表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
穀物転生  作者: リース
PR
65/69

第65食 カレーライス

シャロたちは再び第九層の「闇の世界」を前へと進み始めていた。

しばらく歩き続けた頃、先頭を行くアグニがふと立ち止まった。

彼女の視線の先、それまで続いていた石畳や荒野とは明らかに異なる光景が広がっていたからだ。


「おい、見ろヨ、地面になんか描いてあるゾ」


アグニの言葉に、三人も足元に視線を落とす。

そこには、赤ぐろい染料のようなもので描かれた、奇妙で複雑な幾何学模様が無数に敷き詰められていた。


「魔法陣……?それも、一つや二つじゃなく、床一面にか……?」


エミルが目を細め、警戒の色を見せる。


「また不気味な場所だな……墓場や石像の次はこの気味悪い模様カ……ほんと、悪趣味なダンジョンだナ……」


アグニが嫌そうに魔法陣を踏んで進む。


「気をつけろよ、アグニ。また何か出てくるかもしれないからな。この階層の魔物はどれもタチが悪い」


エミルがいつでも剣を抜けるように、腰の柄に手をかけた。


「ああ。これらの魔法陣のどれが起動するかわかったもんじゃないからな……」


ヨシュアも杖を構え、慎重に歩みを進める。


神経を張り詰め、四人はゆっくりと前進していく。

やがて、その魔法陣のエリアの終端が見えてきた時、彼女達の目の前に「それ」はそびえ立っていた。


「……あれは!」


シャロが息を呑んだ。


まるで城門のような、見上げるほど高くそびえる漆黒のアーチ。

その奥からは、暗く、重く、そして途方もなく深く冷たい「死の気配」を含んだ風が吹き出してきている。


「あのでかいアーチ……もしかして、ここが?」


アグニが声を潜める。


「ああ……間違いない。ここが、最下層、第十層への道だ」


ヨシュアが、どこか緊張を含んだ声で力強く頷いた。


「とうとう、辿り着いたんだね……」


シャロはその深く暗い階段を見つめ、胸の前で両手をギュッと握りしめた。

この階段を下りた先、未だ誰も足を踏み入れたことのない最下層に、かつての仲間であり、今や最凶の吸血鬼「ヴェノムヴァンパイア」と化してしまった聖女・セレナがいる。


「よし!それじゃあ行くぞ!!」


アグニが気合いを入れ直し、アーチへと一歩足を踏み出そうとした。


――その瞬間。


「待て!!何か来るぞ!!」


エミルの鋭い叫び声が響いた。


アーチの入り口の真ん前。

ひときわ大きく描かれていた魔法陣が、突如として禍々しい赤紫色の閃光を放ち始めたのだ。


「召喚陣か!」


ヨシュアが舌打ちする。


空間が歪み、魔法陣の中から莫大な魔力が吹き荒れた。

そして、その光と闇の混ざり合った渦の中から姿を現したのは――身の丈5メートルはあろうかという、巨大な二本角を持つ悪魔だった。


漆黒の体躯、背中には巨大なコウモリのような翼。

その体からは見る者を恐怖させるような濃密な魔力が噴き出している。


「デーモン……!!それも、ただのデーモンじゃない、上位種か!!」


博識なヨシュアが思わず絶叫した。


「デーモンって……あれが!?悪魔の!?」


「ああ!魔物の中でも最上位に位置し、ドラゴンをも超えると言われる絶対的な存在だ!ったく、流石9層の魔物だな!」


「グルルルオオオオオッ!!!!」


デーモンが耳をつんざくような恐ろしい咆哮を上げる。

それと同時に、デーモンは体内に蓄積された莫大な魔力を一気に解放し、腕を前に突き出した。


「ッ!!来るぞッ!!」


デーモンの手から漆黒の「闇の炎」が扇状に放たれ、シャロたちをまとめて焼き尽くさんと迫り来る。

四人は蜘蛛の子を散らすように四方へ飛び退いた。

直後、彼らが立っていた場所は闇の炎に飲み込まれ、石畳を燃やすどころか大きく吹き飛ばした。


「チッ!!《超・オーラ・ナックル》ッ!!」


アグニが魔力を拳に纏わせ、一気にデーモンの懐へと飛び込み強烈な拳を打ち込む。


「《ライトニング・エクスカリバー》ッ!!」


エミルも剣に雷を纏い、デーモンの巨大な足めがけて斬撃を放つ。


しかし、デーモンはその巨体からは想像もつかないほどのスピードで巨大な翼を羽ばたかせ、ふわりと上空へと飛び上がってアグニとエミルの攻撃を完全に回避してしまったのだ。


