれた事には感謝しているぞ。おかげで我は、この無類の力と、深い知性を手に入れた」
セレナ、いや、ヴェノムヴァンパイアが、口元を妖しく歪めて笑う。
「それに、気づいているだろう?この黄金のフロアはただの飾りではない。我はついに、この迷宮の最深部に眠っていた『ダンジョンコア』の力をも手に入れたのだ。この無限の力を持って、我は迷宮を抜け出し、地上を侵略する」
その言葉は、もはや魔物の本能だけによるものではなく、明確な支配欲と悪意に満ちた宣戦布告だった。
「そんな事はさせない!地上も侵略させないし、セレナの体も心も、絶対に返してもらう!!」
シャロが一歩前に出て、毅然と言い放った。
「くくっ……やれるものなら、やってみればいい」
セレナが玉座からゆっくりと立ち上がり、両手を広げた。
直後、彼女の華奢な身体が、尋常ではない量の漆黒の「闇の魔力」に包み込まれた。
爆発的な魔力の膨張と共に、その姿は一瞬にして巨大化し、天井に届きそうなほどの圧倒的な巨体を持つ本来の姿――巨大な『ヴェノムヴァンパイア』へと変貌を遂げた。
それは、第六層で彼らを絶望の淵に突き落とした時と同じ、漆黒の巨大な吸血鬼の魔物。
しかし、一つだけ決定的に違う部分があった。
かつては巨大な魔物の頭部に、本体である「人間のセレナの上半身」が埋まるようにくっついていた。
だが今は、そのセレナの身体は巨大な魔物の体と完全に馴染んで消え去り、一つの生命体として完成された『完全体』となっていたのだ。
「行くぞッ!!」
エミルが掛け声を出し、四人は迷うことなく地面を蹴り、空へと舞い上がった。
「虫けらが!また蹴散らしてやろう!!」
ヴェノムヴァンパイアが巨大な腕を振り上げ、空を飛ぶ四人をまとめて叩き落とそうと凄まじい速度でなぎ払う。
その巨体からは信じられないほどの神速の打撃。第六層の時の彼らであれば、反応すらできずに即死していたほどの暴力。
だが、シャロ達4人はそれぞれの魔法と身体能力を駆使して、ヴェノムヴァンパイアの猛攻を見事に躱し、その動きにピタリとついていく。
「いけえええッ!!」
アグニが魔力を纏った拳で、ヴェノムヴァンパイアの顔面めがけて急降下しながら強烈な一撃を叩き込んだ。
何度かはその巨大な腕に防がれたり、俊敏な動きで避けられたりしたものの、防ぎきれなかった打撃が確実に完全体の顔面を捉え、少しずつダメージを重ねていく。
「小賢しいわッ!!」
苛立ったヴェノムヴァンパイアが、口から広範囲の漆黒のレーザーを乱れ撃つ。
「させない!!《ローズ・シールド》!!」
「《アイス・シールド》!!」
シャロの大規模な茨の防御盾と、ヨシュアの強固な氷結の盾が同時に展開され、闇のレーザーを完璧に弾き返した。
「チィッ……!!」
ヴェノムヴァンパイアが舌打ちをする。
その内面で、激しい焦りと苛立ちが渦巻いていた。
かつて第六層で戦った時には、彼女達は今の倍、八人という大所帯で挑んできた。
にも拘わらず、ヴェノムヴァンパイアを倒す事は出来ず、返り討ちに遭い、全滅寸前まで陥った。
ましてや今のヴェノムヴァンパイアは、ダンジョンコアの膨大な魔力を吸収し、あの時とは比較にならないほど格段に強くなっている完全体だ。
にも関わらず、あの四人相手に、どんどんと押されている。
防戦に回る時間が長くなり、顔面に叩き込まれる一撃の重さは、確実に自身の再生能力の限界を削り取りに来ている。
「何故だ!?何故こんな蟲ケラ相手に押されている!?我は最強の魔物だ、ダンジョンコアすら取り込んだこの我が、負けるはずがない!!」
ヴェノムヴァンパイアは怒りに任せ、自身の全魔力を両手に集束させ、超巨大な闇の魔法球を作り出した。
黄金のフロア全体を吹き飛ばしかねない、滅びの魔法。
「消え去れえええええええッ!!!!」
だが、四人は全速力で空間を跳躍し、放たれた巨大な闇の魔法球の軌道から間一髪で逃れた。
魔法球が背後の黄金の壁に着弾し、大爆発を起こすその隙に。
四人はヴェノムヴァンパイアの頭上、完全に死角となる位置取りを終えていた。
「私たちは……おまえなんかに負けやしない!!!」
シャロが叫んだ。
「今だ!!最大火力でいけェェェッ!!」
エミルの号令と共に、四人の力が再び一つになる。
「《ローズ・グングニル》!!」
「《超オーラ・バースト》!!」
「《アブソリュート・ライガー》!!」
「《サンダー・ボルト・エクスカリバー》!!」
シャロの渾身の茨の大槍、アグニの全力の魔力の波動、ヨシュアのすべてを凍てつかせる氷結大魔法、そして新しい剣の性能を極限まで引き出したエミルの雷光の斬撃。
四人の最大攻撃が、完璧なタイミングでヴェノムヴァンパイアの顔面に直撃した。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッ!!」
凄まじいダメージを食らい、ヴェノムヴァンパイアがバランスを崩し、巨体を大きく揺らしてよろめいた。
再生が追いつかないほどの致死のダメージ。
「今だっ!《ギガ・フリージング・ゼロ》!!」
ヨシュアが最大出力の魔力を杖から放出し、よろめいたヴェノムヴァンパイアの足元から、見上げるほど巨大な氷の柱を何本も発生させ、その巨体を一瞬にして『氷漬け』にする。
「絡みつけ!《ユグドラシル・バインド》!!」
その上からシャロが、自身の世界樹の力を解放し、鋼鉄よりも硬く太い世界樹の根を何重にも巻きつけ、ヴェノムヴァンパイアの全身を完全に拘束した。
「グァッ……!ギギギギギッ!!離せッ!!我を誰だと……!!」
怒りに任せて火事場の馬鹿力で暴れようとするヴェノムヴァンパイアだが、ヨシュアの絶対零度の氷と、シャロの規格外の世界樹の拘束の前に、指一本動かすことができない。
完全に、動きが止まった。
「今だ!みんな!手を繋げ!!」
ヨシュアが叫ぶ。
空から降り立ったシャロ、エミル、アグニがヨシュアの元に集まり、四人でしっかりと互いの手を握り合った。
ヨシュアは空いた片手で杖を高く掲げ、全神経を集中させて『精神干渉魔法』の長大な呪文を唱え始める。
杖の先端から、まばゆい銀色の光が溢れ出し、四人の身体と、氷と茨に囚われたヴェノムヴァンパイアを繋ぐ光の道を作り出した。
「セレナ……今、助けに行くからね!」
シャロが強く目を閉じる。
直後、杖が閃光を放ち。
四人の意識は、ヴェノムヴァンパイアの奥深くにある、深く暗い精神の『闇』の中へと包まれていくのだった。
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