「上かッ!」


空中に逃れたデーモンは、ニヤリと嘲笑うかのように口角を上げると、空から手を振り下ろした。


バリバリバリバリッ!!


放たれたのは、漆黒の電流を纏った「闇の雷」。

何十本もの太い雷の矢が、雨霰となって地上にいる四人に降り注いできた。


シャロ達は必死にその雷の嵐を避けつつ、各々の方法で空へと舞い上がり、素早い空中戦と激しい弾幕戦が繰り広げられる。

デーモンが放つ闇の炎と雷の暴雨を必死に回避しながら、一進一退の攻防を続ける。

シャロが茨で動きを止め、ヨシュアが後ろで援護をする、その隙にエミルやアグニが攻撃を叩き込む。


「……ハァッ……ハァッ……!」


シャロが息を切らしながら飛び回る。

彼女達はデーモンからの激しい攻撃により、決して小さくないダメージを受けていた。


「少しずつだが攻撃は当たってる!確実にダメージは蓄積されているはずだ!」


ヨシュアが息を切らしながらも、仲間を鼓舞する。

事実、デーモンの漆黒の体躯にも無数の切り傷や打撲の痕が刻まれ、その動きもわずかに鈍り始めていた。


「いい感じだ!あと少しだ、みんな!!」


エミルのその言葉に、勝利の光が見えたかに思えた。


だが、次の瞬間。


「ガアアアアアアアアッ!!」


傷ついたデーモンが、これまでにないほど天を仰ぎ、怒りに満ちた巨大な咆哮を轟かせた。

周囲の空気がビリビリと震え、デーモンの身体に魔力が満ちていく。


「な……なんだ!?」


彼女達の目の前で、信じられない光景が起きた。

5メートルほどだったデーモンの体が、みるみるうちに風船のように膨れ上がっていった。

10メートル、15メートル……そして最終的に、デーモンは『20メートル』という、見上げるような圧倒的な巨体へと変貌を遂げてしまったのだ。


「嘘……だろ……!?」


エミルが絶望的な声を漏らす。


巨大化したデーモンは、その威圧感だけでも四人を押し潰しそうだった。

そして、振るわれる巨大な拳は、先ほどまでの魔法の何倍もの破壊力と範囲を持ってシャロたちを蹂躙し始めた。


ドオオオオンッ!!


拳の一撃で突風が巻き起こり、四人は吹き飛ばされる。


「くそっ!デカくなった分、攻撃力も範囲も桁違いだゾ!!」


アグニが何とか体勢を立て直し、怒涛の連続パンチを巨大デーモンの胴体に叩き込むが。


「ダメだ……!巨大化したせいで防御力も跳ね上がっている!」


ヨシュアが炎の魔法を放つものの、デーモンの身体の表面をわずかに焦がすにとどまってしまう。

何とか攻撃を避けながら反撃を試みるが、すべてが「蚊が刺した程度」のダメージにしかならない。


「くそっ……どうすればいい……何か、奴の装甲を貫けるほどの巨大な一撃がなければ……!」


ヨシュアが奥歯を噛み締める。


全員の体力も魔力も削られ、ジリ貧が目に見えていたその時。

シャロが、何かを決意したように顔を上げ、小さく、しかし力強い声で言った。


「仕方ない……本気を出すよ!!」


シャロはそう叫ぶと、目を強く閉じ、自身の体内に眠る強大な魔力を一気に解放した。


「はあああああっ!!」


シャロの身体から、眩いばかりの緑色の光の柱が天を突くように立ち上がった。

そして、その光の中で、シャロの人間としての小さな身体は、急速に、そして爆発的に膨張し、変身を開始した。


光が晴れると、そこには全長20メートル……デーモンの巨大化と完全に同等か、それ以上の大きさを持つ、ウッドドラゴンの完全な姿が顕現していたのだ。

以前、一時的に進化したウッドドラゴンの姿を、再び顕現させたのだ。


「グルルオオオオッ!!」


巨大なデーモンも、突如として目の前に現れた同等のサイズの巨大ドラゴンの出現に驚きつつも、最大の敵と認識し、敵意を剥き出しにして咆哮を返した。


巨大なデーモンと、巨大なウッドドラゴン。

第九層の暗黒の空間を舞台にした、まさに文字通りの「大怪獣バトル」が幕を開けた。


ズウウウウンッ!!


シャロの巨大な尻尾のなぎ払いがデーモンの腹部に直撃し、デーモンの巨体が大きくよろける。

デーモンは怒り狂い、巨大な腕でシャロの首元に掴みかかり、強烈な拳を何発も顔面に叩き込んだ。


「これでも食らえっ!!」


シャロも負けじと、鋭い牙でデーモンの肩口に噛みつく。

地響きと衝撃波が、二体の巨体の激突するたびに周囲の荒野を粉々に破壊していく。


「シャロを援護するぞ!!各自、最大の技で攻撃して、デーモンの隙を作るんだ!!」


「おうッ!!任せろォ!!」


「了解だ!俺たちの火力もすべて注ぎ込む!」


エミルは剣を高く掲げて魔力を集中させ、アグニは全身の魔力を手に集中させ、ヨシュアは周囲の魔力をすべて杖に集束させる。

しかし、その間にも、デーモンはどんどんとシャロを追い詰めていく。

闇の炎でシャロの身体を焼き、闇の雷でシャロの右腕を吹き飛ばす。

だが、ボロボロになりつつも、シャロは必死にデーモンに食らいつく。


攻撃しても攻撃しても食らいついてくるシャロを、デーモンは脅威と思ったのか、自分の胸の前に、これまでの比ではない、まるで小さな太陽のような超特大の『漆黒の炎球』を作り出し始めた。


「まずい!奴は最大魔法でシャロを焼き尽くす気だ!!」


ヨシュアが青ざめる、ウッドドラゴンであるシャロにとって、「炎」は致命的な弱点だ。


「行けるぞ!ヨシュア!」


「アタシもだッ!」


「行くぞお前ら!」


デーモンの攻撃が炸裂する直前に、とうとう3人の魔力のチャージが終わった。


「《サンダー・ボルト・エクスカリバー》!」


「《超オーラ・バースト》!」


「《アブソリュート・ライガー》!」


「《ネイチャー・ドラグーン・ブレス》!!」


エミルの巨大な雷光の剣、アグニの強烈な魔力の波動、ヨシュアのすべてを凍らせる巨大な氷の弾丸、そして全てを焼き尽くすドラゴンの炎のブレス。

四人の最大威力の必殺技が、デーモンに向かって放たれる。

だが、デーモンの方も、負けじと漆黒の炎球を放つ。


ドオオオオオオオオオオオンッ!!!


1つの闇と4つの光が激しくぶつかり合った。

凄まじいエネルギーの押し合い、これに押し負けた方が死ぬ。

それはこの場に居た全員が痛いほど理解していた。

両者とも、もうこれが最後の力だった。

デーモンも体の大半が崩れかけ、シャロも腕を失い満身創痍、完全にお互いの意地と意地のぶつかり合い。


「負けない……ッ!絶対に……セレナを、助けるんだからああああッ!!」


シャロは残ったありったけの生命力と魔力を振り絞り、自身のブレスの出力を上げる。

エミルも、アグニも、ヨシュアも、ありったけの生命力と魔力をこの1撃に注ぎ込む。

その最後の執念、それが、デーモンの魔力を上回った。

ゆっくりと、ゆっくりとデーモンの炎を押し戻していき、デーモンの身体に直撃した。


「グオオオオオオオオッ!!!」


激しい閃光と爆発、衝撃波が巻き起こり、デーモンの巨体が緑色の炎の中で見る影もなく燃え上がり、内側から崩壊していく。

数秒の凄絶な断末魔の後、第十層の門番たる最上位悪魔は、巨大なアーチの入り口前で灰となって完全に崩れ去ったのだった。


すると、巨大化していたシャロの身体は急速に縮み、元の人間大の姿へと戻っていた。

しかし、その体は凄惨な有様だった。

右腕は完全に欠損し、全身の皮膚は高熱の炎と雷に焼かれて黒焦げになり、今にも倒れそうなほどボロボロになっていた。


「シャロ!!」


エミルたちが慌てて駆け寄り、シャロの口にポーションを流し込む。

ポーションの強力な治癒効果によって、全身の火傷や致命的なダメージは急速に塞がっていき、失われかけていた体力だけはなんとか全快まで回復した。

ただ、欠損した右腕だけはポーションでも元には戻らない。


「はぁ……はぁ……ありがとう」


シャロが息を整えながら、ふらつきつつも立ち上がる。


「1体だけだったのに、滅茶苦茶強かったな……今までのどんな敵よりヤバかったゾ」


アグニが焼け焦げた荒野を見渡しながら冷や汗を拭う。


「ああ、場所が第十層の入り口ということもあるし、恐らく奴がこの第九層の『ぬし』だったんだろう。ドラゴンすら凌駕する上位悪魔、デーモン。本に書かれていた以上のバケモノだった」


ヨシュアが傷だらけで杖を握りしめ、安堵のため息をつく。


「と言うことはだ。その最上位のバケモノを『料理』にして食べれば、僕たちはさらに爆発的に強くなるって事か!」


「そうだね!じゃあ、早速食事の準備をするよ!」


シャロが明るい声で答える。


「おいおい、ちょっと待て!そんな身体で大丈夫なのかヨ!?」


アグニが心配そうにシャロの右腕があるハズの所を見る。


「大丈夫だよ。ちょっと疲れたけれど、料理ぐらいはできるから安心して!それに、腕の代わりならいくらでもなるしね」


シャロはそう言うと、右腕の切断面から何本もの太いツタと蔓を生やす。

ツタで作られた義手は、シャロの意思通りに滑らかに動いた。


「全く……本当にタフだな、あいつは……」


ヨシュアが呆れたように、しかし頼もしそうにシャロを見つめた。

シャロが左手とツタの右手をデーモンの灰に触れると、そこから芽が生え、食材へと生まれ変わっていく。


今回生やしたのは米、小麦、人参、じゃがいも、玉ねぎ、トマト、ショウガ、にんにく、ターメリックやガラムマサラといった様々なスパイス、そして牛。


まずは小麦を挽き、米を炊く。

そして人参、じゃがいも、玉ねぎ、ニンニク、ショウガを手際よく刻んでいく。


次に牛を解体し、一口大のごろっとしたサイズに切り分ける。

塩胡椒とスパイスを揉み込み、じっくりとフライパンで焼きあげる。

肉が香ばしく焼ける匂いが広がる中、シャロは別の鍋でみじん切りにした大量の玉ねぎを、弱火でじっくりと、飴色になるまで炒め続ける。


玉ねぎが綺麗な飴色になったところで、こんがり焼いた牛肉、ざく切りにした人参とじゃがいも、トマトを鍋に合わせ、じっくりと煮込んでいく。

グツグツと煮立つ間に出てくるアクを丁寧にすくい取り、肉がホロホロに柔らかくなるまで火を通す。


その間に小麦粉と油を弱火で焦がさないように炒め、挽きたてのスパイスを加えて更に炒める。

しばらくして刺激的な香りがあたり一面に広がった。


「うおおおっ!?この匂い!!めちゃくちゃ美味そうだゾ!!」


アグニがお腹を鳴らしながら地団駄を踏む。


シャロは手作りスパイスを、じっくり煮込んだ肉と野菜の鍋の中に溶かし入れた。

スープにとろみがつき、すべての旨味がスパイスの魔法によって一つにまとまっていく。


じっくり火が通ったら、炊きたてのご飯をお皿に盛って、その上にたっぷりとかければ完成。


「お待たせしました!特製『カレーライス』完成だよー!!」


ツヤツヤのご飯の横に、ゴロゴロとした分厚い牛肉と野菜がたっぷり入った濃厚でスパイシーなカレーがなみなみと注がれている。


「ウオオオオオッ!!いただきまーーすッ!!」


アグニがスプーンをひったくるように受け取り、大盛りのカレーライスを口いっぱいに頬張った。


「カッハァッ!!辛いっ!!けど、信じられないくらい美味しいゾ!!このトロトロしたのと肉がとにかく美味い!辛いのにスプーンが止まらなイ!!」


「……んんっ……これは……美味い……!!」


エミルも額に汗を滲ませながら、カレーの虜になって夢中でスプーンを動かしている。


シャロも自分の分のカレーを食べながら、その出来栄えに満足げに微笑んだ。

こうして、激戦の疲れを癒やす最高の食事の時間が進んでいく。


……しかし、ただ一人、ヨシュアだけはスプーンの動きが鈍く、食が進んでいなかった。


「どうしたヨシュア?食べないのか?辛すぎたカ?」


アグニが不思議そうに首を傾げる。


「もしかして、あまり美味しくなかったかな……?」


シャロが心配そうに覗き込む。


「いや、味の文句なんてないさ。最高に美味い……ただ」


ヨシュアはスプーンを置き、エミルたちを見据えた。


「何か悩みでもあるのか?」


エミルが尋ねる。


「……お前達に、きちんと言っておかなきゃならないことがある」


ヨシュアのその真剣で、どこか重苦しい声のトーンに、三人の手が止まった。


「……セレナを助け出す方法だが……結局1つも見つからなかったんだ」


その言葉に、シャロとエミルはハッと息を呑んだ。


「やはり、人と魔物が完全に融合するなんて事態は……魔法の歴史上でも『イレギュラー中のイレギュラー』だったんだ。彼女の肉体を魔物から人間に引き剥がす方法は、全く存在しない。方法が無いんだ」


ヨシュアの拳が、膝の上で白くなるほど強く握りしめられていた。


「じゃあ……それって……セレナを、倒すしか無いの……?」


シャロが震える声で尋ねる。


「……すまない。だが、もう他に、あいつを救い出す方法は無いんだ」


ヨシュアが苦痛に顔を歪める。


彼女達の最大の目的、それはセレナを「助け出す」こと。

しかし、人間に戻す方法が存在しないのであれば、彼女をヴェノムヴァンパイアという忌まわしい化け物の姿から解き放つ手段は、「死」を与えてやることしか残されていない。

もう、セレナを助け出す方法が『殺すしかない』という絶望的な事実を叩きつけられ、シャロ、エミル、ヨシュアの心は深い闇へと沈み込んだ。

ここまで過酷な迷宮を乗り越えてきた努力は、結局悲しい結末に向かうためだけのものだったのか。


重い沈黙が場を支配する。


そんな、絶望に押しつぶされそうな空気の中。

カレーをモグモグと食べ続けていたアグニが、スプーンを口から離して、不思議そうにポツリと口を開いた。


「アタシ、頭悪いからよくわからないんだけどサ」


「なんだ、アグニ……」


「セレナって奴の『身体』を人間に戻すんじゃなくてサ。セレナの『心』を元に戻す……ってのは、ダメなのか?」


「……えっ?」


ヨシュアが顔を上げる。


「だってサ、そこにいるシャロだって、元々は普通の人間だったけど、今は立派な『魔物』と融合して暮らしてるだろ?」


アグニがシャロを指差す。


「シャロも魔物になっちまったケド、でも、アタシ達と同じ優しい『心』を持ったままじゃないカ。セレナも、シャロみたいに『身体は魔物だけど、心は元のセレナのまま』にしてやる事はできないのかヨ?」


その言葉に、ヨシュアは目を丸くして、ぽかんと口を開けたまま固まった。


「ど、どうなのヨシュア!?」


シャロが身を乗り出す。


「アグニの言う通りだ!肉体を戻せなくても、正気さえ取り戻せれば、セレナはセレナだ!!」


エミルも声を上げる。


長い沈黙の後。

ヨシュアは突然、天を仰いで、肩を震わせ始めた。


「……ふっ……くくっ……あーっはっはっはっはっ!!!」


腹の底からの、ヨシュアの大きくて晴れやかな笑い声が第九層の空に響き渡った。


「おい、ヨシュア!?急に笑い出して狂ったのカ!?」


「いや!すまん、笑わずにはいられない!まさか、こんな簡単で、一番理にかなった答えに今の今まで気づかなかったとはな!!」


ヨシュアの表情から、先ほどまでの重苦しい絶望が完全に消え去っていた。


「俺はずっと『肉体を元の人間に戻す』ことばかりにとらわれていた!だが、アグニの言う通りだ!シャロという完璧な成功例がすぐ目の前にいるんだ!身体はヴェノムヴァンパイアのままでも、心を取り戻すことは理論上十分に可能だ!!」


「それなら、行けるんだね!?」


シャロが瞳を輝かせる。


「ああ、行けるぞ!セレナを助け出せる!!」


ヨシュアが力強く断言した。


「よしっ!!希望が見えたぞ!!」


エミルも歓喜の声を上げ、アグニとハイタッチを交わす。


「ああ、具体的な作戦は後で話す。まずは……俺も腹ごしらえをしないとな……!」


ヨシュアが勢いよくスプーンを手に取り、冷めかけたカレーを物凄い勢いでかき込み始めた。


最大の問題が解決し、四人の心から一切の迷いや陰りが消え失せた。

美味しくて辛いカレーの刺激と共に、四人の食事はかつてないほど明るく、賑やかに再開された。


「はぁ~っ、食った食った!ごちそうさまだゾ!」


「本当に美味しかった」


食事が終わり、ふぅと息をついたエミルが自身の手のひらを見つめた。


「やはり思った通り、ぬしを食べた事で、力がまた一段と増したのを感じるぞ」


エミルの身体から、雷の魔力がパチパチとはみ出している。


「ということは……?」


ヨシュアとエミル、アグニの三人は、自然とシャロの方を振り向いた。


「……うん、来るみたい」


シャロが自身の胸元を押さえる。


直後、シャロの全身から光が溢れ出し、彼女を包み込んだ、「進化」の合図だ。


ただ、今回の光はこれまでのどんな進化よりも凄まじかった。

シャロを包む光はどんどん大きくなり、やがて巨大で神々しい「大樹」の雄大なシルエットを暗空に映し出した。

そして、その神々しい大樹のシルエットが次第に収縮していき……最後は、シャロの小さな身体へと吸い込まれていった。


光が完全に収まる。


「終わったカ……?」


アグニが恐る恐る近づく。

シャロはエミルに借りた剣の腹を鏡代わりにして、自分の姿を映し出した。


そこに映っていたのは、以前のウッドドラゴンの名残であった「頭の角」も完全に消え去り、どこからどう見ても、ただの可憐な「人間」の女性の姿だった。

そして、デーモンとの戦いで消し飛んだ右腕も、ツタではなく、白く滑らかな人間の肌を持つ元の腕として完全に再生していた。


「シャロ、お前……一体何に進化したんダ?」


アグニが目を丸くする。全く魔物に見えないのだ。


「ドラゴンの更に上の階梯……そして、先ほど空に浮かんだあの大樹のシルエット。それを考えたら、答えは一つしかないだろう」


ヨシュアが畏敬の念を込めて、シャロを見つめる。


「うん、これは私にもわかるよ」


シャロは自分の両手を見つめ、静かに答えた。


「私……『ユグドラシル』に進化したみたい」


ユグドラシル、世界樹とも呼ばれる、膨大な魔力を内包する伝説の大樹。


「ユグドラシル……とうとう、植物の『頂点』になったというわけか」


エミルも信じられないといった様子でシャロを見上げる。


「なんだかよくわからないけれど、とにかく凄いってことだゾ!!」


アグニが無邪気に笑う。


「うん……ユグドラシルに進化したって事は、もしかしたら……あれが出来るかも」


シャロは何か閃いたように、ある行動を実行に移した。


シャロは頭の中に、ある強烈な「イメージ」を描き、両手を地面にピタリと付けた。

そして、ユグドラシルとして得た莫大な魔力を一気に大地へと送り込む。


ゴゴゴゴゴゴ……!


何もない荒野から、突如として一本の芽が顔を出した。

芽は瞬く間に成長し、幹を太らせ、枝を伸ばし、わずか数分のうちに、見上げるほど「大きな大きな木」へと成長していった。


そして、その木の最も高い枝の先に、たった一つだけ、太陽のように眩く光り輝く「金色の果実」がポツリと実をつけた。

果実は自ら枝を離れ、シャロの両手の中にふわりと落ちてきた。


「……やった、一つだけだけど、できた」


シャロがその金色の果実を大切そうに胸に抱く。


「それは……シャロ、まさか!?」


エミルが息を呑む。


「うん。私がずっとずっと探し求めて来たもの……『金の林檎』だよ」


シャロが満面の笑みで林檎を掲げた。


「なんだ?凄いのか?その金ピカの林檎って」


アグニが目を瞬かせる。


「金の林檎って言うのは、一口食べれば永遠の若さを得る事ができると言われる、神話の中の『伝説の果実』の事だ」


ヨシュアが震える声で解説する。

シャロは満足そうに微笑むと、すぐさま葉のナイフを取り出し、その貴重な金の林檎を躊躇いなく四分割にした。

そして、三人の仲間にそれぞれ一切れずつを手渡した。


「お、おい!いいのか!?こんな伝説の果実、僕たちが食べても!」


エミルが慌てて受け取る。


「うん!これは、みんなが力を合わせて戦って、それで強くなった事で手に入った物だから。みんなで食べたいの」


シャロの純粋な思いに、三人は胸を打たれる。


「金の林檎か……一体どんな味がするんだろうナ!」


アグニがヨダレを垂らす。


「それじゃあ……いただきます!!」


四人は顔を見合わせ、一斉に金の林檎を口へと運んだ。


「……!!!!」


「なっ……!?」


「これは……!!」


四人の表情が、これまでにないほどの驚愕と多幸感に包まれた。


「ものすごく、美味しい……!!」


シャロが頬を押さえて感動の声を上げる。


「ああ……だがこれは、果物と言うよりは……」


「最高級の菓子のよう……だね」


しっとりとした薄い黄金の皮はまるで極上のクレープ生地のように滑らかで、ずっしりとした果肉は生チョコレートのように舌の上でとろける。

そして、口いっぱいに広がる濃厚な甘みは、さながら最高級のバニラビーンズをたっぷり使ったカスタードクリームのようだった。


「凄い……これは、一切調理しなくても、このままで究極の『スイーツ』として完成してる味だよ……!」


シャロが感極まったように静かに涙を流している。


「それに……食べ終わったそばから力が湧いてくる!これが金の林檎の力か!」


エミルの身体からこれまでに感じたことのない力が全身を駆け巡っていた。


「これなら……この力なら、俺たちはセレナの呪縛を解き放つことが、本当の本当にいけるかもしれないぞ!!」


ヨシュアが杖を力強く掲げる。


「最強の力も手に入れたし、腹もいっぱいダ!じゃあ、この調子で一気に最深部に行こうゼ!!」


アグニが拳を空に突き上げる。

しかし、エミルが冷静にアグニの肩を掴んだ。


「焦るなアグニ。デーモンとの戦闘で消費した体力と魔力は、まだ完全には回復しきってない。これから挑むのは、最強最悪のヴェノムヴァンパイアだ。万全な状態にするのが先決だ」


「エミルの言う通りだ。今日はここで休もう。俺もしっかり寝て、作戦の最終確認をして頭を休めたい」


ヨシュアの言葉に、シャロも大きく頷いた。


「そうだね。私も、さすがにちょっと疲れちゃった」


「それもそうだナ!」


アグニも笑って同意し、四人は巨大なアーチの入り口前で野営の準備を始めた。


すべての迷いは消え去り、最強の力と揺るぎない希望を手に入れた勇者たち。

彼女たちは、ついに訪れるヴェノムヴァンパイアとの「最終決戦」の前に、最後の休息を取ることにしたのだった。

面白かった 続きが読みたい方は ブックマーク 感想を入れたり

下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると励みになります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